表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ガリア戦記異聞 とある計算屋の活躍  作者: 奪胎院
第五部 第二幕:ガリア大反乱

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

62/97

第六章:乾いた大地

ブリタンニアの白い崖が水平線の向こうに消え、見慣れたガリアの大地が再びその姿を現した時、船団は安堵と達成感に満ちた歓声に包まれた。


兵士たちは、ガリアの地を踏みしめ、互いの肩を叩き合った。


嵐、見えざる王、そして艦隊の修復。


数々の困難を乗り越えた彼らの顔には、揺るぎない自信が刻まれている。

この年の戦いは終わった。あとは、暖かい兵舎と、仲間たちとの酒盛りが待っているだけだ。誰もが、そう信じていた。


だが、我々が冬営地へと続く街道を進むにつれて、その楽観的な空気は、少しずつ奇妙な違和感に変わっていった。


道端の畑は、枯れたようにひび割れ、黄金色であるはずの麦の穂は、力なく頭を垂れて黒ずんでいる。


家々の前に立つ人々は、勝利の軍団を迎える熱気もなく、ただ、虚ろな目でこちらを見ているだけだった。


その顔には、深い疲労と、そして諦めにも似た影が落ちていた。


「…どうしたというのだ」


俺の隣で、キケロ様が訝しげに呟いた。


「まるで、大地そのものが、病に罹っているかのようだ」


冬営地に到着した我々を出迎えたのは、副司令官のラビエヌス様と、ガリア本土の統治を任されていたトレボニウス様だった。


だが、彼らの顔に、凱旋した仲間を労うような笑顔はなかった。


その表情は、まるで敗戦の報せでも受け取ったかのように、硬く、そして険しい。


その夜、カエサルの司令部天幕には、重苦しい沈黙が支配していた。


ラビエヌス様が、山と積まれた羊皮紙の報告書を前に、重々しく口を開いた。


「閣下。お戻りになられたところ、大変申し上げにくいのですが…」


彼の声は、いつになく乾いていた。


「この夏、ガリア全土を、記録的な大干ばつが襲いました。川は干上がり、井戸は枯れ、そして…収穫は、皆無に等しい」


トレボニウス様が、その言葉を引き継いだ。


「各地の同盟部族からの報告です。彼ら自身の食料さえ、来年の春まで持つかどうか。ましてや、我々の軍団を養うだけの余力など、どこにも残っておりません」


天幕の中が、凍りついた。


ブリタンニアでの軍事的勝利など、一瞬で吹き飛んでしまうほどの、絶望的な報せ。


我々の敵は、もはやガリアの戦士ではない。飢えだ。全ての兵士の腹を満たさなければならない、という、最も根源的で、そして最も残酷な敵。


指揮官たちは、感情的なうめき声を漏らし、天幕は絶望的な憶測と混乱に包まれた。


その混沌とした空気の中、カエサルは静かに手を上げた。それだけで、全ての雑音がぴたりと止む。


彼は、山と積まれた報告書の羊皮紙を一瞥し、そして、俺、レビルスをまっすぐに見据えた。


「レビルス筆頭百人隊長」


彼の声は、冷静だった。


「今、この天幕を満たしているのは、感情論と、根拠のない絶望だけだ。俺に必要なのは、それではない。数字だ。誰もが否定できぬ、客観的な事実だ」


カエサルは、トレボニウス様が積み上げた羊皮紙の山を指し示した。


「これらの報告書を全て、お前に預ける。全ての情報を整理し、計算し、我々が置かれている状況を、正確に、そして冷徹に、数字で示せ。我々に残された食料は、あと何日分なのか。このままでは、いつ、どこで、何が起きるのか。その全てを、ここにいる全員に、明確に説明するのだ」


それは、この混乱した状況に、一本の揺るぎない「基準」を打ち立てろ、という命令だった。


「…御意に」


俺は、そう答えると、部下たちに命じて、その絶望の塊のような羊皮紙の山を、自らの天幕へと運び込ませた。


俺の仕事が、始まったのだ。


羊皮紙の山を前に、俺は狂ったように計算を始めた。


兵士一人あたりが一日に消費する食料の量。そして、この冬を越すために必要な、天文学的な数字。

俺の頭脳が、冷徹に、そして無慈悲に、一つの答えを導き出していく。


(…駄目だ)


指先が、冷たくなっていくのを感じた。


(このままでは、冬の半ばを越す前に、備蓄は完全に底をつく。兵士たちは、飢え、そして統制を失うだろう。軍団は、内側から崩壊する…)


それは、もはや「危機」などという生易しい言葉で表せるものではなかった。


破滅だ。


俺の計算が、この軍団の、避けようのない破滅的な未来を、正確に描き出していた。


俺は、書き上げたばかりの、絶望的な数字が並ぶ羊皮紙を握りしめた。


カエサルが命じた通り、この冷徹な事実を、あの絶望に沈む指揮官たちの前に、突きつけなければならない。


そして、あの男が、この計算結果を前に、一体どのような「次の一手」を打つのか。


俺は、自分の腹の底から、ブリタンニアの嵐よりも、はるかに冷たい悪寒がせり上がってくるのを感じていた。


本当の戦いは、今、この瞬間から始まるのだと。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!

面白いと思っていただけましたら、ブックマークや下の評価(★★★★★)で応援していただけると、大変励みになります!


【先行公開】最新話はカクヨムで連載中です!

いち早く続きを読みたい方は、ぜひこちらにも遊びに来てください。

[https://kakuyomu.jp/works/16818792438187300822]

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ