第一部前半 第六章:見えない敵
追撃行は、アラール川の勝利の後も続いた。
だが、兵士たちの顔に浮かぶ疲労の色は、日に日に濃くなる一方だった。 理由は、単純明快。飢えだ。 同盟者であるはずの森のエルフ氏族から約束されていた食糧供給が、完全に滞っていたのだ。
「隊長。このままでは、戦う前に干上がってしまいます」
ボルグが、その岩のような顔を苦々しく歪めた。
俺は、何も答えられなかった。
補給官の側近だった俺だからこそ、この状況の異常さが骨身に染みて分かる。
これは、単なる遅延ではない。意図的な、妨害工作だ。誰かが、俺たちの兵站という名の血管を、内側から締め上げている。
その日の夕方、全百人隊長以上に、カエサルからの召集命令が下った。
巨大な司令部天幕の中は、異様な熱気と緊張感に包まれていた。
居並ぶ指揮官たちの間を通り抜け、俺は末席に立つ。中央では、カエサルが、森のエルフ氏族の指導者たちと対峙していた。
カエサルの声は、静かだった。だが、その静けさには、凍てつくような圧があった。
「ディウィキアクス。私は、貴君らの要請を受け、この戦いを始めた。だが、約束の穀物は届かない。これは一体、どういうことか」
親ローマ派の指導者ディウィキアクスは、顔面蒼白で俯いている。
カエサルは、おもむろに一巻の羊皮紙を広げた。俺は息をのんだ。それは、俺が後方で飽きるほど見てきた、兵站部が作成する補給状況報告書そのものだった。
「報告によれば、貴君らの西部からは穀物が届いている。だが、東部の主要な集積所からは、一粒たりとも発送された形跡がない。東部を管理しているのは、確か…貴君の弟君、ドゥムノリクスだったな?」
天幕の中が、どよめいた。これは、ただの詰問ではない。カエサルは、俺たちが後方で作成している報告書を完璧に読み込み、問題の核心を正確に突き止め、そして特定の個人名を挙げることで、逃げ道を塞いでいるのだ。 さらにカエサルは、別の部族長に視線を移した。
「そして、貴君の部族が担当していた輸送部隊の護衛騎兵が、理由なく持ち場を離れていたという報告も受けている。ドゥムノリクス殿は、騎兵に大きな影響力をお持ちだと聞くが…何かご存知かな?」
天幕の中が、凍りついた。 カエサルは、怒鳴りもせず、脅しもせず、ただ淡々と「事実」を並べ立てるだけで、森のエルフ氏族の指導者たちを内側から切り崩し、互いに疑心暗鬼にさせている。
彼は、彼らの内部事情、人間関係、そして権力構造のすべてを、まるで自分の手のひらの紋様でも見るかのように把握しているのだ。
俺は、自分の腹の底から、冷たいものがせり上がってくるのを感じた。
剣の腕前や、戦術の巧みさだけではない。この男は、情報、兵站、人の心の弱さ、組織の力学、そして政治の非情さ、そのすべてを完璧に計算し、自らの武器として使いこなしている。
俺が補給官の側近として学んだ兵站管理など、この男が描く巨大な戦略図の前では、子供の遊びに等しい。俺は数字を使って資源を管理していた。だが、この男は、数字を使って人の魂を支配している。
俺は、自分がとんでもない化け物に仕えているという事実を、改めて思い知らされていた。
そして、この化け物が指揮する戦争の駒として、俺たちは一体どこへ連れて行かれるのか。その未来を想像すると、目の前の敵よりも、はるかに恐ろしかった。
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