第二部 第六章:鉄と木と、猫の美学
追撃戦は、三日三晩続いた。
俺たちの部隊は、その後も何度か、俺の計算に基づいた迂回と奇襲を繰り返し、ほとんど損害を出すことなく、しかし確実に敵の戦力を削いでいった。
そして、四日目の朝。
ベルガエ連合軍は、完全に瓦解した。三十万の軍勢は、もはや存在しない。彼らは、それぞれの故郷へと散り散りになり、ただの敗残兵の群れと化していた。
俺たちの軍団は、オクソナ川の要塞へと帰還した。
勝利に沸く兵士たちの熱狂をよそに、俺は自分の天幕で、ただひたすらに眠り続けた。頭脳を酷使した疲労は、肉体のそれよりも、ずっと深く、そして重かった。
だが、休息は長くは続かなかった。
カエサルは、敵に息を継ぐ暇さえ与えるつもりはなかったらしい。
「次の目標は、スエッシオネス族の首都、ノウィオドゥヌムだ!」
命令一下、軍団は再び動き出す。
ノウィオドゥヌムは、深い堀と、高い城壁に守られた、堅固な要塞都市だった。スエッシオネス族、すなわち猫の民は、平原での敗戦を認めず、この城に立てこもり、徹底抗戦する構えらしい。
「籠城戦か。面倒なことになったな」
マルクス・セクンドゥスが、街を遠目に眺めながら、忌々しげに言った。
「面白い。あの壁、俺の斧で叩き割れるだろうか」
ガレウスは、好戦的な笑みを浮かべている。
俺は、ただ黙って、街の構造を分析していた。
壁の高さ、堀の深さ、そして、こちらの兵力と資材。頭の中で、無数の数字が組み立てられていく。
「…いや。この戦いは、すぐに終わる」
俺のその呟きに、仲間たちが怪訝な顔でこちらを見た。
その日の午後、俺の言葉は現実のものとなった。
カエサルの命令で、軍団の工兵たちが動き出す。彼らは、後方に控えていた巨大な荷馬車から、規格化された木材や部品を降ろし、信じられない速度で「何か」を組み上げていく。
それは、巨大な木の怪物だった。
街の城壁よりも高い、移動式の攻城櫓。
城門を粉砕するための、巨大な破城槌。
そして、兵士たちを矢から守りながら、堀を埋めるための、亀の甲羅のような移動式の盾。
「…これが、共和国の本当の戦い方か」
若い旗手のルキウスが、その光景に圧倒され、呆然と呟いた。
俺の隣で、ボルグが、その黒曜石の瞳を驚きに見開いていた。
「…見事なもんだ。この組み木の精度、寸分の狂いもない。俺たちドワーフの仕事に勝るとも劣らん」
彼の声には、職人としての純粋な感嘆があった。
そして、その巨大な怪物たちが、ゆっくりと、しかし確実に、街へと進み始めた時。
それまで城壁の上から、俺たちを罵っていた猫の民の戦士たちの声が、ぴたりと止んだ。
彼らは、恐怖に震えているのではなかった。ただ、その光景を、まるで何か醜いものでも見るかのように、冷たい目で見つめていた。
彼らの戦意は、戦う前に、完全に打ち砕かれたのだ。
その日の夕方、ノウィオドゥヌムの城門から、白い旗を掲げた使者が現れた。
その使者は、カエサルの前にひざまずくこともなく、ただ、猫のようにしなやかな身のこなしで、優雅に一礼した。
「…我らの負けだ。これ以上、美しくない戦いを続けるつもりはない。この街を、くれてやる」
俺は、その光景を、土塁の上から静かに見ていた。
またしても、俺の剣は、鞘から抜かれることはなかった。
彼らは、恐怖したのではない。ただ、計算したのだ。
自分たちのしなやかな剣技や、俊敏な動きが、この圧倒的な「技術という名の暴力」の前では、何の意味もなさないことを。
そして、勝ち目のない戦いで無駄な血を流すのは、彼らの美学に反するのだと。
俺は、自分の戦い方が、この軍団の本質に、そして、あの猫の民のやり方にさえ、誰よりも近いのかもしれないと、皮肉にも、そう思わずにはいられなかった。
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