第三章:海将の慧眼
チャリオット戦術の前に、我々の軍団は完全に手詰まりとなっていた。
損害は日に日に増え、兵士たちの士気は、ブリタンニアの冷たい霧雨のように、じっとりと、しかし確実に蝕まれていく。
その夜、カエサルは全指揮官を司令部の天幕に召集した。軍議のためだった。
天幕の中は、重苦しい沈黙に支配されていた。
地図を囲む指揮官たちの顔には、疲労と、そして何より、この捉えどころのない敵に対する苛立ちが色濃く浮かんでいる。
「…何か、策はないのか」
カエサルの静かな問いに、誰も答えることができない。
猛将として知られる百人隊長たちが、口々に悔しさを滲ませる。
「奴らは、決して我々と正面から戦おうとはしません!」
「霧の中から現れ、霧の中へ消える。まるで幽霊のようです!」
「重装歩兵の足では、とても追いつけません!」
陸戦の専門家である彼らの常識と経験は、この島の異質な戦い方の前では、完全に無力だった。
俺、レビルスも、筆頭百人隊長として末席に座りながら、ただ唇を噛み締めることしかできなかった。
俺の計算も、敵の位置という最も基本的な変数がなければ、何の役にも立たない。
この数日間、俺は指揮官として、ほとんど機能していなかった。
その、重苦しい沈黙を破ったのは、意外な人物だった。
これまで、陸の戦いには口を挟むことなく、ただ静かに戦況を見守っていた、若き艦隊司令官デキムス。
「…閣下。一つ、よろしいでしょうか」
天幕の中の全ての視線が、彼に注がれる。
「陸と海、戦場は違えど、理屈は同じかと存じます」
デキムスは、その若々しい顔に、海のように澄んだ、しかし揺るぎない光を宿して言った。
「海戦において、俊足の敵艦を、鈍足の船で追いかけるのは愚策中の愚策。追いかけるのではなく、敵が動けなくなる海域を作り出し、そこに誘い込むのが定石です」
彼は、地図の上で、森と平原の境界線を指し示した。
「我々には、船に搭載している、小型で速射式の投石機があります。**『スコーピオン(蠍)』**と呼ばれる、強力な兵器が」
スコーピオン。その名に、陸戦の指揮官たちは怪訝な顔をした。あれは、船の上から敵船の帆や甲板を狙うための、海軍の兵器のはずだ。
だが、デキムスの発想は、彼らの想像を超えていた。
「そのスコーピオンを、陸揚げして使うのです。この森の左右の端に、数十台ずつ、隠して配置する。そして、我々の軍にいる俊足のエルフや獣人兵で編成した特別機動部隊が囮となって、敵のチャリオットをこの平原へと誘い出す。奴らが、我々の機動部隊に食らいつこうと突撃してきた、まさにその瞬間。左右から、スコーピオンの矢の雨を浴びせかけるのです」
彼は、地図の上に、二本の線を引いた。
「いわば、陸の上に**『死の海峡』**を作り出すのです。一度その海峡に入れば、チャリオットの機動力は完全に殺され、ただの的と化すでしょう」
その、海軍ならではの大胆な発想に、天幕の中の指揮官たちは、息をのんだ。誰もが、目から鱗が落ちる思いだった。
だが、次の瞬間、彼らの顔には新たな疑問が浮かぶ。「そんなことが、本当に可能なのか?」と。
その問いに、誰よりも早く答えた男がいた。
俺、レビルスだった。
デキムスが「死の海峡」という言葉を口にした瞬間、俺の頭脳は、止まっていた歯車が噛み合うように、凄まじい速度で回転を始めていた。
俺は、立ち上がると、デキムスが線を引いた地図の上に、狂ったように数字と記号を書き込み始めた。
「…可能です」
俺の声は、自分でも驚くほど、確信に満ちていた。
「敵のチャリオットの平均速度、投槍の射程、そしてスコーピオンの矢が描く放物線の弾道。それらを計算に入れると、最適な伏兵の位置は、ここ。そして、ここだ」
俺は、地図の上の二つの地点を、力強く指し示した。
「囮の機動部隊が、この地点を通過した、三秒後。それが、射撃開始の合図です。早すぎれば敵に避けられ、遅すぎれば味方を巻き込む。だが、このタイミングで撃てば、敵のチャリイオット部隊の、少なくとも七割は行動不能に陥る計算です」
天幕の中が、水を打ったように静まり返った。
海将の、常識を打ち破る「慧眼」。
そして、計算屋の、それを現実の戦術へと落とし込む「頭脳」。
二つの若き才能の融合を目の当たりにした指揮官たちは、ただ呆然としていた。
やがて、カエサルが、満足げに頷いた。
その顔には、この膠着した戦況を打ち破る、確かな光が見えたという、喜色が浮かんでいた。
「…見事だ。デキムス、そしてレビルス」
カエサルは、俺たち二人の名を呼び、そして、宣言した。
「その作戦、承認する。存分に、その腕を振るうがいい」
その夜、俺の天幕には、デキムスが訪れていた。
俺たちは、言葉少なに、作戦の最終的な詰めを行っていた。
俺の計算と、彼の経験が、一つの完璧な殺戮の計画を、静かに練り上げていく。
俺は、初めて、このブリタンニアの地で、確かな手応えを感じていた。
俺の計算は、まだ死んではいなかった。
そして、俺には、この面倒で、しかし頼もしい仲間たちがいる。
俺は、明日、この島の霧を晴らすための、最初の一手を打つつもりだった。
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