大食堂
廊下は地下への階段に繋がっていた。階段を降りつつ、琴羽がいう。
「ストレンジ・ワールドの地下には、従業員用通路が張り巡らされているんですよ。ちょうど蜘蛛の巣みたいに広がってるから、慣れれば、こっちを使ったほうが早く移動できるの」
連れられた先は、喧騒に塗れた大食堂だった。
座席はどこも一杯で、みなが食事をし、くつろいでいる。
地下に作られているので窓はないが、その代わりに壁には絵画が並び、食べ物の匂いが溢れていた。
椅子にはどれも背もたれがなく、テーブルには調味料や雑誌、パンフレット類が置いてある。琴羽が言う。
「スタッフやキャストは、ワールド内の飲食店は使用禁止ですから。お昼は大混雑です」
「まあ、ヴァンパイアやアルラウネがゲストの前で肉まん食べたりコーラ飲んだら、興ざめもいいとこだよね。それにしても、こんなに人がいたんだなぁ!」
睦月は感心してしまう。
一般のスタッフもファンタジー色豊かなユニフォームを着ているので、まるで中世の酒場のような雰囲気がある。
琴羽がにこりと笑い、食堂のメニューを指し示した。
「ここは何を食べても美味しいんですけど……やっぱり、ラーメンやカレーライス、丼物が人気ですね」
「琴羽さんは、何を食べるの?」
「私は、おいなりさんです」
「…………」
(そのゴシックで優雅なドレスには、いまいち似合わない)
睦月の視線を受け、琴羽は笑った。
「ほら、カレーうどんとかだと匂いがつくし、こぼしたら衣装が汚れてしまうでしょう?」
「ああ、なるほど」
確かに、カレーの匂いをぷんぷんさせたサキュバスなど、魅力もなにもあったものではないだろう。
迷った末に、睦月はカツ丼を選ぶ。カウンターで渡された食事のトレイを持って、琴羽と共に席に着いた。
とは言え、鎧姿なのでくつろぐことはできない。足を開いたガニ股の姿勢で腰掛ける事になる。
琴羽も、その中の椅子のひとつに、スカートが皺にならないように丁寧に手で伸ばしてから腰掛ける。椅子には背もたれがないので、背中の羽も邪魔にならない。
「しかし……みんなこっちを注目してるね」
その言葉通りに、食堂内には好奇の視線で二人を見る者が多い。いくらファンタジー色溢れるとはいえ、鎧姿や蝙蝠羽は二人だけだ。
「年末年始や大型連休中は、新しいバイトの方が増えますからね」
シルクの手袋を外し、稲荷寿司を形の良い口へと運びながら琴羽は言う。
「メインキャストはたったの八人。あなたを入れて、サブキャストは十二人。だけど、それだけじゃテーマパークは動かせないもの。オペレータをはじめ、アトラクションの整備や園内の清掃員、パレードのダンサーに列の整理や厨房のスタッフを含めると、全部で数百人はいるわ。うちは入れ替わりが激しいから、正確な人数はわからないけれど」
「そんなに大人数なんだ」
睦月は感心してカツ丼を口に運ぶ。
「そんな中からメインキャストに選ばれるなんて……努力家なんだね」
だが、琴羽は平然と答える。
「メインキャストは、努力でなるものじゃないのよ」
「……はあ」
(じゃ、才能だって話か?)
およそ琴羽に似合わない高慢な台詞に驚いて顔を見ると、どうやらそういうわけでもないらしい。
もぐもぐと口を動かして、不思議そうな顔をしている。
そうして、暫くたってから睦月の視線の意味に気づき、困った顔でモジモジしはじめた。
「あっ! い、いえ……そうね。えっと、その、なんていうか……あれよ、オーナーが選ぶものだから……う、うちのオーナー、変わってるでしょう!? ほら、外国の人だし」
言われて、睦月は思い出す。
今朝会ったばかりの、スミレ色のスーツを着た亜麻色の髪の女オーナー。
サンドラ・エルピスの顔を。
「うん、確かに」
ストレンジ・ワールドの面接は、文字通りにあっという間に終わってしまった。
睦月の顔を見て、「華音の幼馴染?」と聞き、「はい」と答えた。
次いで「口は堅いほう?」と聞くので、「ええ」と頷く。
最後に「健康? 深刻な病気とか持ってない?」と聞かれて、「健康です」と言った。
それで、終わりである。「じゃ、採用」の一言と共に、機密保持に同意する書類にサインを求められ、早速この鎧を着せられて、その日から仕事である。
「型にとらわれないと言うか……なるほど。彼女が、ここの主なわけか」
生と死の境の国、そこに君臨するのはメインの役柄でさえ、一言で挿げ替える女王様というわけだ。
睦月が笑うと、琴羽もつられて笑った。
「そうね。でも、本当にあの人が女王様なのよ。メインのキャストやりたいって人には、うちは実力で選ぶんじゃないから、他の所に行った方がいいわよってはっきり言ってしまうの」
二人でひとしきり笑った後、琴羽がおもむろに角付きカチューシャを押さえた。
「あら? ……ごめんなさい。私、ちょっとオペレーターに呼び出されちゃった。……休憩時間、早めに切り上げられないか、だって。それじゃ、睦月君。またね!」
そう言いながら奥の扉へと入っていった。
後に残され、手持ち無沙汰になった睦月は、自販機で缶コーヒーを買い、飲みながら休憩時間を過ごす。
たっぷり休んでから壁にかかっている時計を見ると、休憩時間はもうすぐ終わりだった。
缶コーヒーを飲み干してゴミ箱に放り投げ、カコンと音が鳴る。
ヘルメットをかぶると、まるでタイミングを合わせたように五条の声が聞こえた。
「睦月君。休憩時間はそろそろ終わりですよ。クーロン・ストリート周辺が混雑しているので、そちらへ向かってください」
「イエス、マスター!」