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ガリア戦記異聞 とある計算屋の活躍  作者: 奪胎院
第四部:ガリアの外へ - ライン川とブリタンニア

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第三章:計算外の奇襲

川を挟んだ睨み合いが始まって、三日が過ぎた。


俺、レビルスは、自分の天幕にこもり、斥候が命がけで持ち帰ってくる断片的な情報を、巨大な羊皮紙の上で一つの戦術地図へと再構築していた。


敵の兵力、およそ四万。うち、戦闘に即応できるのは三万。渡河可能な浅瀬は三箇所。最短で我が軍の本陣に到達するルートは…。


俺の頭脳は、無数の変数を処理し、一つの結論を導き出していた。


その日の午後、俺はその報告書を携え、カエサルの本陣天幕へと向かった。


「…以上が、俺の計算です」


俺は、カエサルの前に地図を広げ、説明を終えた。


「『流浪の民』の狙いは、本陣への総攻撃ではありません。彼らは、交渉が長引く間に、こちらの最も手薄な部分を叩き、戦意を削ごうとするでしょう。最も危険性が高いのは、川岸で警戒を続ける、我が軍の斥候部隊です。彼らを少数で襲撃し、一方的に蹂躙することで、こちらの士気を乱す。それが、彼らの描く最も効率的な一手です。斥候部隊の陣容を厚くし、警戒レベルを上げるべきです」


カエサルは、俺の報告書を一瞥すると、表情一つ変えずに言った。


「…見事な計算だ、レビルス。貴官の言う通りだろう」


だが、彼の反応はそれだけだった。彼は、俺の報告書を脇に置くと、まるで何事もなかったかのように、別の公文書に目を通し始めた。


「閣下!」

と、俺は思わず声を上げた。

「今すぐ、斥候部隊に増援を送るべきです! 敵が動く前に!」


「ならん」


カエサルは、羊皮紙から顔も上げずに答えた。


「交渉は、まだ続いている。こちらから先に陣容を変えれば、敵を刺激し、和平の道を閉ざすことになる。それは、共和国の信義に反する」


「ですが!」


「下がれ」


その静かな、しかし絶対的な一言に、俺はそれ以上何も言えず、ただ敬礼し、天幕を後にするしかなかった。


(…なぜだ!)


自分の天幕に戻る道すがら、俺は腹の底で叫んだ。


あの男が、そんな感傷的な理由で動かないはずがない。


俺の計算には、何か見落としがあったというのか? なぜ、カエサルは俺の案を採用しなかった? 兵士の命を、危険に晒してまで、得られるものとは一体何なのだ?


俺は、自分の立てた完璧なはずの計算が、カエサルという巨大な存在の前で、まるで意味をなさないかのような無力感に苛まれていた。


その時だった。


野営地の前方、川岸に近い斥候部隊の宿営地から、突如として、絶叫と、鉄と鉄がぶつかり合う甲高い音が響き渡ったのだ。


「敵襲! 敵襲!」


野営地が、一瞬で蜂の巣をつついたような騒ぎになる。


俺が川岸に駆けつけると、信じられない光景が広がっていた。


数百の魔族の戦士たちが、川を渡り、交渉期間中であるはずの我が軍の斥候部隊に、一方的な奇襲を仕掛けていたのだ。


抵抗らしい抵抗も見せず、斥候たちは為す術もなく逃げ惑い、その隊列は無残に引き裂かれていく。


「なぜだ! なぜ、俺の進言を聞き入れなかった!」


俺は、目の前の光景を理解できずに、絶叫した。これは、防げたはずの悲劇だった。


だが、その混乱の極みにある戦場で、ただ一人、冷静な男がいた。


カエサル。


彼は、いつの間にか俺のすぐ後ろに立っていた。その顔には、驚きも、怒りもない。ただ、凍てつくように冷たい光が、その瞳に宿っていた。


彼は、血まみれで逃げ延びてきた斥候部隊の生き残りに、静かに、しかしはっきりと問いかけた。


「…敵が、先に手を出したのだな?」


その一言を聞いた瞬間、俺はすべてを理解した。


背筋に、氷の刃を突き立てられたかのような、冷たい悪寒が走った。


カエサルは、俺の計算など、とうに見抜いていた。

その上で、あえて斥候部隊を「餌」として、そのまま配置したのだ。彼が欲しかったのは、斥候部隊の安全ではない。


この一方的な殲滅戦を正当化するための、絶対的な「大義名分」。


俺は、自分が駒として動かされている盤の、そのあまりの巨大さと、そして、その盤を支配する男の、底知れぬ恐ろしさに、ただ、呆然と立ち尽くすことしかできなかった。


その日の夜、俺はマルクス筆頭隊長の天幕に呼び出された。


「…納得がいかん、という顔だな、計算屋」


彼は、俺に葡萄酒を注ぎながら、静かに言った。


「今日の斥候部隊だがな。カエサル閣下から、俺を通じて厳命が下っていた。『決して深追いするな。敵が川を渡ってきたら、抵抗せずに、すぐに退却せよ』とな。今日の損害は、閣下の計算の内だ。そして、その犠牲は、最小限に抑えられている」


俺は、言葉を失った。あの男は、兵士の命を駒としながらも、決して無駄死にはさせないのか。


俺は、カエサルという男の恐ろしさと、そしてその底にある、常人には理解できぬ「何か」を思い、ただ、黙って葡萄酒を飲み干すことしかできなかった。

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