第1話『運命の出会いは変態風味!? 匂いフェチ伯爵と本命彼女』
「エリザベーーーート!」
今日も今日とて! 我が父、モンヴェール男爵の怒声が屋敷中に木霊する!
理由は、まあ、いつものこと。またまた縁談を一つ、お断り申し上げたからだ。
いや、正確にはお相手の方から「あんな令嬢、こっちから願い下げだ!」と、涙ながらに訴えられたらしい。うん、知ってた。
「お父様、わたくしをお呼びでして?」
書斎で熱読していた胸キュン恋愛小説から顔を上げ、しれっとお淑やかに返事する。
「お呼びでして、ではない! エリザベート!おまえという娘はっ!」
「あらお父様、ごきげん麗しゅうございます」
ヒステリックにわめく父を華麗にスルー。優雅にカーテシー。
私、エリザベート・フォン・モンヴェール、十八歳。
地味な茶色の髪はきっちり三つ編み。顔の半分を覆うような大きな丸眼鏡。これが私の戦闘服(?)。
特技は読書! 趣味も読書! 好きなものは本! 嫌いなもの、現実の男との恋愛沙汰!
母が腕組みし、扇で机を叩く。
「エリザ! いい加減になさいませ! あなたももう十八ですのよ! いつまで本に埋もれて結婚から逃げ回るおつもり!」
私はページをめくりながら小さく微笑む。
「あら、わたくしは逃げてなどおりませんわ。ただ、殿方がたのお眼鏡にかなわなかった。それだけのことでございます」
そこへ父がどすどすと近寄り、机に拳を打ちつけた。
「どの口がそれを言うかっ! わざと嫌われるような奇行に走るお前が!」
眼鏡を押し上げ、肩をすくめる。
「まあお父様ったら。まるでわたくしが奇人変人のようですわ」
――否定はしないけど。
そう。私は別に結婚が嫌なわけじゃない。ただただ、面倒くさいのだ。
貴族令嬢としての嗜みは一通り叩き込まれた。刺繍?ダンス?まあ、人並みには。
でもでも! 私の心をときめかせるのは、インクと羊皮紙の香りだけ!
恋愛小説は大大大好きだ。ドキドキするし、胸が締め付けられてキュン死に寸前になる。でもそれは、あくまでフィクションだから輝いているのだ。
現実の殿方が「我が愛しの君」だの「君のためなら死ねる」だの囁いてきたところで、ねえ?
「うふふ、なんてロマンティックなのでしょう(感情ゼロ)」
「感動で胸が張り裂けそうですわ(大嘘)」
そんなんだから、これまで持ち込まれたご縁談は百発百中で破談。
両親の胃に穴を開け続けて早数年。お薬ちゃんと飲んでるかしら。
「よろしいか、エリザベート! 今夜の王宮夜会が、お前にとって最後の機会だと思え!」
父がビシッと、それはもう最終勧告の勢いで言い放つ。
「もし今夜も相手を見つけられなかったら……お前を辺境の修道院に叩き込むからな!」
「まあ素敵! 静かな環境で思う存分読書三昧ですわね!」
「エリザベーーーート!! この親不孝者めがぁぁぁ!!」
本日二度目の父のハイトーンシャウトが、春の麗らかな青空に高らかに吸い込まれていった。
◇◇◇
そして夜!
キラッキラのシャンデリアが目にも眩しい、王宮の夜会ホール!
色とりどりのドレスと軍服が、まるで万華鏡のようにくるくる踊る。
そんな中、私は壁の花! ……いや、もはや壁の染みと化して気配を消していた。
「エリザベート様、今宵の貴女は夜空に輝く月よりもなお美しい……」
今日のターゲット……いやいや、熱心な求婚者のお一人、ねっとり粘着系で有名なボルドー子爵が、うるんだ瞳で私を見つめてくる。
(うわぁ……今日のノルマ達成まで、あと何分耐えればいいのかしら……)
内心で盛大なため息をつきつつ、完璧な淑女スマイルを顔面に貼り付ける。
「まあ、子爵様ったら、お口がお上手ですこと」
「この後、私の屋敷のバルコニーで美しい月を見ながら語り合いませんか? もちろん、二人きりで……ね?」
ぐいっと力強く腕を掴まれ、ぞわわわっと全身に鳥肌が立つ!
(逃げろ!今すぐ逃げるんだ、私!)
「あ、あちらに! とても珍しい七色に光る夜光蝶がいますわ!」
あらぬ方向を指さし、子爵が「なぬっ!?」と気を取られたその一瞬!
私はドレスの裾をひるがえし、猛ダッシュ!
人混みを巧みにかき分け、柱の陰から、さらに奥のテラスへと逃げ込んだのだった。
「はぁ……はぁ……ま、撒けた……かしら……?」
ぜえぜえと息を切らし、テラスの手すりに寄りかかった、その時。
ふいに背後から、ゾクッとするほど低い声がした。
「お困りのようだね、レディ?」
「ひゃっ!?」
心臓が跳ねる勢いで振り返ると、そこには……!
息をのむほど美しい男性が、月光を背に立っていた。
漆黒の闇を溶かし込んだような黒褐色の髪。吸い込まれそうなほど深い、燃えるような紅色の瞳。
まるで、闇の神に愛された貴公子。少女漫画から飛び出してきたの?レベルの美形!
(だ、誰……!? 見たことないお顔だけど、とんでもないイケメン……!)
思わずぽけーっと見惚れてしまった私に、その人はゆっくりと近づいてくる。
そして、私のすぐ目の前でぴたりと立ち止まると、くんくん、と鼻をわずかにひくつかせた。
(え? 何? この人、私の匂い嗅いでるの……?)
次の瞬間、彼はうっとりと恍惚の表情を浮かべて、こうのたまったのだ。
「……君の匂い……すっごく気に入った」
「うへっ!?」
思わず、カエルの潰れたような声が出た。
「ああ、なんて極上の香りなんだ。まるで、魂の奥底が歓喜に打ち震えるようだ……」
「あ、あの……どちら様で……?」
私の全身全霊の困惑を完全スルーして、彼は恍惚とした表情で言葉を続ける。
「生まれて初めてだ。こんなにも心が、本能が掻き立てられる香りは」
そして、有無を言わさず私の手を取り、その燃えるような紅い瞳で射抜くように見つめて、こう高らかに宣言したのだ!
「決定だ。君は、今日から俺のものだ」
「…………はいぃぃぃぃぃぃ!?」
何なのこの人、マジで怖い! 顔面偏差値は神レベルなのに、言動が完全にヤバい人じゃないの!
私が脳内パニックでフリーズしていると、そこへタイミング最悪にも、先ほどのボルドー子爵が息を切らして追いついてきた。
「エリザベート様! こんなところにおられましたか! さあ、私の腕の中へ!」
「ひぃっ!」
またしても腕を掴まれそうになった、その瞬間!
目の前の超絶美形様が、子爵の腕を音もなくパシッと掴み返した。
え、何その反射神経。そして何その握力。子爵の顔が歪んでるんですけど!
「彼女に気安く触れるな。汚らわしい」
地を這うような、凍てつくほど低い声。さっきまでのうっとりした声とは別人みたい!
「な、なんなのだ貴様は! 私は栄えあるボルドー子爵であ――」
「黙れ、愚図。その名を二度と俺の前で口にするな。虫唾が走る」
美形様の紅い瞳が、恐ろしいほど冷酷に細められる。まるで獲物を仕留める直前の猛獣。
ボルドー子爵は、その尋常ならざる覇気に完全に腰が砕け、顔面蒼白どころか土気色。
「ひぃぃぃ! も、申し訳ございませんでしたぁぁぁ!お許しをぉぉぉ!」
子爵は脱兎のごとく逃げていった。まさに蜘蛛の子を散らすよう。あっという間の出来事だった。
「……ふう。鬱陶しい羽虫が消えたな」
美形様は、何事もなかったかのように涼しい顔で私に向き直る。
その紅い瞳は、またしても、さっきのうっとりとした熱っぽい色に戻っていた。
(変わり身の早さが神業レベル!)
「さて、改めて自己紹介させてもらおう。俺はアルヴィン・ラヴェル。伯爵だ」
「は、ははは、伯爵様……でいらっしゃいましたか!?」
ラヴェル伯爵家といえば、王族の血縁にも連なる超名門! しかも現当主は若くして「竜神」の異名を取るほどの無双の剣士だと噂に聞く。
――そして、鉄壁の堅物で、女性には一切興味を示さない、とも。
(え、えええ!? この人があの!? 噂と百万光年くらい違うんですけど!? むしろ真逆!)
「それで、愛しい君の名前は?」
「え、えっと……エリザベート・フォン・モンヴェールと申します……」
「エリザベート……ふむ。エリィ、と呼んでも差し支えないかな?」
「な、ななな、馴れ馴れしいにもほどがありますわ!」
思わず素で叫んでしまった。だって! 初対面(しかも超ド級の変態発言付き)の男性に、いきなり愛称で呼ばれるなんてありえない!
アルヴィン様は、心なしか少しションボリした顔をする。子犬みたい。
「そうか……残念だ。だが、すぐにそう呼んでもらえるよう、俺は努力を惜しまないつもりだ」
(そういう問題じゃないのよ!)
「そ、それよりもアルヴィン様! 先ほどの『俺のもの』というご発言は……いったい……?」
「ああ、言葉の通りだ。君の、その魂ごと俺を惹きつけてやまない極上の香りに、俺はもう完全にノックアウトされてしまった。だから、君を俺の妻として、この腕に迎え入れたい」
「…………やっぱり筋金入りのド変態じゃないですかぁぁぁぁぁ!!」
私の魂の絶叫が、静まり返った夜のテラスに虚しく、そして高らかに響き渡った。
この夜の衝撃的な出会いが、私の退屈極まりなかった本だけの日常を、根底からひっくり返す大事件の幕開けになるなんて。
この時の私はまだ、知る由もなかった。
そして、彼の燃えるような紅い瞳の奥に、時折ふっとよぎる、深い深い孤独と悲しみの色の意味も、まだ。
(第1話 了)
アルヴィンの(現時点では疑惑の)変態っぷりと、それに振り回されるエリザベートの姿に笑い転げてくださる日を夢見て!