表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ガリア戦記異聞 とある計算屋の活躍  作者: 奪胎院
第四部:ガリアの外へ - ライン川とブリタンニア

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

49/97

第八章:西の果てへ

ライン川の橋が、まるで夢であったかのように跡形もなく消え去った後、軍団には短い休息が与えられた。


だが、その休息は、次なる狂気への助走に過ぎなかった。カエサルは、ライン川の岸辺で、次の作戦を告げた。


「これより、軍を二手に分ける! 俺が率いる本隊は、ここから西へ、ガリアの果てにあるイティウス港を目指す! ブリタンニアへ渡るためだ!」


兵士たちの間に、どよめきが広がる。


そして、カエサルは艦隊司令官のデキムスに向き直った。


「デキムス! 貴官は、ここから南西のロワール川へ向かい、艦隊を掌握せよ。その後、全艦隊を率いて、海路でイティウス港へ向かえ。我々と、そこで合流する」


それは、陸と海、二つの壮大な強行軍を同時に行うという、常軌を逸した計画だった。


「…御意に」


デキムスは、その若々しい顔に決意をみなぎらせ、力強く頷いた。


その日から、俺たち遠征軍は、二つの流れに分かれた。


俺たち本隊は、ひたすらに西を目指す。


ライン川での共和国の威光を見せつけられたガリアの諸部族は、もはや我々の軍団に刃向かう気力さえ失っているようだった。


戦いらしい戦いもなく、ただひたすらに続く行軍は、兵士たちに奇妙な弛緩と、これから始まる未知の遠征への漠然とした不安をもたらしていた。


そして、秋が深まる頃、我々はついに、世界の果てを思わせる、広大な海にたどり着いた。


イティウス港。そこには、ロワール川から大西洋の荒波を越え、長い航海の末にたどり着いたデキムスの艦隊が、すでに雄大な姿で俺たちを待っていた。


潮の香りが、内陸育ちの兵士たちの鼻をくすぐる。目の前には、灰色の空と、どこまでも続く灰色の海が広がっていた。


カエサルの次なる目標、「ブリタンニア遠征」の始まりだった。


その夜、司令部の天幕は、これまでにない緊張と、そして無知からくる不安に満ちていた。


カエサルは、まず若き副将のクラッススに問いかけた。


「クラッスス。現状を報告せよ」


「はっ!」

と、クラッススは意気揚々と答えた。

「長距離の行軍でしたが、兵士たちの士気は高く、補給も潤沢です。この地の民(モリニ族)も、我々に協力的で、特に反乱の兆候は見られません。いつでも出航できます!」


「そうか」

と、カエサルは静かに頷いた。

「では、ブリタンニアについては?」


「そ、それは…」

クラッススは、わずかに言葉に詰まった。

「ガリアの商人たちに話を聞いておりますが、どうにも要領を得ず…」


その言葉を受け、カエサルは天幕の中央に視線を移した。


「…レビルス百人隊長。貴官の計算では、どうだ」


俺のその一言に、天幕の中の指揮官たちが、息をのんだ。

俺は、数日間かけて作成した報告書を、無力感と共に差し出した。


「…閣下。計算不能です」


「ブリタンニアに関する情報は、あまりに少なく、そして曖昧です。ガリアの商人たちに話を聞いても、『白い崖の島』『青い化け物が住む森』といった、神話のような話しか出てこない。潮の流れ、天候、現地の部族の兵力、そして彼らの戦い方。その全てが、未知数です」


俺は、苛立ちを隠せなかった。


俺の武器は、計算だ。正確な情報に基づき、敵の動きを予測し、損害を最小限に抑える。

だが、この戦いには、その情報が一切ない。羅針盤も、海図もないまま、嵐の海に乗り出すようなものだ。


俺は、初めて「計算できない戦争」に直面していた。


「面白い」


カエサルは、俺の報告書を一瞥すると、そう言って不敵に笑った。


彼は立ち上がると、俺のそばまでやってきて、その手を、俺の肩に置いた。


「だからこそ、面白いのだ、レビルス。数字だけで勝てる戦など、ただの作業に過ぎん。俺が貴官をこの遠征に連れてきたのは、計算のためだけではない。その計算が通用しない状況で、貴官がどう動き、どう道を切り拓くのか、それが見たいのだ。貴官の本当の価値は、そこにある」


その言葉は、俺の心の奥底に、静かに、しかし深く突き刺さった。この男は、俺の無力さを責めているのではない。俺の未知なる可能性に、期待しているのだ。


「…やってみせろ。計算屋」


カエサルはそう言うと、天幕の中央に戻り、宣言した。


「デキムス!」


艦隊司令官のデキムスが、前に進み出た。


「艦隊の準備は、万全です」


「よろしい。明朝、出航する」


その決定に、天幕の中がどよめいた。だが、先ほどまでの俺のような、不安に満ちたものではなかった。


カエサルの言葉が、俺だけでなく、そこにいた全ての指揮官たちの心に、未知への挑戦という名の、新たな火を灯したのだ。


自分の天幕に戻ると、俺は、ほとんど空白だらけのブリタンニアの地図を、ただ見つめていた。

カエサルの言葉が、頭の中で何度も繰り返される。『貴官の本当の価値は、そこにある』と。


「…隊長。地図を睨んでも、答えは出ませんぞ」


副官のボルグが、静かに声をかけてきた。


俺は、力なく首を振った。


「分かっている。だがな、ボルグ…計算できなければ、俺はどうすればいい…?」


その声は、自分でも驚くほど、弱々しかった。


「計算だけが、戦ではないでしょう」


天幕の隅で、エルフのシルウァヌスが、静かにお茶を淹れながら言った。


「…海の向こうからは、奇妙な風が吹いてきます。我らの知る、どの精霊とも違う、古く、そして荒々しい気配。計算できないのなら、感じるしかありません」


感じる、だと…?


カエサルも、シルウァヌスも、同じようなことを言う。俺は、その非論理的な言葉に反論する気力もなく、ただ、自分の無力さに、深く溜息をついた。


翌朝、夜明けと共に、我々はデキムスが率いる艦隊に乗り込んだ。


数百隻の輸送船と、それを守る軍船が、港を埋め尽くしている。その光景は壮観だったが、俺の心を晴らすことはなかった。


カエサルは、旗艦の船首に立ち、兵士たちを鼓舞していた。彼の言葉は、もはや計算や論理ではない。栄光、名誉、そして共和国の未来。兵士たちの心を酔わせる、甘美な言葉の連なりだった。


やがて、出航の角笛が鳴り響く。


俺は、自分の「家族」たちと共に、輸送船の甲板に立っていた。


ボルグが、船酔いを堪えるように、難しい顔で遠くを見つめている。ガレウスは、初めて見る海に、子供のようにはしゃいでいた。


俺は、ゆっくりと陸から離れていくガリアの大地と、その向こうに広がる、霧に包まれた未知の海を、ただ黙って見つめていた。


足元が、不確かに揺れる。


俺は、自分が築き上げてきた、計算という名の確固たる大地から、混沌という名の海へと、今、否応なく漕ぎ出そうとしていた。


その先に何が待っているのか、俺の頭脳は、何の答えも、導き出してはくれなかった。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!

面白いと思っていただけましたら、ブックマークや下の評価(★★★★★)で応援していただけると、大変励みになります!


【先行公開】最新話はカクヨムで連載中です!

いち早く続きを読みたい方は、ぜひこちらにも遊びに来てください。

[https://kakuyomu.jp/works/16818792438187300822]

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ