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ガリア戦記異聞 とある計算屋の活躍  作者: 奪胎院
第一部前半:さすらいのエルフ氏族との戦い
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第一部前半 第五章:アラール川の戦い

壁を放棄したさすらいのエルフ氏族が、西へ向かって進軍を開始したという報せが入ったのは、最初の実戦から数日後のことだった。


カエサルは、即座に追撃を決断。俺たち共和国軍は、再び巨大な多足の獣となって、彼らの後を追うことになった。


行軍は、過酷を極めた。 敵は、エルフならではの俊敏さで、森や丘を巧みに利用しながら進んでいく。


対する俺たちは、重い鎧と盾を引きずりながら、ただひたすらに泥道を進むしかない。兵士たちの間には、日に日に疲労の色が濃くなっていった。


「隊長。このままでは、追いつく前にこちらが干上がりますぞ」

副官のボルグが、その岩のような顔を険しく歪めて言った。


「分かっている」

俺は、羊皮紙に書き込んだ行軍計画から顔も上げずに答えた。俺の頭の中は、兵士一人一人の水と食料の消費量、靴底の損耗率、そして休息に必要な時間の計算で、すでに飽和状態だった。補給官の側近だった頃の癖で、俺は戦争ですら、巨大な在庫管理表のように見てしまうのだ。


追撃開始から十日目の朝。斥候が、血相を変えて駆け込んできた。


「報告! 敵の一部隊が、本隊から分離! 前方のアラール川を渡り始めています!」


その報せに、指揮官たちの天幕がにわかに活気づく。


「好機だ!」


「ここで叩くぞ!」という声が上がる。

だが、俺は、その報告に奇妙な違和感を覚えていた。 (なぜ、分離する? なぜ、このタイミングで、わざわざ渡河に時間のかかる川を? まるで、我々に『襲ってください』と言っているようなものではないか…)


俺は、すぐにボルグを呼び寄せた。

「ボルグ。お前は、このあたりの地理に詳しかったな。このアラール川というのは、どんな川だ?」


ボルグは、俺が広げた地図を覗き込み、その黒曜石の瞳を細めた。


「…流れが、異常に緩やかな川です。ドワーフの伝承によれば、川底に巨大な水棲獣が巣食っているとかで、まともな船乗りは近づきません。そして何より、この季節、対岸は深い霧に覆われるはず…」


霧。その一言が、俺の頭の中の計算式を完成させた。

これは、罠だ。 敵は、我々を油断させ、川の中ほどまで誘き出したところで、対岸の霧の中に隠した本隊で奇襲をかけるつもりだ。


俺は、すぐに自分の部隊の持ち場に戻ると、仲間たちを集めた。


「いいか、よく聞け。これから始まるのは、ただの奇襲じゃない。騙し合いだ」


俺は、地面に簡単な図を描いて説明した。


「司令部は、おそらく正面から叩く。だが、俺たちは動かない。俺の計算が正しければ、敵の本当の狙いは、我々の側面にある」


俺は、川岸に広がる、一見何の変哲もない葦の茂みを指差した。


「ボルグ。お前の部隊は、あの葦の中に潜め。絶対に音を立てるな。敵が、俺たちの本隊に食らいついた、その瞬間。背後から、その横っ面を、お前の斧でぶん殴ってやれ」

ボルグは、その作戦の意図を正確に理解したのだろう。彼は、獰猛な笑みを浮かべ、ただ一言、「承知」と答えた。


戦いは、昼過ぎに始まった。 共和国軍の主力部隊が、川を渡る敵の背後を襲う。だが、それは敵の思う壺だった。川の中ほどで待ち構えていた敵の精鋭が、逆に主力部隊に襲いかかり、戦況は一進一退の泥仕合と化した。


そして、俺が予測した通り、対岸の深い霧の中から、敵の別働隊が姿を現した。彼らの狙いは、乱戦となっている主力部隊の、無防備な側面だった。 だが、彼らが上陸しようとした、まさにその場所。 そこには、息を殺して待ち構えていた、ボルグ率いるドワーフの戦士たちがいた。


「うおおおおおっ!」

ボルグの獣のような咆哮が、戦場に響き渡る。 葦の茂みから突如として現れた、重装歩兵の壁。それは、奇襲を仕掛けたつもりのエルフたちにとって、悪夢以外の何物でもなかっただろう。


戦いは、あっけなく終わった。 俺の「計算」と、ボルグの「力」が、完璧に融合した瞬間だった。 俺たちの損害は、軽傷者数名のみ。敵の別働隊は、ほぼ壊滅状態だった。


その日の夕方、俺は一人、川岸で戦後処理の計算をしていた。 そこに、ボルグがやってきた。彼は、俺の隣にどかりと腰を下ろすと、無言で、水袋を差し出してきた。


「…あんたの計算は、いつも正しいな」


ぶっきらぼうな、しかし紛れもない、賞賛の言葉だった。


「いや」と、俺は首を振った。

「俺のは、ただの予測だ。それを現実に変えたのは、お前の力だ」


俺たちは、それ以上何も言わなかった。

ただ、血で赤く染まった、緩やかな川の流れを、二人で黙って見つめていた。 この無骨なドワーフとなら、あるいは、この地獄のような戦争を、生き延びられるかもしれない。


俺は、柄にもなく、そんなことを考えていた。



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