休憩時間
ドゥンケル城の中央ホールでは大勢のゲストが列を成し、夢中で写真を撮っている。
その中心は、ゴシック風ドレス姿の琴羽だ。ふんわりと柔らかな笑顔を振りまき、客の求めに応じて一緒にポーズを取っている。列の回転は早いものの、後から後からひっきりなしにくるので、いつまでたっても終わりそうにない。
確かに、これでは休憩など取れないだろう。睦月は最後尾の客の後ろに立つ。
「申し訳ありません。ここで一旦、締め切らせてください」
後ろに並ぼうとしていた客は一瞬だけ残念そうな顔をしたものの、すぐにあきらめて引き下がり、別のキャストを探しに行った。ここには、遊ぶ所はいくらでもあるのだ。
睦月は、最後尾に銅像みたいに突っ立ち、後の客が写真を撮り終えたのを確認すると、琴羽の前へと進み出る。
琴羽はにこりと微笑むと、ゲストに向かって優雅な一礼をして、先にたって歩き出した。
ドゥンケル城の内部には、各部に立ち入り禁止の札がかかっている。
そのうちのひとつの通路に入り、客の目の届かない場所まで来ると、琴羽はほっとしたように胸をなで下ろし、照れた顔で振り返った。
「えっと、はじめまして。華音さんの言ってた後輩の子ですよね? 私は天想琴羽です。琴羽と呼んでください」
「はじめまして。霜上睦月です」
「私、要領が悪くって。一人だと、いつまでも休憩とれないんですよ。……もう五年もやっているのに」
「お仕事、長いんですね」
言いつつ、睦月はヘルメットを取ってその顔を改めて見た。少し濃い目の化粧の下は、まだ少女と言っても差し支えないほどの年齢に見える。もっとも、テーマパークで五年も仕事をしているくらいだから、睦月より年上には違いないだろうが。
睦月は、脱いだヘルメットを小脇に抱える。
「あんなにたくさん人がいたら、無理もないですよ」
それから、琴羽のコスチュームをまじまじと見つめた。
「それ、すごい衣装ですね。琴羽さん、何役のキャストなんですか?」
寒い季節だというのに、肩は完全にむき出しだった。ゴシック風の衣装は黒一色、大量のフリルがあしらわれ、背中には蝙蝠の羽がついていて、頭には捩れた角が鎮座してる。
琴羽は、突然、立ち止まる。不思議に思い、振り返ると、その顔はなぜか赤面していた。そして上目使いで睦月を見ると、顔をさらに赤く染めて言った。
「わ……私の役は……」
「……どうしたんですか?」
琴羽は立ち止まったまま、何事かもごもごと呟いている。
睦月は眉根を寄せて、首を捻る。何を言っているのか、全然聞こえない。
ためしに二、三歩近づいてみた。
「サ…………す」
「はい?」
「……ですから……サ……ス……役…………です」
睦月は耳を寄せてみる。
「……バ……、サ……」
「ばあさん? ああ、魔女のお婆さん役ですか? ずいぶん可愛らしいお婆さんですね!」
琴羽は泣きそうな表情を浮かべ、そこで一旦言葉を区切り、深呼吸をしてから口を開いた。
「サ……っ!」
「サ?」
「サキュ……バス、役をやらせてもらってますっ!」
言うなり、琴羽は顔を真っ赤に染めて両手で覆ってしまう。
その様子に、睦月は首を傾げて聞き返した。
「サキュバスって……あの、夜中に男の枕元に立って、エッチな夢を見せて精気を吸い取るっていう、女悪魔のエロいサキュバス?」
「わ、わかってます! わかってますよう、改めて言わなくても! そうです、そのサキュバスです! 男好きで、エッチなサキュバスですよう! あうー!」
琴羽はいやいやするように首を振り、一人で絶叫気味に「キャー」だの「わー」だの盛り上がっている。その大げさに恥らう様子は、およそサキュバスのイメージとは程遠い。
今時、ちょっと見ないくらいに純情らしい。唖然としながら睦月は思う。
(この人、なんでサキュバス役で働いているんだろう……?)
むしろ、アルラウネ役の芽衣子の方が、はるかにそのイメージに近い。
一方の琴羽は一通り恥ずかしがって気が済んだのか、大きく深呼吸をすると、睦月の方へと向き直り、咳払いをひとつ。
「こほん。す、すみません。私、その……どうも、そういう方面に免疫が薄くって……」
その真っ赤な顔を見て、睦月は思う。
(免疫が薄いのに、サキュバスなんだ?)
とは言え、琴羽は掛け値なしに可愛い。それとなく、横を歩く彼女を見る。
なるほど、『ストレンジ・ワールドの顔』と評されるのも納得だ。
外国の血が混じっているのか、鳶色の目に高い鼻。どことなく上品かつ控えめ、ノーブルな魅力に溢れた横顔は、そこにいるだけで可憐な花が咲いているようだ。
そんな彼女をあえてサキュバス役に起用したミスマッチも、なんとなーく、わからないでもない。
というか逆に、これくらい純な空気をまとってないと、サキュバスなんてエロな悪魔は、家族連れの前に出せないだろう。
と、ようやく赤みの引いた頬を押さえつつ、琴羽が言う。
「ああ。それと、私に敬語は使わなくてもいいですよ。周りが年上ばかりで大変でしょ?」
「そうですか? それじゃ、遠慮なく」