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社会人の独り言  作者: 黒船雷光


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ゴジラのいる風景

先日パトレイバーが当日限定配信され、不朽の名作、劇場版一作目の放映で界隈が盛り上がった中で、八十年代後半の工場跡地に…という設定に関しての時代背景の考察も見受けられた。


私も年寄りなので、その時代の独特な空気感と、高度経済成長の末期とバブル経済の金融投資への変換と、経済大国としての発展とイケイケなパワハラ社会を掻い潜って今に至っている。


私が幼少期から高校卒業まで、生活基盤として住んでいた地域は、その高度経済成長の中に多くの労働者を受け入れた湾岸の造船所がある街だった。


七十年代、私が通っていた小学校はマンモス校でクラスが足りず、一時期プレハブ校舎まで使われた。

一学年十二組、ひとクラス五十人超…つまりひと学年だけで六百人…全校生徒で三千人居た。

※学年で人数は違った、私たちの世代は「第二次ベビーブームと言われてた」


周囲の友達は皆駅前の巨大な造船所に勤める労働者の家庭の子だった。


造船所には巨大な鉄骨とトタン板のプレハブ構造の工場社屋が立ち並び、屋根には車より大きい換気装置のシリンダーがいくつも突出し、電気は朝から晩まで付いていて鉄骨のぶつかる鈍い音が響いていた。


朝の通勤ラッシュには、湾岸に向けて引かれた支線の終着駅から大量に、本当に大量に人が吐き出され、毎回コミケ会場に傾れ込むオタク達に例えるとわかりやすいかもしれない、大人数がカオスなのに騒がす慌てず整然と騒然と吸い込まれていっていた。


ある日、造船所が造船を止める決定をして大騒ぎになった。……正確にはなった様な覚えがある程度。

我が家は周囲に造船関係の人の子供が多かったが、父の仕事はソレとは関係なかったからだ。


さて、前置きが長くなったが、ゴジラのいる風景と題に据えたのは、そんな造船所の建造物の中に子供の頃からずっと風景の中に溶け込まず異様を誇り、ソレでも日常としてそこにある「巨大クレーン」が忘れられない…という話。


全高が正確に何メートルあったのか知らない。

下から仰ぐと今巷で見る様なランドマークタワーより高かった様な記憶。

コントロールルームは五十坪の我が家が全部入りそうなサイズ。クレーンの先は五十メートルはあったと思う。


なので、ゴジラサイズの巨大構造体を毎日の生活風景の中に観ているという幼少期になる。


しかも一機ではなく、最低四機はあった。

さらに言えば、足場はレールが引かれていて移動するのである。


大人になっても存在していて、デジカメで撮影した記憶があるが、そのデータは今はない。

造船が終わっても、しばらくは既存船の修理ドックとして機能していたが、子供の頃に見たあの人の波は消えて、駅前の商店街は寂れバブルの頃に造船所跡の利用計画は何度か発表されたり風の噂で流れたりしたが、ソレも消えて動かなくなったクレーンの天を衝く異様さだけが残った。


シン・ゴジラの最後にゴジラがその機能を終わらせて固まり、巨大なモニュメントとして残ったのと同じ郷愁を暫し残した。


巨大過ぎて解体にも大変な労力、経費が掛かったのであろう。ソレでも今はその姿を見ることは無い。


もう四半世紀前の話だ。

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