第一部幕間 第三章:春の計算書
冬の終わりが近づいていた。
硬く凍てついていた大地がぬかるみ始め、兵舎の屋根から滴る雪解け水が、春の訪れを告げていた。兵士たちの間にも、どこか浮かれた空気が漂い始めている。
その夜、俺の天幕を、予期せぬ来訪者が訪れた。 筆頭百人隊長、マルクス殿だった。
「計算屋。貴官に、筆頭百人隊長として命令を下す」
彼が机の上に広げたのは、斥候の報告書ではなかった。それは、カエサルの本陣から各軍団の司令部へ通達されたばかりの、来たるべき春の遠征に関する、膨大な補給計画書だった。
「この羊皮紙の山を読み解け。俺たちのような現場の人間には、この数字の羅列が、一体何を意味するのか分からん。これを読み、我々がこれから、どれだけの期間、どれだけの規模の戦いをしようとしているのか、俺が理解できるよう説明しろ」
俺は、覚悟を決めて、最初の羊皮紙を手に取った。 そこに書かれていたのは、俺が後方勤務で飽きるほど見てきた、数字と記号の羅列。 だが、その規模は、俺の想像を絶していた。
(…穀物の必要量、五万の兵士が半年分。予備の投槍、十万本。攻城兵器の部品、数百台分。そして、この補給路の確保計画…これは、ただの遠征ではない。このガリアの北半分を、完全に制圧するまで終わらない、終わりの見えない戦争の計画書だ…)
俺の指先が、冷たくなっていくのを感じた。 カエサルの野望は、俺が想像していたよりも、さらに巨大で、そして狂気じみていた。
一刻後、俺は、震える手で、その分析結果をマルクス殿に伝えた。 彼は、黙って聞いていた。
そして、俺が話し終えると、重々しく頷いた。
「…やはりな」
マルクスが去った後、俺は一人、天幕の中でガリア北部の地図を広げる。
その隣では、ボルグが、まるで新しい戦いの匂いを嗅ぎつけたかのように、黙々と戦斧を研ぎ始めている。
俺は、これから始まる、終わりの見えない戦争を思った。 そして、その中で、俺たちが生き残れる確率を計算しようとして、あまりの変数の多さに、何も計算できないまま、心底うんざりしながら、深い、深い溜息をついた。
長い冬は、終わったのだ。
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