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ガリア戦記異聞 とある計算屋の活躍  作者: 奪胎院
第六部:報復と新たなる血

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第六章:英雄の失態と、計算屋の火消し

俺たちカエサル直属の主力部隊が、アルデンヌの森で憎悪という名の泥にまみれ、非情な焦土作戦を遂行している頃。


その後方、ライン川と森の中間に位置する補給拠点アトゥアトゥカでは、奇妙なほどの平穏が支配していた。


この拠点の守りを任されていたのは、クィントゥス・トゥッリウス・キケロ。


昨冬、六万の反乱軍を相手に絶望的な籠城戦を耐え抜き、軍団を救った英雄。その名声は、今やガリアの兵士たちの間で伝説となりつつあった。


だが、伝説は時に、人を油断させる。


「キケロ様。カエサル閣下からは、何があろうと城壁の外へ兵を出すなと、厳命が下っていたはずです」


古参の百人隊長が、心配そうに進言する。


キケロは、その忠告を、穏やかな笑みで退けた。


「分かっている。だが、兵士たちの疲労も限界だ。それに、斥候の報告では、数日のうちにゲルマンの斥候を見た者はいない。主力部隊がこれだけ近くにいるのだ。奴らも、我々を襲うほどの蛮勇はあるまい」


彼は、兵士たちが城壁の外へ出て、近隣で穀物を集めることを許可した。

それは、英雄の、ほんのわずかな油断。そして、兵士たちへの、人間的な温情からくる判断だった。


だが、その判断が、第二のサビヌスの悲劇の引き金を引くことになる。


その日の昼下がり、奴らは来た。


何の兆候も、前触れもなく。


ライン川を渡って略奪の機会をうかがっていた**『狂戦士の民(スガンブリ族)』**が、ほとんど無防備になったアトゥアトゥカの冬営地に、雪崩のように襲いかかったのだ。


「敵襲! 敵襲!」


見張り台からの絶叫が、平穏な空気を引き裂く。


城壁の外に出ていた兵士たちは、なすすべもなく蹂躙され、城内に残っていたわずかな守備隊は、完全に不意を突かれた。


巨大な魔族の群れが、城門に殺到する。門を破壊しようとする槌の音、負傷者の悲鳴、そして、共和国の鷲の旗を守ろうとする兵士たちの、絶望的な怒号。


昨冬、英雄的な防衛戦を繰り広げた要塞は、今、一人の指揮官の、たった一つの判断ミスによって、陥落の寸前にあった。


その絶望的な報せが、馬を乗り潰さんばかりの勢いで駆けてきた伝令によって、アルデンヌの森の奥深く、カエサルの本陣にもたらされたのは、日の傾きかけた頃だった。


「…キケロが、兵を外に出した、だと…?」


カエサルの声は、静かだった。

だが、その静けさには、地獄の業火にも等しい、底なしの怒りが宿っていた。天幕の中の空気が、凍りつく。


誰もが、総司令官の次の言葉を、固唾をのんで待っていた。


だが、カエサルは、怒りを爆発させる代わりに、ただ一言、俺の名を呼んだ。


「レビルス」


「はっ」


「火を消せ」


その一言に、全ての命令が込められていた。


俺は、即座に自らの天幕へと駆け戻ると、壁一面に広げられた地図の前に立った。


これは、戦ではない。災害だ。そして、俺の仕事は、この災害の被害を、最小限に食止めるための、計算だった。


「伝令! 第七軍団の現在位置を報告させろ!」


「各部隊の、高速移動が可能なエルフ、獣人兵の数を、今すぐ計算しろ!」


俺の天幕は、野戦病院のような混乱と、しかし、それとは正反対の、冷徹なまでの静寂に包まれた。


俺の頭脳は、恐怖も、怒りも、焦りも、全てを計算のための変数へと置き換え、凄まじい速度で回転を始める。


「…出た」


二時間ほどが過ぎた頃、俺は一つの最適解を弾き出していた。


「今から、最も早くアトゥアトゥカに到達できるのは、後方で別任務についていたトレボニウス様の部隊だ。彼らは高速移動が可能な補助兵を多く擁している。この獣道を抜けさせれば、計算上、夜明け前には現地に到着できる。だが、それだけでは足りん」


俺は、地図の上に、もう一本の線を引いた。


「俺たち本隊からも、高速機動部隊を出す。ガレウス!」


俺の呼びかけに、いつの間にか天幕の入り口に立っていた獣人の突撃兵が、静かに前に進み出た。


「お前の部隊と、最も俊足の兵三百を率いて、この最短ルートを駆け抜けろ。魔術師団に命じ、お前たちに短時間だけ効果のある集団強化魔法をかける。目的は、戦闘ではない。陽動だ。トレボニウス様の部隊が到着するまで、敵の注意を引きつけ、時間を稼げ」


「承知」


ガレウスは、その瞳に獰猛な光を宿し、短く答えた。


魔法によって加速された救援部隊が、緑色の光の尾を引きながら、嵐のように駆け出していく。


俺は、その場に残り、後方支援と、次なる不測の事態への備えを計算し続けていた。


俺は、かつての恩人であり、英雄であったキケロの、人間的な弱さを思った。

彼は、決して無能ではない。むしろ、有能すぎるがゆえに、自らの英雄譚に、ほんの少しだけ油断したのだ。


そして、そのたった一つの計算ミスが、これほどの悲劇を生む。


副将としての俺の本当の戦場は、敵の刃の前にあるのではない。

味方の、計算不能な「人間」という名の不確定要素と、どう向き合うか。その、終わりの見えない戦場にあるのだと。


俺は、この日、その新たな試練の、本当の重さを知った。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!

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