第一部前半:さすらいのエルフ氏族との戦い
第一幕:着任と最初の試練 - 「壁」
第一章:着任
懲罰人事、という言葉がこれほど似合う場所もそうそうないだろう。 目の前に広がる、巨大で、猥雑で、そして殺気立った野営地を見下ろしながら、俺、レビルスは心の中で何度目になるかわからない溜息をついた。泥と、汗と、獣の糞と、そして微かに血の匂いが混じり合った風が、俺の場違いに清潔なマントを揺らす。
(…まったく、最悪だ)
騎士階級の家に生まれ、親の推薦で補給官閣下の側近という順風満帆なキャリアを歩んでいたはずが、あの石頭の上司と予算のことで衝突したばかりに、このザマだ。安全な後方から、ガリアの最前線へ。事実上の左遷である。
「ここが、貴官が指揮を執る第七軍団、第四大隊、第三百人隊の宿営地です」
隣に立つ案内役の兵士が、事務的な口調で言った。彼の視線が、俺のろくに手入れもされていない剣に一瞬だけ注がれ、すぐに逸らされたのを俺は見逃さない。
そうだろう、そうだろう。お前たちが命を懸けている最前線に、やる気の欠片も見当たらない男が新しい指揮官としてやってきたのだ。侮るなという方が無理な話だ。
俺が引き継ぐ百人隊は、前任者が数日前の小競り合いで、敵の投げた槍を喉に受けてあっけなく死んだらしい。実に英雄的じゃないか。俺の目標は、そんな英雄的な死に方をしないこと。とにかく目立たず、死なず、任期を終えたらさっさと安全な後方に戻る。それだけだ。
案内された天幕の前には、一人のドワーフが腕を組んで立っていた。 岩のように頑健な体躯。編み込まれた髭は、彼の種族の誇りそのものなのだろう、手入れが行き届いている。だが、その顔に刻まれた無数の傷跡と、すべてを見透かすような黒曜石の瞳が、彼がただの頑固者ではないことを物語っていた。
「新しい百人隊長か。お待ちしていた」
野営地の喧騒の中でもよく通る、腹の底から響くような低い声だった。彼が、俺の副官になる男か。
「ああ。今日からよろしく頼む」
俺は、できるだけ指揮官らしく聞こえるように、努めて平静に答えた。内心では、彼のその威圧感に完全に気圧されていたが。
ドワーフは俺の差し出した手を握り返すことなく、ただじっと俺の顔を見ていた。まるで値踏みでもするかのように。やがて、彼は重々しく口を開いた。
「我が名はボルグ。この百人隊の副官だ。兵は八十二名。うち五名が先の戦闘で負傷。装備の損耗は三割。士気は、お世辞にも高いとは言えない。以上だ」
淡々とした、しかし一切の無駄がない報告。その短い言葉の中に、俺への期待など一欠片も含まれていないことが、痛いほど伝わってきた。彼は俺を試しているのだ。
「貴様のような若造に、この状況が立て直せるのか」と。
「…そうか。状況は理解した。まずは兵たちに会おう」
俺はそう答えるのが精一杯だった。
本当は「勘弁してくれ」と叫びだしたかったが、そんなことをすれば、この岩石のようなドワーフにその場で叩き潰されかねない。
ボルグに連れられて、俺は初めて自分の「部下」となる兵士たちと対面した。泥と疲労にまみれた男たちの、数十の視線が突き刺さる。騎士階級のお坊ちゃん、補給部上がりの素人、やる気のない厄介者。彼らの視線が語る言葉は、手に取るように分かった。
ああ、面倒だ。心底、面倒だ。 俺は、この八十二人の命を預かることになってしまったらしい。 自分の命一つ、無事に持ち帰るだけで精一杯だというのに。
俺は、天幕の入り口から見える、遥か遠くの雪を頂いた山々を眺めた。あの山の向こうから、さすらいのエルフ氏族が、こちらへ向かってきている。
数は? 規模は? 何もわからない。確かなのは、俺の背後には、俺をこんな場所に送り込んだ、顔も知らない司令官がいるということだけだ。 どう考えても、平穏に任期を終えられる未来が見えなかった。
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