紅伊吹邸にて
巨大な門を潜ると、中は和風庭園になっていた。
庭の隅で、真っ白な和服に黒髪の少女が、マッチョで日焼けの半裸男と話をしている。
華音が手を振って挨拶すると、和服の少女が二人を一瞥し、背伸びしながら袂で口元を隠して男に何か告げる。
そしてクルリと背を向けて、スタスタ歩いて行ってしまった。
残された半裸男は、苦笑して二人に頭を下げると、慌ててその後を追っていく。
「な、なんだか、素っ気ない感じですね……?」
「雪女役の真央さん。あんまり愛想よくないけど、悪い人じゃないのよ」
あれが仕事の同僚だとしたら、バイト生活に早くも暗雲が立ちこめてきた。
「はあ……。それで、俺はあの人達と、ここで仕事するわけですか?」
言いつつ、地面を指で指し示した。
不安そうな彼の声に、華音は慌てて首を振る。
「ちがう、ちがう! ムーちゃんにお仕事教えてくれる人は、別にいるの!」
そして今度は、手を引いて屋敷へと向かう。
玄関をくぐった先は、一般的な家とはまったく違って、レールが敷かれて大きなトロッコが鎮座していた。
トロッコの真ん中には和風の鎧兜がドンと占拠し、前を見据えている。
赤を基調に金の装飾、兜には大きな角が二本。鬼の面頬をつけていた。
トロッコのレールは、廊下の奥へと伸びている。
……この奥に、3Dシアターのコースとやらがあるのだろうか?
そちらを見ようと、身を乗り出して首を捻る。と、次の瞬間。
睦月は思いっきりのけぞった。
「う、うわあっ!?」
深紅の鎧兜が立ち上がり、刀を振り下ろしたからだ。
光煌めく白刃が、目の前をサッと通り過ぎる。思わず、ドスンと尻餅をつく。
すると鎧兜は、バリトンの利いた笑い声を上げながら手を差し出した。
「ふははは! 華音ちゃんの後輩と言うのは君か……わしは御来屋賢三。ここの警備主任をやっておる。ケンゾーと呼んでくれ。君が、霜上睦月君じゃな?」
言葉と共に、鬼の面が下へとずれる。
そこには、いかにも好々爺といった面持ちの白髭の老人が、優しげに睦月を見下ろしていた。
「び、びっくりしたぁー! 中に人がいるだなんて思いませんでしたよ」
と、華音がニコニコ顔でしゃがみこみ、睦月の顔を覗き込んだ。
「ムーちゃん。この人がムーちゃんにお仕事を教えてくれる、ケンゾーさんだよ」
老人は倒れた睦月の手を掴むと、すごい力でグイと引き上げる。
「は、はあ……」
呆然としたままの睦月を見て、ケンゾーがムッと顔をしかめる。
「いかんっ!」
「いかんって……なにがですか?」
「全てがいかんな。言葉使いも、動きも。なにより、心構えがなっておらん!」
そして、いまいち釈然としない様子の彼の肩をバスンと叩いて言った。
「君には、まだ自覚が足りておらん!」
「自覚……ですか?」
「うむぅ」
ケンゾーは深く頷く。
「睦月君よ、問おう。ここは、どこだ?」
「どこって……ストレンジ・ワールドですよね」
「ストレンジ・ワールドとは、なんだ?」
「日本屈指の規模を誇る、巨大テーマパークでしょう」
「違ァアーうッッッ!」
ビリビリと、辺りの空気が震えるほどの大声でケンゾーは一喝する。
また、睦月はのけぞった。
華音がケンゾーの顔を見上げ、首を傾げて尋ねた。
「ねえ、ケンゾーさん。ムーちゃんを預けて、大丈夫? あたし、屋台の準備しないといけないの」
ケンゾーは、華音の頭をぐりぐりと撫ぜる。
「おお、後はわしに任せて、華音ちゃんは行っておいで」
睦月も同意する。
「……だ、大丈夫です。先輩はもう、行ってください」
華音はこくりと頷くと、手を振った。
「うん。それじゃ、また後でね!」
正直、この状況で華音がいなくなる事に、一抹の不安を覚えないでもなかった。
だが、わがままを言ってはいられないし、なにより、いつまでも子ども扱いされるのは情けない。
華音が屋敷から出たのを確認すると、ケンゾーはトロッコから降りて睦月の前に立つ。老人にしては体格がいい。
二人の顔の位置は変わらないが、鎧兜の飾りが大きいので、ケンゾーの方がずっと背が高く見える。
「では、ついてきなさい」
ケンゾーは背筋を伸ばし、大股で外へと出て行った。睦月は慌てて後を追う。
無人のテーマパーク内を、ガチャガチャと喧しい音を立て、和洋二人の鎧姿が並んで歩く。
ケンゾーが道に併設されたパンフレット入れから、一枚を抜き出して睦月に渡した。
パンフレットには、カラフルなイラストと宣伝文句が躍っている。
『あの世とこの世の境の国、ストレンジ・ワールドへようこそ! ここに住むのは、異形の怪物……幻想と享楽、怪奇の世界!』
裏返すと、園内マップが載っていた。
ケンゾーは、それを指さして言う
「先ほど、睦月君には心構えが違うと伝えたな。ここでの君の仕事はなんだと思う?」
「警備や案内の仕事と聞いてきました」
「それも、間違いではない」
言いつつ、鬼の面頬を顔に被せた。
「時に睦月君。なぜ、わしらはこんな大仰な鎧を着ているか、わかるか?」
くぐもった声で問われた睦月は、少し考えてから答える。
「警備の仕事と言う事ですから、そのための道具でしょう」
「否ァアーッッッ!」
また、ビリビリと空気が震える。
今度は怒鳴られる覚悟ができていたので、のけぞらずにすんだ。
ケンゾーは腕を組み、天を仰ぐ。
「警備の仕事ならば、動きやすい制服でやればよい……こんな鎧は動きにくいだけだ」
そう言って、スラリと腰の刀を抜いた。
銀色の刀身が日の光に煌く。
「これも当然、模造刀だ。切れ味はまったくない。無論、睦月君が腰に下げている剣もだ」
睦月は、自分の剣も抜いてみた。
確かに刃先は丸まっている。これでは、紙切れ一枚切れそうにない。
睦月は腰の剣を納めながら言った。
「つまり、これらは人に見せるための小道具って事ですか?」
ケンゾーは頷く。
「中々に察しがいいな、睦月君。事実、清掃員やチケットの販売員の制服は動きやすい作りの物だ。調理場や整備のスタッフもだな。彼らは裏方に徹しているからだ。では、わしらがわざわざ衣装を着る理由はなんだ?」
このあたりでなんとなく睦月にも、彼が言わんとしている事がわかってきた。
「ははあ……なるほど」
「お? わかったか? では、再度問おう。ここは、どこだ?」
「ストレンジ・ワールド」
「ストレンジ・ワールドとは?」
一拍置いた後で、睦月は手元のパンフレットに目を落とし、冒頭に書いてある一文を読み上げる。
「この世とあの世の境の国。ここに住むのは異形の怪物」
その答えに、ケンゾーは大きく頷いた。
「うむ、正解だっ! 異形の怪物がいちいち驚いたり尻餅をついては、格好が悪い。それが、さっき言った心構えという意味だな」
「ケンゾーさんが、置物の振りしてた理由もわかりましたよ。ああやってお客さんを驚かせて楽しませるわけですね?」
「いや。あれは、単にわしの趣味だ」
「…………そっすか」
(迷惑な趣味だなぁ)
そんな話をしているうちに、ドゥンケル城の前に着いた。
眼前にそびえる巨大な城を見上げ、睦月は嘆息する。
「近くに寄ると、大きさがよくわかりますね」
「この城の半分は、本物の古城の建材が使われておる。ドイツの片田舎で森に埋もれるようにして建っていた、二百年前の城だそうじゃ」
城の周りにはぐるりと堀が作ってあり、そこを澄んだ水が流れている。
巨大な跳ね橋を渡りながら、先を行くケンゾーは前を見据えて言った。
「この堀の水は、城の裏手の『ノクターンの湖』まで繋がっておる」
説明しつつ、城内へと歩を進める。睦月も急いで後を追う。
城の内部は外見に相応しく、荘厳で豪華な雰囲気に満ちていた。
赤いカーペットが敷き詰められたホール正面には巨大な階段があり、壁を巡って左右に分かれている。
スタッフらしき数人が、客を誘導するためのポールとラインを並べている。
その奥で、肩の露出した黒いゴシックドレス風衣装に巨大な蝙蝠の羽をつけた女性と、タキシードにマント姿の男性が、真剣な表情で何かを話していた。
女性は、ケンゾーに気がつくと軽く会釈をする。
ケンゾーはそれに手で応じると、睦月へと向き直った。
「間が悪かったな。開園前に紹介しておきたかったのだが……彼ら二人が、このドゥンケル城の担当になる。女の子が天想琴羽ちゃん、それとタキシードが橘裏人君だ。彼らがメインキャストで、わしらはサブキャストという扱いだ」
「メインとサブ……? 違いはなんですか?」
「うむ。よい質問だ。例えばだな、他に大勢のゲスト、つまりお客さんの事だが……の相手をしている時に、迷子がいるからと言って、彼らが城を抜け出すわけにいかないだろう?」
睦月は頷く。
「だからと言って、迷子も放ってはおけん。そういう時に、指示を受けたわしらが素早く急行し、あくまでも自然に保護するわけだ。他にも、通りで喧嘩しているゲストがいるからと言って、豪奢なドレス姿のキャストが仲裁に入るわけにいかないだろう?」
またも、頷く。確かに、とばっちりで衣装を破られた日には、目も当てられない。
「わしらの姿ならば、多少は強引に割って入って保護しても、不自然な印象はない」
「なるほど。上手くできてますね」
言いつつ、外へ出る。ケンゾーは視線を上に巡らせた。
その先には時計搭がある。全長三十六メートルを誇る巨大な鐘付時計搭だ。
時刻を見ると、開園予定の十時まであと十分だった。
「さて。わしらの大体の役割はわかってもらえたと思う。あとはオペレーターの指示に従ってもらえれば大丈夫だし、わしも園内を巡回しておる。わからない事、困った事があったら、いつでも頼ってくれてかまわんぞ!」
それから姿勢を但し、睦月に向き直る。
「では、インカムの電源を入れなさい。ヘルメットの後ろに、スイッチがあるじゃろう?」