第二章:共和国の「工学」対ドワーフの「工芸」
春の柔らかな日差しが、ガリア南西部の豊かな緑を照らし出していた。
俺、レビルスの百人隊は、青年将校クラッススが率いる第七軍団の一員として、未知なる土地、アキテーヌへと続く道を、ただ黙々と進んでいた。
「…どうにも、空気が違うな」
副官のボルグが、その岩のような顔を険しくして呟いた。
「北方の森とは違う、もっと古く、そして頑固な大地の匂いがする。ドワーフの匂いだ」
彼の言う通りだった。この土地の民、**『山砦のドワーフ諸氏族』**は、北方の民とは気質が全く異なると言う。彼らは、同族であるボルグのような「平地のドワーフ」とは違い、山に籠り、独自の文化と誇りを守り続けてきた、孤高の民だ。
第七軍団に編入された俺たちは、良くも悪くも注目を集めていた。
第七軍団の筆頭百人隊長ファビウスは、壮年で、常に冷静な目をしている男だった。彼は、俺が提出する報告書の、その異常なまでの正確さと緻密さに気づいているらしく、時折、遠くから俺の部隊の動きを静かに観察していた。その視線は、評価でも軽蔑でもない、ただ純粋な興味の色を帯びていた。
一方で、あからさまな敵意を向けてくる者もいた。
百人隊長の一人、ウォルカティウス。熊のように大柄で、その顔には無数の傷跡が刻まれた、猛将として名高い男だ。彼は、後方勤務上がりの俺を「机上の空論家」「インク臭い計算屋」と呼び、兵士たちの前で公然と侮辱することを隠そうともしなかった。
「おい、計算屋! 貴様の部隊は、まるで嫁入りの行列だな! そんなノロノロ歩きで、ドワーフの硬い頭を叩き割れるのか!」
彼の野次に対し、俺はただ黙って頭を下げるだけだ。ここで反論しても、面倒事が増えるだけだ。だが、俺の後ろでは、ボルグが憤怒に肩を震わせ、ガレウスが喉を鳴らしているのが分かった。
数日後、我々は最初の目標である、城塞都市「アトゥルム」に到達した。
その光景を前に、第七軍団の兵士たちは、思わず足を止めた。
天然の岩山を、寸分の狂いもなく削り出し、磨き上げ、そして組み上げた、巨大な城壁。それは、共和国の「工学」とは全く違う思想で作られていた。規格化された効率ではなく、ただひたすらに、永遠の堅牢さだけを追求した、ドワーフたちの「工芸」の結晶。まさに、山そのものが要塞と化した、難攻不落の城塞だった。
その夜、クラッススの天幕に、俺とボルグ、そしてファビウスとウォルカティウスが呼び出された。
「レビルス百人隊長。君に、特命を与える」
若き指揮官の瞳は、野心と好奇心に満ちていた。
「あの要塞を、我々の『工学』で落とす。そのための完璧な計画書を、君の『計算』で作り上げろ」
その命令に対し、俺は夜通しボルグと議論を重ねて計画を立てた。三日後作り上げた羊皮紙の束を、地図の上に広げた。
「…これが、我々の回答です」
俺の「計算」に、ボルグの「経験」と「工芸」が注ぎ込まれた、共和国の「工学」とドワーフの「工芸」が融合した、前代未聞の攻城計画書。
その計画書を覗き込んだクラッススは、目を輝かせた。
「…面白い! 実に面白い! 木材だけで、これほどの巨大な攻城櫓を? 素晴らしい発想だ! この計画、全面的に採用する!」
だが、筆頭百人隊長のファビウスは、冷静にその計画書を分析していた。
「…計画は合理的だ。だが、この資材の消費量では、補給が追いつかなくなるリスクがある。こちらの工程を一部見直し、予備の資材を確保すべきだ。敵の抵抗も、計算より激しくなる可能性を考慮せねばなるまい」
彼の指摘は的確で、俺はいくつかの修正点を羊皮紙に書き加えた。
一方、ウォルカティウスは、その計画書を鼻で笑った。
「ふん、机上の空論だな。こんな面倒な手順を踏まずとも、俺の部隊が城門に突撃すれば、一日でケリがつくわ!」
「ウォルカティウス」
と、ファビウスが静かに制した。
「お前の勇猛さは誰もが認めるところだ。だが、この要塞は、力押しだけで落ちるほど甘くはない。まずは、この計算屋のやり方で、試してみる価値はある」
ウォルカティウスは、不満を隠そうともせず、しかし上官の命令には逆らえず、渋々引き下がった。
翌日から、第七軍団全軍を挙げた、壮大な工兵作業が始まった。
俺の計画に基づき、ボルグが第七軍団の工兵部隊全体の技術指導を行い、各百人隊が割り当てられた部品を、寸分の狂いもなく作り上げていく。
その日から、アトゥルムの城壁の前で、もう一つの巨大な城が、大地から生えていくかのような、異様な光景が始まった。
攻城戦は、互いの技術と知略がぶつかり合う、壮絶な消耗戦となった。
山砦のドワーフたちは、共和国軍の工兵作業を妨害するため、夜陰に乗じて、城壁の下に掘り進めていた地下トンネルから、何度も奇襲を仕掛けてきた。
「隊長! 森の声が、また騒いでいます。大地の、このあたりが、妙な空洞の音を立てている、と」
エルフの斥候シルウァヌスがもたらす、超感覚的な情報を、俺はすぐにクラッススとファビウスに報告した。
「面白い。土竜狩りか」
クラッススは不敵に笑うと、即座に命令を下した。
「ウォルカティウス! 貴様の部隊で、奴らを叩き潰せ! だが、深追いはするな。計算屋の予測が正しければ、敵の狙いは我々を誘い出すことにある」
ウォルカティウスは、不本意ながらも、俺の予測に基づいた命令に従い、彼の精鋭部隊を率いて待ち伏せを行った。そして、地面から現れたドワーフの奇襲部隊を、その圧倒的な武力で粉砕する。
第七軍団全体の連携が、敵の奇襲をことごとく撃退していった。
そして、攻城開始から十日後。
ついに、城壁よりも高い「木の怪物」が、完成した。
巨大な攻城櫓が、軋みを上げながら、ゆっくりと城壁へと迫っていく。その圧倒的な威容を前に、城壁の上で抵抗を続けていた山砦のドワーフたちの間に、初めて動揺が走った。彼らが誇る、永遠の堅牢さを誇るはずだった「工芸」の城が、共和国の規格化された「工学」の暴力の前に、今、無力化されようとしていた。
その日の夕方、アトゥルムの城門から、白い旗が、力なく掲げられた。
ウォルカティウスは、その光景を、ただ呆然と見つめていた。彼が誇る力押しでは、決して落とせなかったであろう難攻不落の要塞が、彼が侮っていた「計算屋」の、インクと羊皮紙によって陥落した。その事実を、彼は認めざるを得なかった。
俺は、その光景を、櫓の上から静かに見下ろしていた。
またしても、俺の剣は、鞘から抜かれることはなかった。
俺は、これから始まる、さらに面倒な戦後処理と、捕虜の管理、そして膨大な量の報告書の作成を思い、心底うんざりしながら、深い、深い溜息をついた。
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