第十一章:一時の平穏と次なる嵐
その年の戦いは、全て終わった。
俺たちは、ようやく見慣れた冬営地へとたどり着き、凍てつく冬を越すための、粗末だが頑丈な兵舎と、そして熱い湯を湛えた共同浴場が、何も変わらずに俺たちを待っていた。
兵士たちは、泥と血にまみれた鎧を脱ぎ捨てると、歓声を上げて、故郷のように懐かしいその場所へと駆け込んでいった。
ライン川、ブリタンニア、そしてモリニ族。あまりに長く、そしてあまりに混沌とした一年が、ようやく終わったのだ。
冬営が始まって一月ほどが過ぎた頃、野営地には、一時の平穏が訪れていた。
兵士たちの間では、ブリタンニアでの苦戦が、酒の肴になっていた。
「あれだけの犠牲を払って、得たものは何もない」
「総司令官も、今度ばかりは計算を誤ったのではないか」。
そんな声が、公然と囁かれている。軍団の士気は、目に見えて低下していた。
そんなある日、ローマ本国からの使者が、カエサルの本陣に駆け込んできた。
誰もが、この「失敗」に対する、元老院からの叱責を覚悟していた。
だが、使者がもたらしたのは、俺たちの想像を絶する報せだった。
「――元老院は、ガイウス・ユリウス・カエサル総司令官が、前人未到の地、ブリタンニア島に、共和国の鷲の旗を打ち立てたという偉業に対し、二十日間もの感謝祭を布告することを決定した!」
その報せに、兵士たちは、ただ呆然としていた。
失敗ではなかったのか? 我々は、英雄なのか?
だが、その困惑は、すぐに現金な、しかし偽りのない歓声へと変わっていった。
故郷が、自分たちの苦闘を「偉業」として認めてくれた。その事実だけで、彼らがこの島で流した血と汗は、報われたのだ。
その数日後、感謝祭の熱狂が冷めやらぬ中、カエサルは高級将校たちを司令部天幕に集めた。その年の活動を総括するためだった。
天幕の中は、安堵感と疲労感に満ちていた。だが、その空気を切り裂いたのは、ガリア本土の守りを固めていたラビエヌスからの、厳しい報告だった。
「閣下。兵士たちの間では平穏な空気が流れておりますが、ガリアの大地は、静かに、しかし確実に、次なる嵐への備えを始めています」
ラビエヌスに続き、トレボニウスも報告する。
「各地で、ドルイド僧たちの密かな会合が頻繁に行われているとの情報が入っています。彼らは、部族を超えた繋がりを持つ。そして、彼らが何を企んでいるのか、我々はまだ掴めていません」
そして、ラビエヌスは地図の中央、オーヴェルニュ地方を指し示した。
「そして何より、『王家のエルフ氏族』の沈黙が、気になります。彼らは、我々の遠征の成否を、静かに見定めていた。そして、我々が疲弊したこの冬こそ、最大の好機と見ているかもしれん」
その報告に、天幕の中の和やかな空気は消え去り、指揮官たちの顔に再び緊張が走った。カエサルは、その全ての報告を、ただ静かに頷いて聞いていた。
その夜、俺は一人、自分の天幕で地図を広げていた。
感謝祭の報せがもたらした熱狂の渦の中で、俺は冷たい真実に気づいた。ラビエヌスやトレボニウスといった、一部の高級将校たちも、おそらくは同じ結論に至っているだろう。
そうだ。そういうことだったのか。
この戦争の勝敗は、このガリアの地だけで決まるのではない。
カエサルは、ブリタンニアで戦っている間、同時に、ローマでも戦っていたのだ。
「未知の島に、人類史上初めて、ローマの軍団が上陸した」
その、たった一行の報告。それが、ローマの民衆と元老院に、どれほどの衝撃と興奮を与えるか。彼は、それを完璧に計算していたのだ。
戦場での小さな「敗北」は、ローマでの巨大な政治的「勝利」の前では、何の意味もなさない。
俺は、カエサルという男の、常人には理解できぬ壮大な戦いの盤上にいる。その事実に、もはや恐怖も、戦慄も感じていなかった。
ただ、静かな、そして揺るぎない、一つの感情が、俺の心の奥底に、確かな根を下ろし始めていた。
この男が成し遂げようとしている偉業を、そして、あの嵐の中で最前線に立ち続けた、カエサルという「人間」を、この目で見届けたい。
その、ほとんど信仰にも似た、複雑で、しかし強固な忠誠心が、そこにはあった。
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