第七章:空しき勝利と、次なる嵐の予兆
アトゥアトゥカの城門は、まさに破られようとしていた。略奪に狂喜する**『狂戦士の民』**の魔族たちは、勝利を確信していた。
だが、その瞬間、地平線の彼方に立ち上る土煙と、そこに瞬く、共和国軍の高速機動部隊だけが放つ、淡い緑色の魔力の光を、見張りが発見した。
「敵だ! ローマの救援部隊だ!」
その報せは、略奪に夢中だった魔族たちの間に、瞬く間にパニックを引き起こした。彼らの頭をよぎったのは、ただ一つの恐怖。
(カエサルだ!奴が、主力部隊を率いて戻ってきた!)
その誤解が、彼らの運命を決定づけた。
『狂戦士の民』は、それまで手にした略奪品さえも放り出し、蜘蛛の子を散らすように、ライン川の向こうへと潰走していった。
俺が計算し、派遣した救援部隊がアトゥアトゥカに到着した時、そこに広がっていたのは、凄惨な戦闘の跡と、そして、敵が慌てて逃げていったことによる、奇妙な静寂だけだった。
キケロ様は、無事だった。だが、その顔に英雄の面影はなかった。
ただ、自らの判断ミスで多くの部下を死なせ、軍団全体を危機に晒したという、深い絶望と自己嫌悪に打ちひしがれていた。
数日後、アンビオリクス追討を中断したカエサル直属の主力部隊が、アトゥアトゥカへと帰還した。
冬営地には、凱旋を迎えるような熱気はない。
ただ、総司令官が、この失態を犯した英雄をどう裁くのか、兵士たちの固唾をのんで見守る、張り詰めた空気が支配していた。
その夜、俺は副将として、カエサルの司令部天幕に呼び出された。
天幕の中には、憔悴しきったキケロ様が、まるで罪人のようにうつむいて立っている。
カエサルは、俺がまとめた損害報告書に目を通すと、静かに、しかし氷のように冷たい声で、キケロ様に問いかけた。
「クィントゥス・トゥッリウス・キケロ。俺は、貴官にただ一つの命令を下したはずだ。何があろうと、この要塞から兵を出すな、と。だが、貴官はその厳命を破った。結果、我々は多くの有能な兵士を失い、アンビオリクスを取り逃がした。何か、弁明はあるかね」
「…ありません」
キケロ様は、絞り出すような声で答えた。
「全ては、私の油断と、判断ミスです。いかなる処罰も、お受けします」
その潔い言葉に、カエサルは表情を変えなかった。
「貴官の判断ミスは、第二のサビヌスの悲劇を招きかねなかった。その罪は、万死に値する」
天幕の中の空気が、凍りつく。
だが、カエサルは続けた。
「しかし、だ。運命は、そしてレビルスの計算は、貴官に味方した。そして、貴官が昨冬、この地で示した驚異的な粘り強さが、多くの兵士の命を救ったことも、また事実だ」
カエサルは、立ち上がると、キケロ様の前に立った。
「貴官は、英雄だ。だが、過ちを犯す、人間でもある。そのことを、決して忘れるな」
彼は、キケロ様の肩を、一度だけ強く叩いた。
「貴官には、引き続き、この軍団の指揮を任せる。だが、覚えておけ。二度目はない」
それは、厳しく、しかし、人間的な弱さを理解した上での、あまりに人間的な裁定だった。
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