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ガリア戦記異聞 とある計算屋の活躍  作者: 奪胎院
第五部 第一幕:第二次ブリタンニア遠征

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第五章:テムズ川へ

嵐の傷跡から、わずか十数日。


ブリタンニアの海岸に、再び共和国の大艦隊がその威容を現した時、この島の空気は、確かに変わった。


我々の手で蘇った船団を前に、「霧の一族」の王カッシウェラウヌスは、その最大の切り札を失ったのだ。

嵐という自然の猛威に我々が屈し、このまま撤退する、という淡い期待。


それは、共和国の不屈の意志と、俺の計算、そして兵士たちの汗によって、完全に打ち砕かれた。


「進軍する!」


カエサルの号令は、もはや迷いも、試練もない、絶対的な勝利への確信に満ちていた。


「敵の心臓部、テムズ川へ! 見えざる王カッシウェラウヌスを、その霧の中から引きずり出す!」


兵士たちの間に、もはや絶望の色はなかった。自らの手で奇跡を起こしたという自信が、彼らを精強な戦士の顔つきに戻していた。俺たちは、再び内陸へと、その歩みを進めた。


チャリオットによる奇襲は、依然として続いた。


だが、その戦法は、もはや俺たちを怯えさせるものではなく、ただ、進軍を遅らせるための、忌々しい羽虫の群れでしかなかった。


「キケロ様! 敵のチャリオット、前方より接近!」


「うむ!」


俺の上官であるキケロ様は、その苦労性の顔に、しかし揺るぎない決意を浮かべて指揮を執る。


「レビルス筆頭百人隊長。君の計算では、どうだ」


「は。敵の狙いは、我々の前衛を足止めし、その隙に側面を突くこと。ですが、同じ手は二度と通用しません」


俺は、地図の上に、新たな布陣を書き込んでいく。


「前衛は亀甲陣で防御に徹し、敵の攻撃を吸収する。その間に、左右の部隊が、スコーピオンを前進させる。敵が前衛に気を取られている間に、左右から『死の海峡』で挟撃します」


俺の計算と、キケロ様の粘り強い指揮、そしてデキムスが提供した海軍兵器。


三つの力が融合した我々の軍団は、もはや霧に惑わされる無力な集団ではなかった。チャリオットの奇襲は、そのことごとくが打ち破られ、敵は損害だけを増やしていく。


数日後、我々はついに、広大なテムズ川の岸辺に到達した。


対岸には、カッシウェラウヌスの軍勢が、最後の抵抗を試みんと、強固な陣地を築いているのが見えた。


川の中には、水面下に無数の杭が打ち込まれ、こちらの渡河を阻んでいる。


「…面倒なことを」


ボルグが、その岩のような顔を険しくして呟いた。


「だが、ライン川に比べれば、ままごと遊びのようなものだ」


その夜の軍議で、カエサルは指揮官たちに問いかけた。


「さて、どう渡る」


その問いに、俺は静かに進み出た。


「閣下。策はあります」


俺は、斥候であるシルウァヌスが命がけで持ち帰った情報を元に、地図の一点を指し示した。


「この地点。敵の陣地から最も離れ、森に隠された場所。川の流れが最も速く、渡河は不可能に見えます。だからこそ、敵の警戒も最も手薄です」


俺は続けた。


「ここに、夜の間に、ガレウス率いる獣人部隊と、ボルグの工兵部隊を送り込みます。獣人たちが対岸の森を制圧し、その間に、ドワーフたちが川底の杭を数本、音もなく引き抜く。夜が明ける頃には、我々の軍団が通れるだけの、小さな道筋ができている計算です」


それは、大胆で、そしてあまりに精密さを要求される作戦だった。だが、カエサルは、俺の言葉に満足げに頷いた。


「よかろう。その策、採用する」


作戦は、完璧に成功した。


夜明けと共に、カエサルは全軍に、敵の正面にある浅瀬への、陽動攻撃を命じた。敵の注意が、その派手な攻撃に引きつけられている、まさにその隙に。


俺たちが確保した、秘密の渡河地点から、デキムスが率いる主力部隊が、静かに、しかし津波のような勢いで、テムズ川を渡りきったのだ。


対岸に、共和国の鷲の旗が立った時、カッシウェラウヌスの軍勢は、完全に不意を突かれ、その戦線はあっけなく崩壊した。


俺たちは、逃げる敵を追って、その本拠地である要塞へと殺到した。


抵抗らしい抵抗は、もはやなかった。


その日の夕暮れ、カッシウェラウヌスの本拠地は、炎に包まれて陥落した。


追い詰められた「霧の一族」の王は、数日後、カエサルの前に、白い旗を掲げて姿を現した。


彼は、もはや王としての威厳もなく、ただ、全てを失った男として、静かに降伏を告げた。


その日の午後、カエサルは指揮官たちを集め、今回の戦後処理について、その方針を告げた。


「カッシウェラウヌスは降伏した。だが、我々は征服者ではない。この地に、共和国の秩序をもたらすために来たのだ」


カエサルは、静かに、しかしはっきりと宣言した。


「よって、我々は彼らの土地を奪うこともしなければ、彼らを奴隷とすることもしない。ただし、共和国への服従は、形で示してもらわねばならん」


彼は、地図の上に駒を置くように、その条件を並べ立てた。


「カッシウェラウヌスと、彼に従う全部族に、人質の提出を命じる。そして、毎年、定められた量の貢物をローマへ納めることを誓わせる。これが、我々の条件だ」


その、あまりに寛大とも思える処置に、指揮官たちは顔を見合わせ、怪訝な表情を浮かべた。やがて、歴戦の百人隊長の一人が、意を決したように口を開いた。


「閣下。我々の流した血を思えば、あまりに寛大な処置かと。差し支えなければ、そのお考えの理由をお聞かせ願えませんでしょうか」


「生ぬるい、か」

と、カエサルは静かに返した。


「我々の目的は、この島を完全に支配することではない。ガリアの冬が近づいている。我々は、これ以上この島に長居はできん。この条件は、他のブリタンニアの部族への見せしめとなり、同時に、我々が迅速に兵を引くための、最も現実的な落としどころだ。我々の真の戦場は、ここではないのだからな」


その言葉に、俺は改めてカエサルの思考の深さを思い知らされていた。彼は、この島の戦いの、さらにその先を見ている。ガリアの、そしてローマの盤上を。


第二次ブリタンニア遠征は、終わった。


嵐による艦隊の喪失という、最大の危機を乗り越え、我々は、この未知の島で、明確な、そして圧倒的な軍事的成果を上げて、ガリアへと帰還することになったのだ。


船の上から、遠ざかっていくブリタンニアの白い崖を眺めながら、俺は、この長くて面倒な戦いが、ようやく終わったことに、心底安堵のため息をついていた。


しかし、それはただの疲労感だけではなかった。

未知の敵、暴力的な嵐、そして失われた艦隊という絶望。そのすべてを、我々は乗り越えたのだ。


俺の計算が、俺の計画が、あのカエサルの前人未到の偉業の、礎の一つとなった。静かで、熱を帯びたような達成感と、あの男を支えられたという自負が、胸の一角を満たしていた。


もちろん、全身を支配しているのは、どうしようもないほどの、圧倒的な疲労感だったが。


その時の俺は、まだ知らなかった。


ガリアの地で、全く新しい、そして、より深刻な戦いが、俺たちを待ち受けていることを。

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