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第3話 満月は添い寝禁止!? 鉄檻で鎖を鳴らす伯爵様 満月の夜は旦那様に近づくな――それは屋敷の暗黙ルール。

満月の夜は旦那様に近づくな――それは屋敷の暗黙ルール。


1. 朝 ── 熟睡ハイ vs. 寝不足ヒロイン


(ふわぁ……ねむ……)


 翌朝。私は、人生で最も濃厚なクマを目の下に飼い慣らし、盛大な欠伸を噛み殺しながら朝食の席についていた。

 それもこれも、昨夜の「添い寝(物理)」のせいだ。


 隣でスヤスヤと幸せそうに眠るアルヴィン様の寝顔は、確かに国宝級の美しさだったけれど、いつ何時、その麗しいお顔が変態紳士(疑惑はほぼ確信)へと豹変し、くんくんと私の匂いを嗅ぎ始めるかと思うと、気が気でなかったのだ。

 結果、一睡もできず。解せぬ。


「おはよう、エリィ。昨夜はよく眠れたかな?」


 対するアルヴィン様は、それはもうスッキリ爽快、お肌ツヤツヤ。昨夜の安らかな寝息が物語るように、数年ぶりの熟睡を経たかのような輝かしい笑顔を振りまいている。


(その笑顔だけで白米三杯はいけそうだけど、今はそれどころじゃないのよ!)


 ちょっと腹立たしい。


 私がぼんやりとパンに手を伸ばした瞬間、手元が狂い、愛しのパンがテーブルからダイブ寸前!


「おっと」


 その刹那、アルヴィン様が驚くべき反射神経でパンを華麗にキャッチ。

 そして何事もなかったかのように、私の皿にそっと戻してくれた。

 その際、彼のガウンの袖口がほんの少しだけめくれ、昨夜も一瞬見えたような、古い鎖の痕がまたチラリと……。彼はすぐに袖を直し、何気ない風を装った。


(やっぱり、何かあるわね、あの傷……)


 そこへ、アルヴィン様の忠実なる老執事、セバスチャンが静かに歩み寄り、深々と一礼した。


「旦那様、ご報告がございます。……今宵は、満月でございます」


 その言葉を聞いた瞬間、アルヴィン様の紅い瞳が一瞬、スッと針のように細められた。

 それはほんの一瞬のことで、すぐにいつもの穏やかな表情に戻ったけれど、私の背筋には、ぞくりと冷たいものが走った。


(満月……? それが何か……?

 今夜こそは、邪魔されずに読書三昧の予定なんだけど、何か、とてつもなく嫌な予   感がするんですけど!)



2. 日中 ── 情報収集


 嫌な予感というものは、大抵当たる。それがお約束だ。

 私はアルヴィン様が執務で部屋にこもっている隙を見計らい、さっそく情報収集を開始した。

 まずは、ラヴェル家のかかりつけの侍医だ。白髪の、人の良さそうなお爺ちゃん先生。


「あの、先生。アルヴィン様は、満月の日には何か特別なご体調の変化などがおありになるのでしょうか?」

「……さあ。ご当主様は、満月の日にはお一人で静かにご静養なさるのが常でございますので……特に、その……」


(歯切れ悪っ! 絶対何か知ってるわね、この先生!)


 次に捕まえたのは、古参のメイド頭だ。彼女なら何か知っているかもしれない。


「ねえ、メアリー。ラヴェル家では、満月の日には何か特別な決まり事でもあるのかしら?」

「奥様……それは、その……昔、先々代のご当主様も、そのまた先代のご当主様も、満月の夜だけは奥様方やお子様方を遠ざけ、寝室を固く封鎖して……それはもう、大変なご様子だったとか……」


 メアリーはそこで口をつぐみ、何かを恐れるように十字を切った。


(代々ですって!? やっぱりこれ、高確率で家系に伝わる呪いか何かよ!

 私の結婚生活、ファンタジー設定盛り込みすぎじゃないかしら!)


 いてもたってもいられなくなり、私はラヴェル家の広大な書庫へと駆け込んだ。

埃っぽい古書の匂いの中、何か手がかりはないかと必死に書棚を探る。 

 そして、一冊のひときわ古びた、革装の分厚い年代記を見つけ出した。

 それは、ラヴェル家の始祖にまつわる記録のようだった。

 パラパラとページをめくっていくと、あるページの隅に、明らかに後から書き加えられたような、細く震えるような走り書きがあった。


《――竜姫は香花の姫、竜を鎮めし白き匂い。古の契約、血と共に永劫に――》


(竜姫? 白き匂い? まるで、どこかの恋愛小説みたいな記述ね……。

 でも、「匂い」って……まさか、アルヴィン様のあの異常なまでの匂いフェチと何か関係が……?)


 この時はまだ、その「白き匂い」が、自分自身を指しているとは夢にも思わなかった。



3. 夕刻 ── 伯爵の“添い寝禁止宣言”

 夕食の席。アルヴィン様はどこか落ち着かない様子で、ほとんど料理に手をつけていなかった。

 そして、食事が終わるか終わらないかのタイミングで、彼は私に真剣な眼差しを向けた。


「エリザ、今夜は……君の部屋で休むといい。お願いだ」


 その声は低く、どこか切実さを帯びていた。

 昨夜、「一緒に寝てほしいんだ」と、子犬のような瞳で私に添い寝を強要(?)した人物と同一とは思えない。

 その真顔と、普段の彼とのギャップに、私の胸はどきりとした。


(昨日はあんなに「添い寝して~」って甘えてきたくせに!

 何よ、この豹変ぶりは!

 ……これは、逆に怪しさMAXじゃないの!


 こうなったら、夜中にこっそり様子を窺いに行ってやるんだから!)

私の内心の決意は、誰にも告げられぬまま、静かに燃え上がった。



4. 深夜 ── 檻の前の再会


 屋敷が深い静寂に包まれ、ホールの大時計が重々しく深夜零時を打ち鳴らした。

廊下の使用人用のランプも一つ、また一つと消え、月明かりだけが冷たく床を照らしている。


 私は音を立てないよう、そろりそろりと寝室を抜け出し、アルヴィン様の部屋へと向かった。

 ドアには鍵がかかっていなかった。

 そっと中へ入ると、部屋の隅、あの衝立の向こう側から、微かに金属が擦れるような音と、苦しげな息遣いが聞こえてくる。


 衝立の向こうを覗き込み、私は息をのんだ。

 月明かりに照らし出されたそこにいたのは、鉄の檻の中、自ら太い鎖を腕に巻き付け、苦悶の表情を浮かべるアルヴィン様の姿だった。

 彼の白いシャツは汗でぐっしょりと濡れ、鍛えられた胸元には、まるで内側から焼き付けられたような、赤黒い痣のようなものが浮かび上がっている。


「アルヴィン様……!」


 私の小さな声に、彼がゆっくりと顔を上げた。

その紅い瞳は、普段の理知的な輝きを失い、獣のような飢えた光を宿していた。


「……来るんじゃない。俺を見ないでくれ、エリザベート……!」


 絞り出すような声。


「これは、ラヴェルの一族に伝わる呪いだ。竜の返り血を浴びた始祖から続く、忌まわしい呪い……。満月の夜は、俺の中の何かが、理性を喰らい尽くそうとする……!」


 彼はまだ、私の「香り」がその呪いを鎮める鍵であることには触れなかった。ただ、苦痛に顔を歪めている。


「だから、頼む……ここから、離れてくれ……!」


 ガシャン、と鎖が鳴る。彼の瞳の赤が、さらに強く、深く燃え上がる。

 アルヴィン様は、私を追い払うかのように、檻の格子をドンッ!と強く叩いた。その衝撃に、檻全体が軋む音が響く。


 その時、厚い雲間から、満月がその冷たい銀の光を地上へと投げかけた。

 アルヴィン様の腕に、黒い鱗のようなものが、ぞわり、と浮かび上がる。指先が鋭く尖り、獣の爪のように変化していく。

 檻が、ミシミシと不気味な音を立て始めた。そのおぞましい音に、思わず膝がカクンと折れそうになるのを、必死で堪えた。



5. クライマックス ── “香り”で竜を鎮める


(怖い……! 本当は、今すぐにでも逃げ出したい……!)


 足が竦み、全身が震える。


(でも……でも、この人を、こんな苦しそうな姿のまま、放っておけない……!)


 昨夜、私の隣で安心しきったように眠っていた、あの無防備な寝顔が脳裏をよぎる。

 そして、なぜだろう。この檻の中の荒れ狂う獣の奥に、あの夜会で初めて出会った時の、私の匂いを嗅いでうっとりとしていた彼の純粋な(?)喜びの表情が重なって見えた。


 私は、震える足で一歩、檻へと近づいた。


「エリザベート! ダメだ、来るなと言っただろう!」


 アルヴィン様の叫び声は、もはや人間のそれではなく、獣の咆哮に近いものだった。


 それでも、私は止まらなかった。

 檻のすぐ前まで進む。彼の荒い息遣いが、私の肌を粟立たせる。

 意を決して、自分のドレスの袖を力任せに引き裂いた。

 その瞬間、ふわりと、彼が焦がれてやまない香りが微かに立ち上った。それはまるで、禁断の甘やかな花蜜のようでありながら、同時に、月夜にきらめき、はかなく湿る薄氷のような清冽さも合わせ持つ、不思議な香り。彼の鼻孔をくすぐり、その本能の奥深くを揺さぶるような――。


 そして、剥き出しになった手首を、鉄格子の隙間から、彼の目の前へと差し出した。


「アルヴィン様……! わたくしの匂いが、お好きなのでしょう……?」


 震える声で、必死に呼びかける。


「だったら……これを! 存分に嗅いで。わたくしで、あなたを鎮められるのなら……!」


 獣の唸り声が、一瞬止まった。

 血走った紅い瞳が、私の手首を凝視する。

 そして、ゆっくりと、彼の鼻先が私の手首へと近づいてくる。

 微かな、しかし確かに聞こえる啜り音が、檻の中の張り詰めた静寂を震わせた。

 その音に呼応するように、わたくし自身の呼吸がふっと一瞬止まり、そして、まるで胸の奥で硬く縛られていた何かが解けるように、深く、安堵の息が漏れた。

 私の肌から立ち上る香りを、彼が渇望するように吸い込んだ瞬間。


「グ……ア……ァ……」


 獣の咆哮が、苦しげな、そしてどこか安堵したような、震える呼吸へと変わった。

彼の瞳の奥で、激しく燃え盛っていた獣性の炎が、揺らぎ、そしてゆっくりと鎮まっていく。

 腕に浮かび上がっていた黒い鱗が、まるで陽炎のように薄れ、消えていく。

 鋭く尖っていた爪も、人間の指先へと戻っていく。

 ゴトリ、と重い音を立てて、彼が握りしめていた鎖が床に落ちた。


 アルヴィン様は、檻の中でゆっくりと膝をついた。

 その美しい顔から、一筋、赤い雫が流れ落ちる。

 それは、汗か、血か、あるいは――涙か。


「……やはり……君だったんだな……」


 掠れた声が、静寂に響く。


「俺が、ずっと、ずっと探し求めていた……《永劫の香り》の主は……」



6. 第三話エピローグ ──


 私は、まだ震えの止まらない手で、檻の格子越しに、力なく垂れた彼の手をそっと握り返した。

 冷たい銀の月光が差し込む中で、触れた彼の手は、まるで氷の光に灼けるほど熱かった。


「だったら……わたくしに、全部、話してください。あなたのことも、その呪いのことも……」


 私の言葉に、アルヴィン様が何かを答えようとした、その時。


――グォォォォォンンン!!


 遠く、屋敷の外の森の方角から、今しがたアルヴィン様が発していたものとよく似た、しかし明らかに別の獣の咆哮が、夜空を震わせた。


 アルヴィン様が、はっと顔を上げる。

 その瞳には、先ほどまでの安堵とは異なる、新たな緊張の色が宿っていた。


「……もう一柱が、目覚めたか……」


 月は静かに、地上を冷たく照らし続けている。

 鉄檻の中で、床に落ちた鎖がカラン、と乾いた金属音を響かせた。その音は廊下を伝い、まるで森の闇で応えるように、低い雷鳴がごろり、と遠くで響いた――。

 それは、次の戦いを、あるいは新たな嵐を予告する音だったのかもしれない。


(第3話 了)

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