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ガリア戦記異聞 とある計算屋の活躍  作者: 奪胎院
第四部:ガリアの外へ - ライン川とブリタンニア

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第七章:十日間の奇跡

不可能への挑戦が始まった。


その日から、ライン川の西岸は、共和国という国家が持つ、恐るべき工学技術の全てを注ぎ込んだ、巨大な建設現場へと姿を変えた。


数万の兵士たちが、剣を槌に、盾を鋸に持ち替え、一つの巨大な意志の下に動く。

森からは、木々が切り倒される音が絶え間なく響き渡り、川岸では、巨大な杭を打ち込むための掛け声が、昼夜を問わずこだましていた。


その狂気じみた事業の中心で、俺とボルグは、それぞれの戦場に立っていた。


俺、レビルスの戦場は、川岸から少し離れた場所に設営された、司令部の天幕だった。

俺は、壁一面に張り巡らされた巨大な工程表と睨み合い、全体の進捗管理と、次々と発生する問題への対応に追われていた。


「第十大隊のマルクス殿から報告! 上流の森林で切り出した木材の輸送が、ぬかるみで遅延している、と!」


「分かっている! 第七軍団のファビウス殿に伝えろ! 予備の輸送部隊を、ただちにマルクス殿の元へ向かわせろと! それで、計算上は三時間で遅れを取り戻せるはずだ!」


伝令たちが、俺の天幕を嵐のように出入りしていく。

各作業を取りまとめる百人隊長たちからの進捗報告を受け、現場から次々と上がってくる課題に対し、俺は即座に計算し、対策を指示する。


俺の頭脳は、この巨大な事業を動かす、唯一無二の心臓部となっていた。


そして、その心臓部が最も信頼を寄せる「手足」であり、この事業の成否を握る最重要区画を担っていたのが、副官のボルグだった。


彼の戦場は、ライン川の激流そのものだった。彼は、この橋の基礎となる橋脚の設置、その全ての技術指導を任されていた。


「角度が違う! その杭では、川の神の怒りに触れるぞ!」


ボルグの腹の底から響くような声が、川岸に響き渡る。彼は、俺が描いた設計図を、その職人としての魂で、現実の形へと変えていく。


共和国の兵士たちは、最初はその原始的とも思える手法に戸惑っていたが、ボルグが打ち込んだ杭が、ライン川の激流に微動だにしないのを見て、やがて絶対的な信頼を寄せるようになっていた。


俺の「計算」と、ボルグの「工芸」。


そして、それを実現させる、数万の兵士たちの、規律と労働力。


三つの力が完璧に融合した時、奇跡は起きた。


建設開始から、十日目の朝。


ライン川の上に、巨大な木造の橋が、その威容を現した。

四百メートルの川幅を、一直線に貫く、壮麗で、そしてあまりにも頑健な橋。それは、もはやただの橋ではなかった。自然の暴力に対する、人間の、そして共和国の意志が打ち立てた、巨大な勝利の記念碑だった。


兵士たちは、自らが成し遂げた偉業を前に、ただ呆然と立ち尽くし、やがて、地鳴りのような歓声を上げた。


その日の午後、カエサルは、全軍団を率いて、その橋の袂に立った。


彼は、完成した橋を一瞥すると、俺のそばへやってきた。そして、その手を、俺の肩に置いた。


「…見事だ」


ただ、その一言だけだった。


だが、その短い言葉と、肩に感じる確かな重みが、俺の心の奥底に、これまでに感じたことのない、熱い何かを灯した。


畏怖ではない。恐怖でもない。


この男が描く、常人には理解できぬ壮大なビジョンの一端を、俺は確かに担ったのだ。その、初めての自覚。そして、それは、忠誠心と呼ぶにはあまりに複雑で、しかし確かな、感情の芽生えだった。


カエサルは、軍団を率いて、ゆっくりと橋を渡り始めた。


彼の目的は、戦闘ではなかった。彼は、ゲルマンの地を短期間だけ行軍し、いくつかの無人の村を焼き払うと、すぐに橋を引き返してきた。


ただ、「共和国はライン川を越えることができる」という、圧倒的な事実を、ガリアと、そしてライン川の向こうの全ての魔族に見せつけるためだけに。


ガリア側の岸辺に全軍が戻った時、兵士たちは達成感に満-ち溢れていた。俺も、そしてボルグも、自分たちの「作品」を誇らしげに見上げていた。


だが、その時、カエサルが下した命令は、俺たちの耳を疑わせるものだった。


「――この橋を、解体せよ」


広場が、水を打ったように静まり返った。


兵士たちは、今、自分たちが聞いた言葉の意味を、理解できずにいた。


十日間、不眠不休で作り上げた、この奇跡の橋を、壊す? なぜだ?


ボルグが、信じられないという顔で俺を見た。俺も、同じ気持ちだった。俺の計算も、ボルグの技術も、兵士たちの汗も、全てが無に帰すというのか。


だが、カエサルは、そんな俺たちの動揺など意にも介さず、静かに続けた。


「この橋の役目は、終わった」


その瞬間、俺は、再び雷に打たれたような衝撃を受けた。


そうだ。役目は、終わったのだ。


この橋の真の目的は、「渡る」ことではなかった。「渡れると見せつける」ことだったのだ。そして、その目的は、完全に達成された。


ならば、この橋は、もはや不要なのだ。それどころか、残しておけば、ゲルマンの民が逆に渡ってくる口実を与えかねない。


俺は、カエサルという男の戦場が、ガリアの森や川だけではない、もっと広大な場所にあることを、改めて痛感していた。


戦争とは、剣と槍だけで行われるものではない。時には、一本の橋が、数万の軍団よりも雄弁に、敵の心を砕くことがある。

そして、その価値がなくなった時、躊躇いなくそれを壊せる非情さこそが、真の戦略家なのだと。


俺は、自分の才能の結晶が、今から目の前で壊されていくというのに、不思議と、悔しさはなかった。


ただ、この男の思考の、そのあまりの巨大さに、畏敬の念にも似た感情を抱いていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!

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