第一章:冬の評定と、狼たちの勘定書
ガリアに、三度目の冬が訪れた。
戦火の匂いを洗い流すかのように、冷たく湿った雪が大地を覆い隠していく。アキテーヌを平定した俺たち第七軍団をはじめ、ガリア全土に散っていた軍団は、再び中央拠点へと集結した。
兵士たちは、ようやく掴んだ休息に安堵し、故郷の話に花を咲かせている。だが、その年の戦果を報告し、来年度の計画を練るための高級士官会議が開かれるとあって、司令部周辺は凍てつくような緊張感に包まれていた。
俺、レビルスは、第七軍団の筆頭百人隊長ファビウス殿の計らいにより、特例としてその会議の末席に座ることを許されていた。本来、一介の百人隊長が足を踏み入れることのできる場所ではない。俺は、できるだけ気配を消し、この面倒事が早く終わることだけを願っていた。
天幕の中央には、巨大なガリアの地図が広げられている。その地図を囲むように、この一年、各地の地獄を生き抜いてきた指揮官たちが顔を揃えていた。革と鉄の匂い、そして男たちの熱気が、天幕の中を満たしている。
やがて、カエサルが副司令官のラビエヌスを伴って姿を現すと、その場の空気が一瞬で引き締まった。
「まずは、アルプス方面からだ。ガルバ」
カエサルの静かな声に、壮年の将軍ガルバが一歩前に出た。彼の顔には、苦渋が刻まれている。
「…我が第十二軍団は、『天険の獣人氏族』の奇襲を受け、壊滅的な打撃を受けました。兵の三分の二を失い、あと一歩で全滅というところでした」
天幕の中が、どよめいた。だが、ガルバは続けた。
「しかし、カエサル閣下の命令を受け、ラビエヌス副司令官が予備兵力を率いて救援に駆けつけてくださいました。彼の巧みな用兵が敵の追撃を断ち切り、我々は全滅を免れたのです」
ガルバは、ラビエヌスに向かって深々と頭を下げた。
「この借りは、必ず戦場でお返しする」
ラビエヌスは、その美しいエルフの顔に一切の感情を浮かべず、ただ静かに頷いた。カエサルは、ガルバの労をねぎらうと共に、ラビエヌスの功績を全指揮官の前で、静かに、しかしはっきりと称賛した。
次に、北西部を平定したサビヌスとコッタが前に進み出た。
「猪の民の猛進と、山猫の民の奇襲には手を焼きましたが、最終的には我が軍団の力で完全に鎮圧いたしました!」
猛将サビヌスが、勝ち誇ったように報告する。だが、その隣で、慎重派のコッタが静かに付け加えた。
「…しかし、その代償はあまりに大きい。これが、その損害報告書です」
そう言って差し出された羊皮紙の束の厚さに、何人かの指揮官が息をのんだ。サビヌスは、苦々しい顔でコッタを睨みつけている。二人の間の深い溝が、誰の目にも明らかだった。
続いて、艦隊司令官のデキムスが、サビヌスやコッタといった陸戦の指揮官たちに向けて報告を始めた。
「『鉄鎖海岸のドワーフ』の船は、我々のものより遥かに頑丈で、彼らの操船術も巧みだった。我々の投槍も届かず、接舷しての白兵戦も困難を極めた」
彼の報告に、陸の指揮官たちが海の戦いの異質さにどよめく中、その戦いに同行していたカエサルが静かに補足した。
「だが、我々は敵の弱点を見抜いた。彼らの船の帆を操る『帆綱』だ。我々は、長い竿の先に巨大な鎌を取り付けた特殊な兵器を用意し、それで敵の帆綱を次々と切断した。機動力を失った船は、もはやただの的だ。この勝利は、力ではなく、我々の創意工夫がもたらしたものだ」
カエサルの言葉に、天幕の中は感嘆の声に包まれた。
そして、最後に、クラッススが意気揚々と前に出た。
「我が第七軍団は、アキテーヌを完全に平定いたしました! 敵は、ローマ流の戦術を用いる知的な相手でしたが、我が軍団の百人隊長、レビルスの立てた奇策の前に、為す術もなく敗れ去りました!」
クラッススは、そう言うと、末席に座る俺を、誇らしげに指差した。
その報告を受け、第七軍団の筆頭百人隊長であるファビウスが、冷静に、しかし力強く同意した。
「クラッスス殿の報告に相違ありません。レビルス百人隊長の『計算』は、我が軍団の剣であり、盾でした。彼の貢献なくして、あの損害の少なさはあり得なかったでしょう」
突然のことに、俺は慌てて立ち上がり、深々と頭を下げる。
ファビウスの言葉に、第十軍団のマルクス筆頭隊長が
「ほう、あの計算屋が、また面白いことをやったようだな」
と、隣の指揮官に聞こえるように、どこか楽しそうに呟くのが聞こえた。
そして、上座に座るラビエヌスが、俺を一瞥したのを、俺は見逃さなかった。そのエルフの鋭い瞳には、新たな駒を見出したかのような、冷たい光が宿っていた。
その後、来年に向けての意見交換が行われた。
サビヌスのような楽観論者は「もはやガリアに敵はいない」と主張し、コッタやファビウスのような慎重派は「兵の再編と休息が急務だ」と訴える。
カエサルは、その全ての意見に耳を傾けながら、ただ静かに、天幕の中央に広げられたガリアの地図を、見つめていた。その瞳の奥で、一体どんな計算がなされているのか、この場にいる誰にも、窺い知ることはできなかった。
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