第一部後半 第六章:暴力の津波と、託された一手
会談の翌日、決戦の火蓋は切って落とされた。
広大な平原の両端に、共和国と魔族、二つの軍勢が対峙する。
損耗を補充したとはいえ、我々の六個軍団は、かき集めても三万に満たない。対する魔族の軍勢は、その倍はいるように見えた。
だが、俺が本当に異様だと感じたのは、その数ではなかった。
敵陣の後方。ずらりと並べられた、巨大な荷馬車の列。
そして、その上から聞こえてくる、かすかな女子供の泣き声。
「…ボルグ。あれは、なんだ」
俺の問いに、ボルグは、まるで忌まわしいものでも見るかのように、顔を歪めて答えた。
「あれが、奴らのやり方だ。家族を、人質にする。あれは、奴らが退路を断っている証だ。あの女子供の前を通り過ぎて逃げることは、魔族の戦士にとって死以上の恥だからな」
俺は、言葉を失った。
これから始まるのは、ただの戦闘ではない。文字通り、民族の存亡を懸けた、総力戦なのだと。
その静寂を破ったのは、一本の角笛の音だった。
アリオウィストゥスの本陣から放たれた、不気味で、低い音。
それを合図に、魔族の軍勢は、ダムが決壊したかのような、無秩序で、しかし止めようのない、純粋な暴力の津波となって押し寄せてきた。
そして、最初の衝突が起きた。
凄まじい轟音と、人の体が砕ける鈍い音。
魔族の戦い方は、単純極まりなかった。
彼らは、俺たちの盾の壁を、その圧倒的な腕力と、時折放たれる破壊魔法で、正面からこじ開け、殴りつけてくる。
連携などという概念はない。ただ、目の前の敵を、より効率的に、より残虐に殺すこと。それだけが、彼らの戦術だった。
俺たちのいる右翼は、筆頭百人隊長マルクス殿の第十大隊が中心となり、なんとか戦線を維持していた。
優勢とまではいかないが、少なくとも崩壊はしていない。
だが、俺が戦場の全体像を把握しようと目を凝らすと、左翼の状況が絶望的であることに気づいた。
左翼の部隊は、魔族の猛攻に耐えきれず、明らかに後退を始めていた。
あちこちで陣形に穴が開き、そこから雪崩れ込むように魔族の戦士たちが食い込んでいる。
このままでは、左翼が崩壊し、軍全体が包囲殲滅されるまで、時間の問題だった。
その時だった。俺たちのすぐ後ろを、一人のエルフの伝令が、風のような速さで駆け抜けた。
彼は、マルクス殿のもとへ駆け寄ると、叫んだ。
「マルクス殿! 副司令官より命令だ! 敵の後方に、別働隊を送り込め! 補給部隊を叩き、敵の注意をこちらへ引きつけろ!」
だが、その命令が下された直後、一本の巨大な魔族の戦斧が、数人の兵士を盾ごと薙ぎ払い、マルクス殿自身も、その衝撃で地面に片膝をついていた。
「マルクス殿!」
俺が叫ぶと、彼はすぐに体勢を立て直したが、その肩からは血が流れていた。
彼は、俺の方を一瞥すると、まるで心を読むかのように、低い声で言った。
「小僧…聞いたな。だが、俺はここを動けん。この第十大隊が崩れれば、右翼も終わりだ」
マルクスは、そう言うと、俺の目をまっすぐに見据えた。
その瞳には、絶望ではなく、ある種の期待の光が宿っていた。
「…お前なら、やれるか。計算屋」
それは、問いではなかった。ほとんど、命令に近い、魂の継承だった。
「俺が、ここでお前たちの分の壁にもなる。その間に、行け。お前のやり方で、この戦を終わらせてこい」
俺は、言葉を失った。
筆頭百人隊長からの、現場における、最高権限での命令。
これは、軍規違反ではない。これは、託されたのだ。
「ボルグ!」
俺は、血まみれの副官に叫んだ。
「お前と、動ける者三十人だけを貸せ!」
「何をする気だ、隊長!」
「英雄的な突撃じゃない。もっと、性に合わない、地味で、陰湿な仕事だ」
俺は、地図の一点を指差した。
そこは、敵の本陣のはるか後方。補給部隊がいるであろう、小高い丘だった。
「今から、この戦場を迂回して、奴らの背後を突く。狙うのは、敵の大将の首じゃない。奴らの、飯と水だ」
ボルグは、一瞬、俺の言葉の意味が分からない、という顔をした。
だが、すぐに、その黒曜石の瞳に、ある種の理解と、そして狂気じみた光が宿った。
「…面白い。実に、あんたらしい戦い方だ」
俺たちは、地獄のような乱戦の脇をすり抜けるように、静かに動き始めた。
共和国軍の誰もが、正面の敵と死闘を繰り広げている中、俺たちだけの、もう一つの戦争が始まろうとしていた。
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