第十章:決死の救援
籠城戦は、七日目に突入していた。
冬営地は、もはや要塞というより、巨大な傷口のようだった。
城壁は崩れ、矢倉は焼け落ち、塹壕は、敵と味方の骸で埋まっている。
生き残った兵士たちの消耗は、限界を超えていた。
傷を負っていない者を探す方が難しいほどだ。それでも、彼らは戦い続けていた。あの夜、闇に消えた伝令が、カエサル閣下の下へたどり着いたと、信じているからだ。
「顔を上げろ!」
キケロ様が、その身を顧みず、昼夜を問わず城壁を巡り、一人一人の兵士に声をかけ、鼓舞し続けていた。
「我々は、見捨てられてなどいない! カエサル様は、必ず我々を助けに来る! あの御方が、我々を見捨てるはずがないのだ! それまで、持ちこたえろ!」
彼の言葉が、この軍団の最後の心の支えとなっていた。
そして、俺、レビルスの計算が、まだ彼らを生かしていた。
「南門の投石機は、あと五発で限界だ! 北門から二台回せ!」
「負傷者の包帯が尽きた! 各自、着衣の裾を裂いて代用しろ! 感染症のリスクより、失血死のリスクの方が高い! 計算上、まだ持つ!」
俺の頭脳は、眠りさえ忘れて、この絶望的な戦場を、一つの巨大な数式として解き続けていた。
だが、その数式の解が、日に日に「破滅」へと収束していくのを、俺は感じずにはいられなかった。
そして、ついに、その時が来た。
アンビオリクスは、我々の抵抗が限界に達したことを感じ取り、最後の総攻撃を仕掛けてきたのだ。
もはや、昼も夜も関係ない。敵は、波状攻撃で、我々の体力と精神を、容赦なく削り取っていく。
兵士たちは、朦朧としながら、ただ機械のように、剣を振るい、槍を突き出した。
俺の計算も、もはや限界だった。資源は、完全に尽きた。あとは、ただ、兵士たちの、最後の意地と気力に頼るしかない。
総攻撃が始まって、三日目の昼下がり。
南門の城壁が、ついに破られた。
敵兵が、歓声を上げながら、雪崩のように流れ込んでくる。
「もはや、これまでか…!」
誰もが、死を覚悟した。
その、まさに、その瞬間だった。
遠くの、南の地平線に、一筋の黒い煙が、天に向かって、まっすぐに立ち上ったのが見えた。
それは、野火などではない。共和国軍だけが知る、救援の合図。
「カエサル閣下だ!」
誰かが叫んだ。
その声は、奇跡を信じる者の、歓喜の絶叫だった。
地獄の底にいた兵士たちの目に、信じられない、という光が宿る。
「うおおおおおっ!」
彼らは、最後の力を振り絞り、なだれ込んでくる敵兵を、鬼神の如き形相で押し返し始めた。
包囲していた反乱軍にも、動揺が走る。
彼らは、まさか、カエサルが、この冬に、これほど早く救援に来るとは、夢にも思っていなかったのだ。
アンビオリクスは、焦った。
彼は、俺たちの冬営地の攻略を一部の部隊に任せ、主力を率いて、カエサルの救援部隊を叩きに向かった。
だが、それこそが、カエサルの罠だった。
カエサルが率いていたのは、わずか七千の手勢。彼は、あえて小高い丘の上に、みすぼらしく、小さな陣地を築き、敵を挑発した。
数で圧倒的に勝るアンビオリクスは、その挑発に乗り、丘の上のカエサル軍へと、全軍で突撃をかけた。
その瞬間を、カエサルは見逃さなかった。
「全軍、突撃!」
丘の上から、わずか七千の共和国軍が、数で勝る反乱軍のど真ん中に、一つの巨大な楔を打ち込むように、逆落としに突撃したのだ。
そして、俺たちもまた、その好機を逃さなかった。
「全軍、出撃!」
キケロ様が、声を枯らして叫んだ。
「カエサル閣下に続け! 敵を、挟撃するのだ!」
俺は、ボロボロの仲間たちと共に、破壊された南門から、外へと飛び出した。
ボルグが、その巨体で敵を蹴散らし、セクンドゥスが、老練な剣技で敵を屠り、ガレウスが、獣のように咆哮を上げながら、敵陣に風穴を開ける。
挟み撃ちにされた反乱軍は、完全にパニックに陥り、その統制は、あっけなく崩壊した。
六万を誇った大軍勢は、もはやただの烏合の衆と化し、武器を捨てて、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
戦いは、終わった。
夕暮れの、血の匂いが立ち込める戦場で、俺は、カエサル様と、そしてキケロ様と、向かい合っていた。
カエサル様は、傷だらけのキケロ様の手を、強く握りしめた。
「よく、耐えてくれた。キケロ。君の粘り強さが、この軍団を救ったのだ」
そして、彼は、俺の方を向いた。
「そして、レビルス。お前の計算が、我々に、耐えるための時間と、勝つための好機を与えてくれた。見事だった」
その言葉を聞いた瞬間、俺の体から、全ての力が、抜けていくのを感じた。
九死に一生を得る。
その言葉の意味を、俺は、この日、生まれて初めて、骨の髄まで理解した。
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