表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

私は死によって生かされ、生の中で死に続ける。

作者: 柴野 沙希

 

「独白」

 

私は日々や人を愛している。回る地球、雑踏に身を投げる人々、色々な物を取り逃しながら駆動する社会。その全てが、美しい。私でさえ例外じゃない。

しかし、社会において唯一なる真実がある。美しい物とて、価値は無いのだ。光り輝く景色、鮮やかな食彩、前衛的な自己表現。等しく、凡人に価値がない。

人は、価値を食う。もっとくれ、早く寄越せと台を叩き続ける。子どものように、幼いままで。削られる才は、往々にして世間の波間に攫われ、消えていく。私は、その土俵にすら立てていないのだ。大人しく、消えてしまうのが本望で、どうしようもないほどの影を抱えている。

 

「消えてしまえ」

 

脳内に棲む怪物が、静かに告げる。財を食うだけの貪食は、消えてしまうのが正しいのだと。然り。ただ一度、死に臨んだ時、私は恐れてしまった。縄の苦しみを、知ってしまった。開かれた扉は、解放ではなく辛苦の道であると。キリストは十字架を背負ってゴルゴダの丘を登って言った。

 

「なぜ私をお見捨てになったのですか」

 

救世主でさえ、死の間際で負けたのだ。信じた神を疑うほどの恐怖、苦しみ、無念。私もまた、それを知るものである。救世主と私の違う点は、帰ってきてしまった所だ。全てを抱え、再誕を待たず帰還してしまった。審判さえ迎えられなかった私の魂は、どこに還ればいいのか?天にも召されず、地獄に落ちれず、ただ現世で迷える子羊を眺める何かに成り果ててしまった。

 

「正しく在りなさい」

 

人は言う、貴方は恵まれていると。私は問いたい、なぜ私は自分で死のうとしなければならないのだ。私の自罰が悪いのか、環境、社会、人が私を追い詰めたのか?それらを突き詰めた先は、誰も悪くないという普遍的な答えだった。

他社は必死に生き、その結果私は捨てられ、傷つけられていく。誰が、その営みを否定できるだろうか?過去ならば、私はとうに野垂れ死んでいた。現代という生存強制装置は、私を終末期医療に導き続けている。

 

「生きたくても生きられない人がいる」

 

ならば私は、死にたくても死に切れない人間であると言おう。貴方達が一度得た生を手放せないように、私も一度見た死をもう一度見ることを本質的に避けたくなってしまうのだ。

死を恐れる人間と、死を見て恐れる人間は本質的に違う。貴方たちは死を恐れているが、我々は死の道筋を何より恐れている。狭間が、何より恐ろしい。

 

「ならば、生きる方法を探せばいいのでは?」

 

結果がこのザマである。仕事は上手くいかず、社会には弾かれ、このような駄文で日々をやり過ごし、生を浪費するだけの時間。減る金、社会的評価、時間、精神。

人は言う、いい身分だな、と。何も出来ず、どこにも行けず、今日の飯をどれだけ節約するかに日々の思考のほぼ全てを費やす人間の、どこに富があるのだろう?

 

「生きるに足る生命」

 

死ぬに至らぬ死体。生きることを望んでいるのではない。死を捨てられないが、生にしがみつくには心を捨て去り過ぎている。まるで、引越しの際に荷物を全て出した後の部屋のように、静かに枠だけが過去を滲む。もう、同じ配置にはならない。運び出された家具は、次の家を見つけられぬまま忘れ去られてしまった。

生きているだけで意味がある。だが価値は無い。貴方の価値がマイナスになった時、人は思うだろう。

 

「何をしてるんだろう、この人は」

 

何も出来ないのだ。四肢を鎖に縛られたように動けない。仕事をするには弱すぎ、突出するには平凡すぎる。救いは無い、私は人々が助けたくない弱者であるが故に。

体が動いて、地頭がいいから余裕だろ?そう在りたいと願っていた。体は労働に耐えられず、地頭は突出に届かない。それならば、最後まで平凡を貫き通したかった。

 

「愛」

 

私は世界を愛している。世の理不尽も、私をゴミと定義する社会も、隣人も。愛するだけでは、生きていけないのだ。心から貴方たちの幸せを願っているが、私は無価値の中で息絶えることしか出来ない。

申し訳ない、そう思う。社会保障に縋れぬほど強く、社会に溶け込むほど自己を捨てられなかった末路なんだ。愛しています、この愛は誰にも届かず、雑踏の中で踏まれるとも、何度でも伝えたい。

 

「疑念という悪魔」

 

私は疑い続けることによって、一度の死を乗り越えてしまった。今考えれば、悪魔に魂を売り渡して、一時的に死を先延ばしたに過ぎないと感じている。

対価は心、その喪失。かつてあった夢、期待、希望の全てが欠落している。受容という隣人愛は即ち、自己に対しての完全な客観化であるということなのだ。私を私として見れなくなった時、貴方が雑踏の一人に過ぎないことを自覚した時、世界の視点で一人を自覚したと言えるだろう。

 

「絶望」

 

即ち乾きの侵蝕である。影が寄る。無価値と無感動、自身の相対化によって濃く、強くなった影が私を覆い始めていく。

最初は夜、孤独の中で怪物は目覚める。

次は深夜、濃い闇の中で怪物は肥大化する。

そして夜明け、光を克服した影は貴方を喰らい尽くす。

 

「どうして?」

 

私は苦しまなくてはならないの?生きることが無価値なの?幸せになれないの?普通に生きられないの?なんで、人を憎めないの?

 

悪魔は嗤い、影が私をただ見詰めている。

 

私は死体であり、亡霊となってしまった。生を欠落させた怪物に。

 

人よ聞け、普通に生きられぬとはこうなのだ。

 

まだ、貴方が死を知らぬなら。引き返しなさい。

 

「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ