第二部 第十一章:狐狩りの夜
夜は、静かだった。
共和国軍の野営地は、偽りの平和に包まれ、ほとんどの兵士が勝利の夢を見ながら眠りこけている。
だが、俺の天幕だけは、まだ灯りが灯っていた。
そして、俺の百人隊だけが、闇の中で息を殺していた。
時刻は、真夜中を少し過ぎた頃。天幕の入り口が、音もなく開いた。
二つの影が、滑るように中へ入ってくる。シルウァヌスと、ガレウスだった。
「…どうだった」
俺の問いに、シルウァヌスが静かに頷いた。
「ご明察の通りです、隊長。城壁の第三倉庫に、隠された武器が山積みになっていました。彼らが差し出したのは、全体の三分の一にも満たないでしょう」
ガレウスが、その言葉を引き継いだ。
その瞳は、狩りを前にした狼のように、爛々と輝いている。
「街全体が、血の匂いに満ちている。奴ら、今夜、俺たちの喉笛を掻き切る気だ。間違いねえ」
やはりな。 俺は、広げた地図の上で、最後の計算を終えると、すぐに天幕を飛び出した。
向かう先は、マルクス筆頭隊長の天幕だ。
「…マルクス殿! 緊急のご報告が!」
俺から報告書の写しを受け取ったマルクス筆頭隊長は、その内容を一瞥すると、顔色一つ変えずに言った。
「…やはりな。すぐに副司令官にご報告する。貴官は、自分の部隊に戻り、持ち場を固めろ。総司令官は、すでにお見通しのはずだ」
その言葉通り、俺が自分の天幕に戻る頃には、野営地は静かな、しかし確かな緊張感に包まれていた。
他の百人隊長たちに、カエサルからの極秘命令が伝達されていたのだ。
「今夜、何があっても持ち場を離れるな。音を立てず、ただ備えよ」と。
カエサルは、俺の報告を待つまでもなく、この裏切りを予測していたのだ。
俺の報告は、彼の予測を「確信」に変える、最後のピースに過ぎなかった。
そして、その時は来た。
共和国軍の野営地が、突如として絶叫と混乱に包まれる。狐の民の夜襲が始まったのだ。
黒い影の群れが、月明かりの下、俺たちの陣地の前を、何の警戒もせずに駆け抜けていく。彼らの目は、その先にあるカエサルの本陣しか見ていない。
彼らが、俺が予測した地点、セクンドゥスが率いる分隊が仕掛けた罠のど真ん中に到達した、まさにその瞬間。
俺は、天幕の外に出て、一本の矢を、空へ向かって放った。
それは、音を立てる鏑矢だった。 ヒュオオオオ、という不気味な音が、夜のしじまを切り裂く。 それが、狐狩りの始まりを告げる、唯一の合図だった。
直後、地面に隠されていた無数の撒菱と落とし穴が、敵の先頭部隊の足を奪う。
そして、闇の中から、突如として巨大な盾の壁が出現した。
ボルグ率いる、ドワーフの密集方陣だ。
「うおおおおっ!」
ボルグの獣のような咆哮と共に、ガレウス率いる突撃兵が、混乱する敵の側面に、狼の群れのように襲いかかった。
そして、俺たちの頭上からは、シルウァヌスの放つ矢が、的確に敵の指揮官たちを射抜いていく。
俺たちの部隊は、ただの囮ではなかった。
敵の主力を、この場所に引きつけ、その足を止めるための、巨大な**「金床」**だったのだ。
そして、夜の闇の中から、「鉄槌」が現れた。
俺たちの背後から、マルクス筆頭隊長が率いる第十大隊、そして他の警戒態勢にあった部隊が、完璧な陣形を組んで、無防備な狐の民の背後を襲ったのだ。
それは、もはや戦闘ではなかった。 完璧に計画され、完璧に実行された、一方的な狩りだった。
夜が明ける頃には、俺たちの陣地の前には、おびただしい数の狐の民の死体が転がっていた。 俺たちの損害は、ほとんどない。
俺は、その光景を、ただ冷めた目で見ていた。 カエサルも、ラビエヌスも、この結果を予測していたのだろう。
彼らは、俺という駒を、最も効果的な場所に、最も効果的なタイミングで配置した。それだけだ。
ボルグが、血塗れの戦斧を肩に担いで、俺の隣に立った。
「…終わったな、隊長」
「ああ、終わった」
俺は、これから始まる、さらに面倒な戦後処理と、捕虜の尋問、そして膨大な量の報告書の作成を思い、心底うんざりしながら、深い、深い溜息をついた。
「さて、と。仕事の時間だ」
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