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初日の仕事

 ヘルメットをひっくり返すと、確かにボタンがある。

 頭に被りスイッチを押し込むと、軽い電子音の後にインカムを通じて男性の声が聞こえてきた。

 とても優しげで、耳に心地よい響きの声だった。


「はじめまして。オペレーターの五条柚春(ごじょうゆずはる)といいます。今日から一緒に働く事になった……霜上睦月君ですね?」


「はい。よろしくおねがいします」


「すでにケンゾーさんから、ある程度のお話は聞いていると思いますが、ここでの睦月君のお仕事は、ゲストの警備や案内です。基本的な指示はこちらでさせてもらいますから、睦月君はインカムに従って動いてください。マイクは電源を切らない限り、オンになったままです。質問がある時は、そのまま話しかけてもらえれば、こちらに聞こえますよ」


 それから、ややあって笑い混じりの声が聞こえた。


「それと、睦月君……だなんて。いきなり馴れ馴れしく呼んでしまいましたけど。不愉快ではありませんか?」


 嫌味な気配はまったく感じない、友好的な声だった。

 だから、睦月も笑って答える。


「大歓迎です! よろしくお願いします、五条さん!」


 周囲を見回すと、ケンゾーの姿はすでに見えない。

 唐突に、ファンファーレが鳴り響いた。

 それが園内に設置されたスピーカーから流された、開園の合図だと睦月が気づくと同時に、入り口から楽しげな歓声と大量の人が雪崩れ込んできた。


 人波は、あっという間に園内へと広がって行き、辺りはゲストで埋め尽くされる。

 見渡す限り人、人、人の群れに、睦月は文字通りに圧倒される。

 手際よく誘導を始めたスタッフを横目に、ドゥンケル城の入り口横で門番さながらに立ち尽くしてしまった。

 と、しばしボーっとした後で、耳に五条の笑い声が聞こえ、唐突に我に返る。


「あはは。すごい人でしょう? インカムを通してでも、睦月君が息を呑むのが伝わります」


「あっ……と。すみません」


「初めてでは無理もありませんよ。そうですね。とりあえず、ドゥンケル城の周辺を巡回してください。森や茂み、立ち入り禁止の場所にゲストが入らないように見張ってて、それと、別途してほしい時がある時は、こちらで指示を出しますから」


「わかりました」


「勤務中の返事は『イエス、マスター』で統一してください。ゲストに頼みごとされた時も、同じ返事でお願いします」


 咳払いをひとつ。それから、背筋を伸ばして答える。


「イ、イエス、マスター……。なんだか恥ずかしいな」


「ダメですよ! 絶対に恥ずかしがってはいけません。あくまで自然に、照れは捨ててください。さ、もう一度!」


「では……イエス、マスター!」


 五条の指示に従い、ドゥンケル城の周囲を歩き回っていると、ゲストが自分を遠巻きに見ているのに気づく。

 どんなに端を歩いても目立つし、その視線にも遠慮がない。

 当たり前な話だが、注目されているのだ。

 そもそも、こんな白銀の鎧でテーマパーク内を歩いているのはキャストに間違いないのだから、ジロジロ見られて当然だろう。そうでなければ、単なる変態だ。


 ふと前方を見ると、人だかりができていた。何事かと確認しながら通り過ぎると、中心には黒いタキシードにマントを羽織った男性が立っていた。


「あれは確か、橘裏人さん……だよな」


 インカムを通じて、その声が聞こえたのだろう。五条が答える。


「橘裏人さん、ヴァンパイアのキャストですね。ドゥンケル城のメインです」


「すごい人気ですね」


「ええ、彼と天想琴羽さんの二人は、ここ、ストレンジ・ワールドの顔と言っても過言ではありませんからね」


 橘がニヤリと笑う。唇の端から牙が覗き、マントが大きく翻った。

 途端、客が歓声をあげる。

 自分の見せ方をよく心得ている、と言った風情に、睦月は呟く。


「へえ。俺には、とても真似できそうにないなぁ……」


 単なる独り言だったのだが、それを聞いた五条が、安心させるように言う。


「大丈夫ですよ。まずは仕事に慣れ、それから少しずつ覚えていけばいいんです」


「……って事は、俺も最終的にはあれくらい、できなきゃダメって事ですか?」


「ええ、まあ。仕事ですから。そこは向上心を持って、目指してください。最終的には君自身が、完璧にモンスターに成りきるのを目標にしてくださいね。……もっとも、人は誰しも何らかのキャラを演じてるものです。あまり、難しく考えないでいいんですよ」


「ふむ。キャラを演じる。モンスターに成りきる……か」


 その場を後に、園内の巡回を続けることにする。

 とは言え、昼の日中に楽しい遊園地でトラブルを起こそうという輩は、そうそういないらしい。平和に時間だけが過ぎていく。

 そして、開園から二時間。昼の十二時を過ぎた頃、五条から初めて具体的な指示が入った。


「睦月君、『月影庭園(つきかげていえん)』に向かってください。迷子の保護です」


「イエス、マスター!」


 園内マップは、すでに頭に入れている。

 月影庭園は園内の西側、ドゥンケル城から見て左手に位置する巨大な庭園だった。薔薇や百合、クロッカスをはじめとして、様々な植物が咲き乱れる。今は冬なので咲いてる数は少ないが、それでも近づくにつれ、むせ返るような花の匂いが漂ってきた。

 少し急ぎ足で向かうと、ボディースーツの内側に汗が滲む。


 昼時と言う事もあって、周囲にあまり人はいない。

 やがて、金属製の(つた)で編まれた大きなガゼボ……西洋風の東屋(あずまや)が姿を現し、そこに二人の女性と子供が、寄り添うようにして立っているのが見えた。

 露出の高い蔦の衣装に薔薇の冠を被った女性と、もう一人は獣耳をつけた毛皮のコスチュームだ。獣耳の方は女性にしてはかなり背が高く、睦月よりも上である。

 そのうちの一人、薔薇の冠を被った女性の足に、不安そうな顔の男の子がしがみついている。

 睦月が近づくと、薔薇の女性はにこりと笑う。


「はぁい! あなたが新しいサブキャスト?」


「はい。霜上睦月といいます」


「私、アルラウネの夕川芽衣子(ゆうかわめいこ)。こっちはワーウルフの黒井詩桐(くろいしきり)よ。よろしくね!」


 迷子は不思議そうに交互に顔を見上げている。

 と、詩桐が睦月に顔を寄せ、囁く。


「バカ! オレらともっと親しげに話をしろ。仲いいところ見せないと、子供が不安がってお前についていかないだろう?」


 睦月は頷く。ヘルメットのひさしを上げて、芽衣子と男の子、交互に笑顔を見せた。


「よろしくお願いします」


「迷子はこの子よ。オペレーターが言うには、ご両親はもうセンターに到着してるみたい」


「それじゃ、俺が連れていけば一件落着ですね」


 詩桐が男の子の頭をなぜた。


「そういうこと。坊主、この兄ちゃんについてけば、ママとパパに会えるぞ!」


 それでも、まだ男の子は躊躇している。

 睦月は咳払いをひとつ。腰を落とし、芝居がかった仕草で手を差し伸べる。

 すると、おずおずと言った様子で男の子はその手を掴んだ。


「……パパとママに会わせてくれる?」


「イエス、マスター!」


 男の子の顔が、パッと輝く。

 その様子を見ていた芽衣子は嬉しそうに笑うと、絡みつくような流し目で睦月に近づく。

 そして顔を寄せると、そっと囁いた。


「ねえ、休憩時間いつかしら? よかったら……一緒に過ごさない? お姉さんが楽しいこと教えてあげるわ」


 鼻先に、まるでピンク色に染まったみたいな甘酸っぱい吐息がかかり、睦月は驚いて後ずさる。

 後ずさった分だけ、彼女は豊満な胸元をみせつけるように迫ってきた。

 詩桐が慌てて割って入る。


「そ、そこまで親しげにしなくていいんだよ! こっちこい、アホ!」


 そして腕を芽衣子の首に回し、力づくで引きずっていく。


「あ、ちょっと! お近づきのキスくらいさせてよ」


「うるさいっ! ……とにかく、頼んだぞ!」


 あんな調子で問題にならないのかなぁ、と思いながら男の子を届けると、すぐに両親がやってきた。

 笑顔で手を振る男の子を見送っていると、五条から通信が入る。


「お疲れ様です、睦月君。そろそろ休憩時間です。九十分ありますから、ゆっくり休んでくださいね。まずはドゥンケル城へ行って、琴羽さんをエスコートしてきてください」


「……エスコート?」


「ええ。花形のキャストはいつも人に囲まれてますからね。休憩に入るのも一苦労なんです。ゲストがいた場合、キリのいいところで連れ出してください」

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