表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ガリア戦記異聞 とある計算屋の活躍  作者: 奪胎院
第七部:ガリアの王

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

87/97

第六章:最後の切り札

ゲルゴヴィアでの敗北の後、我々の軍団は戦略的な撤退を開始した。


目標は北、ローマに忠実な同盟部族である**街道のドワーフ(リンゴネス族)**の領地。

そこで軍を再編成し、寸断された補給路を確保することが、我々が生き残るための唯一の道だった。


二つの軍団が合流した野営地は、奇妙な静寂に包まれていた。

北で圧勝したラビエヌス様の兵士たちと、南で敗走した我々カエサル本隊の兵士たち。


その間には、勝利の熱気も、敗北の絶望もない。

ただ、このガリア全土を敵に回したという圧倒的な現実が、重くのしかかっていた。


俺、レビルスは、自らの天幕で、終わりの見えない計算を続けていた。


ゲルゴヴィアでの敗北は、我々の物理的な損害以上に、ガリア全土の士気を劇的に向上させてしまった。


敵は勢いづき、我々の補給路は脅かされ続けている。厳しい状況に変わりはない。


だが、敗北は敗北として、そこから新たな勝利への道筋を導き出すことこそが、俺の仕事だ。


それは、もはや単純な方程式ではない。無数の変数と、狭められた選択肢の中から、唯一の活路を見つけ出すための、より複雑で、より精密な計算だった。


その日の夜、カエサルは全指揮官を司令部天幕に召集した。


「レビルス副将。貴官の計算を聞きたい。この状況を打開する、次の一手を」


カエサルの静かな声に、天幕の中の全ての視線が俺に突き刺さる。

俺は、数日かけて導き出した結論を、重い口を開いて告げた。


「…いかなる計算を試みても、同じ壁に突き当たります」


俺は地図の上に、ガリア軍の高速機動部隊を示す駒を置いた。


「我々の重装歩兵は、平原での野戦において無類の強さを誇ります。ですが、ウェルキンゲトリクスが誇る、精霊術を駆使した高速機動部隊の前では、その強みを発揮する前に、側面を突かれ、補給路を断たれ、消耗させられる。彼らを平原での決戦に引きずり出し、その機動力を完全に封じ込めない限り、我々に勝利の道筋はありません。ですが、そのための有効な対策が…現在の我々の戦力では、見つかりません」


俺の報告に、天幕の中は重い沈黙に包まれた。


「では、我々はこのまま奴らの兵站攻めに苦められ、飢えながら後を追いかけるしかないというのか!」


アントニウス様が、悔しそうに声を荒らげる。


その沈黙を破ったのは、カエサルだった。


「いや、策はある」


彼は、地図の上で、ライン川の向こう、ゲルマンの領域を指し示した。


「レビルスの計算は正しい。我々には、ガリアの高速機動部隊に対抗しうる、同等以上の機動力を持つ『鉄槌』が欠けている。ならば、その鉄槌を、外から持ってくれば良い」


彼は、指揮官たち一人一人の顔を見渡し、そして、常軌を逸した宣言を口にした。


「ライン川の向こうから、ゲルマンの魔族を、傭兵として雇い入れる」


その言葉に、天幕の中は凍りついた。


「魔族を…ですと!?」


最初に声を上げたのは、実直なトレボニウス様だった。


「彼らは、秩序も、信義も知らぬ者たちです! そんな計算不能な暴力を、我々の軍団に組み込むなど、あまりに危険すぎます!」


「その通りだ!」と、アントニウス様も続いた。「奴らは、金のためなら、平気で我らを裏切るだろう!」


だが、カエサルは、その全ての反論を、片手で制した。


「危険は承知の上だ。だが、今の我々に、これ以外の選択肢があるか」


彼の視線が、俺を射抜いた。


「レビルス副将。この、計算不能な『暴力』を、我々の戦術に組み込むための、新たな計算を立てろ。奴らをどう配置し、どう動かし、そして、どう制御するか。その全てを、お前に任せる」


俺は、言葉を失った。


ゲルゴヴィアで、俺は計算の限界を知った。そして今、この男は、俺に、計算が最も通用しないはずの「暴力」そのものを、計算しろと命じている。それは、罰か、それとも、信頼か。


「…御意に」


俺は、そう答えるのが精一杯だった。


自らの天幕に戻った俺は、その日から数日間、誰とも会わず、ただ一人、計算に没頭した。


羊皮紙の上に、無数の陣形図と、損害予測の数字が書き殴られては、また消されていく。


計算不能な暴力を、どうすれば計算可能な戦術へと落とし込めるのか。それは、俺のこれまでの経験の全てを懸けた、苦闘だった。


数日後、俺はやつれた顔で、再びカエサルが招集した高級将校会議の席にいた。

そこには、ラビエヌス様やアントニウス様もいる。


「…ゲルマン傭兵の運用計画について、ご報告します」


俺は地図を広げ、数日間の苦闘の末に導き出した結論を告げた。


「彼ら傭兵の数は、数百。一個軍団にも満たない。彼らを戦列に組み込んでも、全体の戦況を大きく変える力にはなりません。彼らは、戦列を支える『盾』ではなく、敵の心臓を貫く、一撃必殺の『槍』として使うべきです」


俺は続けた。


「ですが、その槍はあまりに荒々しく、我々の手には余る。その力を完璧に制御し、最も効果的な瞬間に解き放つことができる指揮官が必要です」


俺は、二人の顔をまっすぐに見据えた。


「戦況の潮目を読み、反撃の完璧な瞬間を見極める、ラビエヌス様の戦術眼。そして、その好機を逃さず、獣のような猛威をもって敵陣を食い破る、アントニウス様の突破力。このお二方こそが、この計算不能な暴力を使いこなせる唯一の指揮官であると、俺は計算しました。彼ら『鉄の狼の民』の指揮権を、お二方にお預けしたい」


それは、副将としての俺の大きな進言だった。


ラビエヌス様は、その美しいエルフの顔にわずかな驚きを浮かべた後、やがて、静かに頷いた。

アントニウス様は、その提案に、獰猛な笑みを浮かべて応えた。


「面白い。計算屋、貴様のその計算、気に入ったぞ」


それから半月ほどが過ぎた頃、ライン川の向こうから、奴らが来た。


特定の領地を持たず、ただ力と報酬のみを信奉する、魔族の戦闘集団**『鉄の狼の民』**。その全身から放たれる、純粋な暴力のオーラは、歴戦の我が軍の兵士たちさえも気圧した。


俺は、副将として、彼らの指揮官と向き合った。


「貴殿らの武勇は聞いている。我々が求めるのは、その力だ」


俺は、彼らに複雑な戦術や、共和国の規律を説くことはしなかった。


「だが、条件が二つある。一つ、戦いのきっかけは、我々が作る。我らの合図があるまで、決して動くな。そして二つ、我らが撤退の合図を送った時は、いかなる状況であろうと、即座に退くこと。この二つさえ守れば、貴殿らの戦い方に口を出すつもりはない」


そして、俺は一枚の羊皮紙を差し出した。そこには、彼らが敵の首一つを挙げるごとに支払われる報酬の額が、冷徹な数字で記されていた。


魔族の指揮官は、その羊皮紙を一瞥すると、牙を剥き出しにして笑った。


「…話が分かる人間がいるらしいな。よかろう。最高の報酬を約束するならば、我らもまた、最高の戦いを約束しよう。合図とやらは、守ってやる」


俺の新たな計算は、人の心ではなく、ただ、獣の欲望を計算することから始まった。


やがて、決戦の時は来た。


ゲルゴヴィアでの勝利と、**月光のエルフ氏族(ハエドゥイ族)**の寝返りによって、ガリア全土の支配者となったウェルキンゲトリクスが、ついに我々に牙を剥いたのだ。


我々が森と丘に挟まれた谷間を行軍中、地形によって隊列が長く伸びきり、最も無防備になった瞬間を、彼は見逃さなかった。


ウェルキンゲトリクスは、自らが率いるガリア最強の高速機動部隊を三隊に分け、我々の隊列の前面と両側面から、同時に襲いかかってきた。風の精霊の加護を受けた彼らの動きは、あまりに速く、そして優雅だった。


「敵襲! 前方、及び左右から!」


次々と、報告が舞い込んでくる。


「全軍、行軍を停止! その場で円陣を組め! 輜重隊を中央に入れ、何があっても守り抜け!」


カエサルの号令が飛ぶ。我々の重装歩兵は、彼らの神速の突撃の前に前進を完全に阻まれ、ただその場に釘付けにされて守りに集中するしかなかった。


守りは破られてはいない。だが、このままではじり貧になるだけだった。


その戦場で、反撃のきっかけを作るという重責を任されていたのは、ラビエヌス様と、アントニウス様だった。


「…まだか」

アントニウス様が、静かに呟いた。


「もう少しだ」

と、ラビエヌス様が応じた。


「もう少し、敵を深く引きつけなければ、我らの切り札が、我ら自身の喉を掻き切ることになりかねん」


そして、ガリア軍が、勝利を確信し、その突撃の勢いを最大にした、まさにその瞬間。


ラビエヌス様が、天に掲げていた右手を、静かに、振り下ろした。


それが、合図だった。


それまで後方で息を殺していた、数百の巨大な影が、一斉に雄叫びを上げた。


ゲルマンの魔族傭兵、『鉄の狼の民』。

彼らは、天賦の魔力をその屈強な肉体に漲らせ、大地を揺がしながら、一つの巨大な鉄塊となって、ガリア軍の無防備な側面へと突撃した。


それは、もはや戦術ではなかった。


ただ、純粋な、圧倒的な質量の暴力。


風のように優雅だったガリアの高速機動部隊は、その常識外れの重突撃の前に、まるで木の葉のように吹き飛ばされ、踏み潰されていく。


彼らが誇る精霊術も、個々の剣技も、この死さえ恐れぬ暴力の津波の前では、何の意味もなさなかった。


俺は、後方の丘の上から、その光景を見ていた。


俺の計算が、解き放った、恐るべき暴力の嵐。


それは、確かに戦況を覆した。だが、その代償として、戦場は、敵も味方もない、ただの殺戮の場へと姿を変えていた。


夕暮れ時、戦いは終わった。


ガリア最強を誇った高速機動部隊は、壊滅的な敗北を喫した。


生き残ったウェルキンゲトリクスは、最強の機動力を失い、平原での野戦ではもはやローマ軍に勝てないと悟ったのだろう。


彼は、残存兵力をかき集め、北へと敗走していった。


その先にあるのは、天然の要害、アレシア。


俺は、血と肉片が散らばる戦場を見下ろしながら、静かに、次の計算を始めていた。

ゲルゴヴィアでの敗北を糧に、この絶望的な状況を覆すための、常軌を逸した、最後の計算を。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!

面白いと思っていただけましたら、ブックマークや下の評価(★★★★★)で応援していただけると、大変励みになります!


【先行公開】最新話はカクヨムで連載中です!

いち早く続きを読みたい方は、ぜひこちらにも遊びに来てください。

[https://kakuyomu.jp/works/16818792438187300822]

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ