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ガリア戦記異聞 とある計算屋の活躍  作者: 奪胎院
第一部後半:アリオウィストゥスとの戦い

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第一部後半 第四章:言葉という名の魔法

本陣前の広場は、ドワーフたちが築いた見事な石畳で舗装されていた。


だが、そこに集まった数百の指揮官たちの顔は、その石畳よりも硬く、そして色を失っていた。

誰もが、これから始まるであろう総司令官からの叱責を、重い気持ちで待っていた。


やがて、本陣の天幕から、一人の男が姿を現した。


カエサル。


閲兵式などで遠巻きに見たことはあったが、これほど間近で見るのは初めてだった。


想像していたような、屈強な肉体を持つ猛将ではなかった。むしろ、その体つきは中肉中背で、どこにでもいる中年の男、という印象だ。


だが、彼が広場に立った瞬間、数百の男たちのざわめきが、まるで潮が引くように静まり返った。


その男には、空気を支配する、異様な存在感があった。


彼は、演台にも上らず、俺たちと同じ目線に立ち、静かに語り始めた。


その声は、決して大きくはない。だが、不思議なほどよく通り、広場の隅々にまで染み渡っていく。


「諸君。私は、君たちに問いたい。君たちは、一体何に怯えているのだ?」


始まりは、静かな問いかけだった。


「君たちは、自分の任務を、そして自分の指揮官を、疑っているのか? それとも、敵である魔族について、根拠のない噂話に踊らされているだけなのか?」


彼の言葉は、刃のように鋭く、俺たちのプライドを切り裂いていく。


あちこちで、指揮官たちが気まずそうに顔を伏せた。

「思い出せ。我々は、あの音のない津波のようなさすらいのエルフ氏族を、打ち破ったではないか。あの戦いを生き延びた君たちが、なぜ、まだ見ぬ敵の影に怯える必要がある?」


そうだ、と俺は思った。これは、古典的な人心掌握術だ。

まず相手のプライドを傷つけ、次に過去の成功体験を思い出させることで、自信を取り戻させる。

後方勤務で、腐るほど読んだ兵法書に書いてあった通りだ。


だが、カエサルの演説は、そんな教科書通りのものではなかった。


「そもそも、魔族とは何だ? かつて、我々の先祖は、キンブリ族やテウトニ族といった、魔族に連なる者たちを打ち破った歴史がある。彼らとて、我々と同じように肉体を持ち、鉄の武器で傷つき、そして死ぬのだ。何も恐れることはない」


彼は、恐怖の対象を、神話から現実へと引きずり下ろした。


魔族を、ただの「少し手強いだけの敵」へと、言葉巧みに矮小化していく。


兵士たちの顔から、少しずつ恐怖の色が薄れていくのが分かった。


そして、演説は、そのクライマックスを迎えた。


カエサルは、広場に集まった俺たちを、ゆっくりと見渡した。


そして、静かに、しかし断固とした口調で、こう言い放った。


「だが、もし。それでも君たちが恐怖に屈し、この場から一歩も動かぬと言うのであれば、それでも構わん」


天幕の中が、どよめいた。


「その時は、私一人で行く。いや、違うな」


彼は、広場の一角に陣取る、歴戦の兵士たちに、その鋭い視線を向けた。

筆頭百人隊長マルクスが率いる、第十大隊。共和国最強と謳われる、カエサル直属の精鋭部隊だ。


「私は、この第十大隊だけを率いて、魔族の元へ向かう。なぜなら、私は、彼らの忠誠を、一片たりとも疑ったことがないからだ」


その瞬間、空気が爆発した。


第十大隊の兵士たちが、兜を天に突き上げ、地鳴りのような雄叫びを上げたのだ。


「カエサル万歳!」「我らこそが、共和国最強の盾なり!」と。


彼らの顔には、恐怖など微塵もない。ただ、総司令官から名指しで信頼を寄せられたことへの、至上の誇りと熱狂だけがあった。


そして、その熱狂は、恐ろしいほどの速度で、他の部隊へと伝染していった。

第十大隊の兵士たちの、誇りに満ちた顔。それを見た他の部隊の指揮官たちは、今度は羞恥に顔を赤らめた。

「我々が、第十大隊に劣るというのか!」「我々も戦うぞ!」という声が、あちこちから上がり始める。

俺は、ただ呆然と、その光景を見ていた。


完璧だ。あまりにも、完璧すぎる。


彼は、たった一言で、数千の兵士の「恐怖」を、「羞恥」と「競争心」へと、完全にすり替えてしまったのだ。


俺の隣で、ボルグが、その巨大な拳を握りしめているのが見えた。


彼の瞳にも、いつの間にか、あの憎悪の炎が再び燃え盛っていた。


広場は、今や、魔族への恐怖ではなく、カエサルへの狂信的な忠誠心で満ちされていた。

俺は、自分の腹の底から、さすらいのエルフ氏族との戦いで感じたのとは、また質の違う、冷たい悪寒がせり上がってくるのを感じていた。


剣でも、魔法でもない。


この男は、「言葉」という最も恐ろしい魔法で、人の魂を意のままに操るのだ。


俺は、これから始まる戦いの結末を、この時、すでに見ているような気がしていた。

そして、この男に仕える限り、俺に平穏な日々が訪れることは、もう決してないのだろうということも。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!

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