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ガリア戦記異聞 とある計算屋の活躍  作者: 奪胎院
第五部 第一幕:第二次ブリタンニア遠征

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第一章:船出

夏。ガリア北部のイティウス港は、共和国の威信を懸けた、狂気じみた熱気に満ちていた。


目の前の海を埋め尽くす、八百隻を超える大艦隊。


それは、もはや軍隊というより、一つの国家が丸ごと海を渡ろうとしているかのような、圧倒的な光景だった。


俺、レビルスがデキムスやボルグと共に設計に関わった、喫水が浅く、ずんぐりとした新型の輸送船。


それを護衛するように、鋭い衝角を備えた軍船が、幾重にも隊列を組んでいる。


「…壮観ですな、筆頭百人隊長殿」


隣に立つ、若い旗手のルキウスが、興奮に声を上ずらせて言った。その声に含まれる「筆頭百人隊長」という響きが、俺の胃のあたりを重くさせる。


そうだ。俺は、この冬の間に、百人隊長から筆頭百人隊長へと、異例の昇進を遂げていた。


第七軍団から、新任の副将キケロ様が率いる軍団へと、事実上の引き抜きという形で。一個大隊コホルス以上の指揮権と、数千の兵士の命の重さ。その全てが、俺の肩にのしかかっていた。


(勘弁してくれ…)


心の中で、何度目になるか分からない悪態をつく。平穏に任期を終えて後方勤務に戻る、という俺のささやかな夢は、もはやガリアの霧の彼方に消え去ってしまったらしい。


「レビルス殿」


背後から、落ち着いた、しかしどこか疲労の色が滲む声がした。


振り返ると、この軍団の指揮官、クィントゥス・トゥッリウス・キケロ様が立っていた。有名な文豪である兄とは似ても似つかぬ、苦労性の実務家といった風貌の男だ。


「出航の準備は、計算通りに進んでいるかね?」


「は。今のところは」


と、俺は答えた。


「ですが、この海域の天候は、俺の計算が最も通用しない未知の変数です。万が一に備え、各船の連携と、緊急時の連絡系統だけは、再度ご確認を」


「うむ。君の言う通りだ」


キケロ様は、俺の報告に真摯に耳を傾け、頷いた。


「君の計算は、常に最悪の事態を想定している。それが、この軍団の『盾』となる。頼りにしているぞ」


その言葉に、俺はただ頭を下げるしかなかった。この新しい上官は、猛将でもなければ、天才的な戦略家でもない。


だが、彼は決して驕らず、他者の意見に耳を傾け、そして、一度決めたことは粘り強くやり遂げる、という美徳を持っていた。

俺とは全く違う種類の人間だが、不思議とやりにくさは感じなかった。


俺は、自分の「家族」たちが待つ、割り当てられた輸送船へと向かった。


「おいおい、筆頭様のお通りだぜ」


古参兵のセクンドゥスが、いつものように軽口を叩く。


「隊長が、どんなに偉くなろうが、俺たちのやることは変わらん。敵をぶん殴るだけだ」


獣人のガレウスは、初めて見る大艦隊に、獰猛な笑みを浮かべていた。


ボルグは、何も言わなかった。ただ、俺の新しい、筆頭百人隊長を示す豪奢な兜飾りをじっと見つめ、そして、まるで「お前の背中は、俺が守る」とでも言うように、力強く一度だけ頷いた。


やがて、カエサルの旗艦から、出航を告げる角笛が、空高く鳴り響いた。


八百隻の船が、一斉に帆を上げ、櫂を漕ぎ出す。その光景は、まさに圧巻だった。


数日間の航海の末、我々は再び、あの白い崖の島、ブリタンニアの岸辺にたどり着いた。


だが、前回とは様子が違っていた。崖の上にも、海岸にも、人影一つない。ただ、不気味なほどの静寂が、俺たちを迎えていた。


「…どういうことだ?」


デキムスが、訝しげに呟いた。


「我々の大艦隊を見て、戦わずして逃げ出したか」


カエサルは、そう言って不敵に笑った。


上陸は、何の抵抗もなく行われた。兵士たちは、拍子抜けしたように顔を見合わせ、そして、戦わずに済んだという安堵の息を漏らした。


だが、俺の心の奥底では、警鐘が鳴り響いていた。この静けさは、あまりに不自然だ。


俺の隣で、エルフの斥候シルウァヌスが、その美しい顔をわずかに曇らせていた。


「…隊長。この島の空気が、変わりました」


「どういう意味だ?」


「分かりません。ですが、風が、奇妙な囁きを運んできます。まるで、森全体が、我々を嘲笑っているかのような…」


その日の夜、野営地で焚き火を囲む兵士たちの間で、一つの噂が囁かれ始めた。


この島の民は、人間でありながら、ガリアの者たちから**「霧の一族」**と呼ばれている、と。


彼らは、戦場で霧のように現れ、こちらの陣形を掻き乱すと、また霧のように姿を消してしまう。その戦い方は、あまりに捉えどころがなく、まるで幻と戦っているかのようだ、と。


俺は、その非論理的な噂話を、一笑に付そうとした。


だが、シルウァヌスの言葉と、この島の不気味なまでの静けさが、俺の計算能力を、じわじわと、しかし確実に狂わせていくのを、俺は感じずにはいられなかった。

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