やがて夜になる
午後七時。冬の夜はとても早い。
真っ黒な夜の帳がすっかり下りた頃、ストレンジ・ワールド内に白い『もや』が立ち込めはじめる。
人工の霧である。園内の至る所に埋め込まれた散布装置から噴出した物だ。
シューシューと空気の漏れ出る音と共に、あたりはミルク色に包まれる。
その中で遠く、アトラクションの光が輪になって動く。
この、幻想的にけぶる夜が、ストレンジ・ワールドの最大の特色だった。
テーマパークだというのに、あえて視界を見えにくくする。
それが効果的に働いているのは、『あの世とこの世の境目の国』という異質なテーマだからだろう。
楽しげな音楽が、どこか幽遠で不可思議な旋律を帯び始める。
同時に、プロジェクターの光が霧の中に照射され、そこにコミカルに舞い踊るゴーストを形作った。子供達は大喜びで手を伸ばして追い掛け回している。
視界は悪いが、それほど濃い霧ではない。道の端には等間隔にランプが設置されているので、誤って茂みに足を踏み入れることはなかった。
三十分ほど見回りを続けた後、インカムから五条の声が響く。
「睦月君、そろそろドゥンケル城前でパレードが始まります。ゲストの誘導に回ってください」
声に従い、城前に着くと、すでにロープが張られはじめ、大勢の見物客が集まっている。
睦月も他のスタッフを見習って、ゲストを通りから追い出していく。
ドゥンケル城の跳ね橋が軋んだ音を立てて、ゆっくりと閉まっていった。
「パレード中は、ドゥンケル城への出入りはできないんですか?」
睦月の質問に、インカムを通して五条が答える。
「ドゥンケル城の跳ね橋は、パレード中は上げられる決まりになっているんです」
「城内に取り残されたゲストはどうすれば?」
「裏手に小さな橋があるので、そこから出られます。けれど、パレード中は城内のアトラクションは止まってますし、パレード自体がストレンジ・ワールドの目玉イベントなので、残ってる人はほとんどいません。……一応、見張り搭から見下ろせない事もないですが。そもそも上から見下ろしたんじゃ、なにをやってるかよくわかりませんからね」
ガヤガヤと楽しそうな声が渦巻く中、遠くのほうで歓声があがった。
見ると、そちらの方から色とりどりの光の渦が、楽しげな音楽と共にゆっくりと近づいてくる。
数十人のダンサーを伴って、豪華な馬車が現れる。馬車の上にはタキシード姿の橘が立ち、マントを翻している。彼の上を、音楽に合わせて無数の蝙蝠が飛ぶ。
白煙を吹き上げる機関車が姿を現す。もっともレールはないし、ましてや本当に蒸気機関で走ってるわけでもないだろう。客車には琴羽が乗り、笑いを振りまきながら手を振っている。機関車の煙突から大きな火花が散り、空に打ち上げ花火がいくつも上がる。
その後ろから、電飾をあしらった馬鹿げたほど巨大な屋台。先導しているのは華音だった。チャイナドレスを着たダンサーを引き連れた彼女は、調理器具でジャグリングしている。
さらには蔦であしらわれたカボチャの馬車に乗った芽衣子が続く。芽衣子はゲストに向かって踊りながら紙できた花をばら撒く。後から来た雪ダルマには雪女が、扇子を振りキラキラと結晶を作り出し、巨大な壺からは炎が吹き上がると、笑い声と共に仮面を被った筋骨隆々の大男が姿を現した。
そして、車輪のついた船の上には、フードを被った小柄な人物が、櫂を振り上げゴーストを掻き回し、それぞれが派手なパフォーマンスを見せていく。
最後に、霧の中から巨大な死神が姿を表した。真っ黒な布で隠されているが、どうやら下部に、他のパレード車と同じように電動の車があるらしく、まるで滑るように通りを進んでゆく。
両手で持った鎌を、威嚇するように上下に振り上げているが、その顔は愛嬌のある笑顔に彩られている。ベンチほどもある巨大な膝の上に、ワーウルフの詩桐が立膝で腰掛けていた。
詩桐が立ち上がる。と、次の瞬間、詩桐の顔が刹那にして、狼その物へと変化した!
恐らく、服の中に仕掛けを用意していたのだろう。
彼女は大きく雄たけびを上げる。よく通る、まるで獣そのものの声が、場内のスピーカーを通してハウリングしつつ、空に高く響いた。
ウォオオオオーーーーーーーーーーー…………ンッ!!
高音が、耳にたっぷりと余韻を残す。
その声に呼応するように、ゲストがより一層湧き、熱狂を深めていく……。
たっぷり一日働いた疲労とカラフルな明滅に、まるで熱に浮かされたようにぼうっとしていると、インカムから声が聞こえた。
「睦月君。パレードが終わったら、ゲストの前からロープを撤去して通りを開放してください」
「あ……はい!」
正気づいた睦月の声に、五条が笑いながら言う。
「どうですか? すごかったでしょう」
「ええ! 特に、最後の雄たけび。まるで本物の狼男みたいでした! ……と、狼女か?」
熱狂覚めやらぬ様子のゲストの前から順番にロープを外すと、通りにまた人が溢れた。
背後で大きく軋んだ音が鳴る。そちらを見ると、ドゥンケル城の跳ね橋が通りへ向かって降りるところだった。