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ガリア戦記異聞 とある計算屋の活躍  作者: 奪胎院
第二部

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第二部 第二章:川辺の要塞

レミ族の領地で数日を過ごした後、軍団は再び北へ向かって動き出した。


俺の頭の中では、常にあの絶望的な数字が渦巻いていた。三十万。その圧倒的な物量の前で、俺たちに何ができるというのか。


兵士たちの間にも、レミ族からもたらされた情報が、噂となって広まっていた。

彼らの顔には、冬の間に取り戻したはずの自信はなく、ただ、これから始まるであろう一方的な蹂躙への、静かな諦観だけが漂っていた。


そんな重苦しい雰囲気の中、カエサルからの命令が下った。


「全軍、前方のオクソナ川を渡河。対岸の丘に、野戦陣地を構築する」


俺は、地図を広げて、その命令の意味を理解しようと努めた。


川を渡る? なぜだ。川はこちら側の岸辺にいた方が、自然の防壁となって有利なはずだ。わざわざ敵地のど真ん中に、自ら孤立しにいくようなものではないか。


「隊長。正気とは思えませんな」


隣で、ボルグが苦々しい顔で呟いた。


「川を渡っている最中に襲われれば、我々は為す術もなく全滅しますぞ」


その通りだった。これは、戦術の初歩を学んだ者なら、誰でもわかる愚策中の愚策だ。

だが、命令は絶対だ。


俺たちは、恐怖に震える兵士たちを叱咤しながら、オクソナ川に簡易的な橋を架け、慎重に渡河を開始した。

幸い、敵の襲撃はなかった。彼らは、我々の動きをまだ掴めていないのか、あるいは、我々を侮りきっているのか。


対岸の丘にたどり着くと、すぐに陣地の設営が始まった。


それは、これまでのどんな野営地とも違う、異常なまでの規模と精密さだった。

「塹壕は、深さ十五フィート! 盛り土の高さは十二フィート! 杭は寸分の隙間もなく打ち込め!」


百人隊長たちの怒声が飛び交う。


俺は、自分の部隊に割り当てられた区画を見渡し、後方勤務の癖で、即座に最も効率的な作業計画を組み立てた。


「ボルグ! 塹壕の出来はお前に任せる! ドワーフの仕事に一点の妥協も許すな!」


「ふん。言われるまでもない」

と、ボルグは槌を握りしめた。

「どうせ死ぬなら、本物の要塞の中で死にたいからな」


「マルクス! お前は経験が長い。杭の角度は、お前に任せる。新兵どもに、正しい打ち方を叩き込んでやれ!」


「へいへい。隊長殿の、また面倒な計算のお通りにね」

と、古参兵は悪態をつきながらも、その目はプロのそれだった。


「ガレウス!」

俺は、獣人の突撃兵を呼んだ。


「お前の部隊には、土塁の前の土地を更地にしてもらう。木も、岩も、敵が隠れられそうなものは、すべてだ。狼の縄張りには、獲物が隠れる場所など不要だろう?」


ガレウスは、その獰猛な口元を歪めて笑った。

「面白い。狩りの庭作りか。任せておけ」


「ルキウス! 我が百人隊の軍旗は、一番高い土塁の、一番敵からよく見える場所に立てろ! 俺たちがここにいるぞ、と、三十万の敵に教えてやるんだ!」


「はっ! お任せください!」

と、若い旗手は誇らしげに胸を張った。


俺たちは、狂ったように働いた。


俺の「計画」を、ボルグが「品質」に、マルクスが「経験」に、ガレウスが「暴力的な効率」に、そしてルキウスが「誇り」に変えていく。


その時だった。俺が全体の進捗を確認していると、いつの間にか、エルフの斥候シルウァヌスが、音もなく隣に立っていた。

「隊長。一つ、ご提案が」


彼は、土塁から少し離れた、一見何の変哲もない小さな茂みを指差した。

「あの茂みの下に、小さな泉があります。ここから地下水路を掘れば、敵に気づかれずに、陣地の中に安全な水源を確保できます。森の声が、そう教えてくれました」


俺は、思わず口元が緩むのを感じた。


完璧だ。これ以上ないほど、完璧な一手だった。安全な水源。

それは、長期的な籠城戦において、金塊よりも価値がある。

このエルフは、ただの斥候ではない。彼は、俺の描く盤上の、最強の駒の一つになりうる。


俺の百人隊は、ただの兵士の集まりではない。

ドワーフの工学、人間の経験、獣人の力、そしてエルフの知恵。

この寄せ集めの家族は、一つの巨大な、精密な機械となって、この丘を城塞へと変貌させていった。


そして、二日後。


丘の上には、巨大な要塞が姿を現していた。


川を天然の堀とし、三重の塹壕と高い土塁、そして無数の逆茂木に守られた、難攻不落の城塞。


俺は、その土塁の上から、眼下に広がる景色を眺め、ようやく、カエサルの本当の狙いを理解した。


彼は、三十万の敵と、平原でまともに戦うつもりなど、最初からなかったのだ。


彼は、この圧倒的に有利な地形に、巨大な「罠」を作り上げた。そして、敵がこの罠にかかるのを、ただ待っているのだ。


彼は、数の不利を、地形と、共和国軍が誇る圧倒的な工学技術で、完全に覆してしまった。


その時だった。


シルウァヌスが、再び風のように俺の隣に姿を現した。


「隊長。ベルガエ連合軍です。奴ら、我々の陣地を無視し、南へ。レミ族の街、ビブラクスへ向かっています」


俺は、その報告を聞いて、思わず乾いた笑いを漏らした。


やはり、あの男は怪物だ。


「…ボルグ。どうやら、最初の獲物が、自分から罠にかかりに来てくれたらしいぞ」


カエサルの描いた、巨大な盤上の戦いが、今、始まろうとしていた。

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