死んだ吸血鬼
ケンゾーに話しかけようとして、また息を飲む。
彼が何かを持っているのに気づいたからだ。それは、人の足だった。
ケンゾーは、ゆっくりと片手で鬼の頬面を外す。
その下はすっかり青ざめていた。
「これを、通路で見つけてな。まさかとは思ったが……睦月君、大丈夫か?」
睦月は答えようとして、気づく。
声がでないのだ。ごくりと唾を飲む。
ケンゾーは首を振った。
「愚問だったな。この状況で大丈夫な方がおかしい。少し落ち着いたら、オペレーターに状況を連絡してほしい。……できるな?」
そう言いながらケンゾーは近づいた。
睦月は頷き、ようやく声を絞り出す。
「は、はい。それと、ケンゾーさん、それ。あんま持ち歩かないでください。……怖いんで」
指し示す先には、手に持った足が。生々しい断面からは、鮮烈に血が匂った。
ガクガクと萎えそうな足に力をこめて、なんとか歩く。
角を曲がると、壁を背にして寄りかかり、震える声でインカムに話しかけた。
「五条さん、聞こえますか?」
ややあって、返答。
「……はい。橘さんはいましたか?」
「いたにはいたのですが……」
と、廊下の向こう。赤黒い水溜りの中に、何か大き目の物体が転々と転がっているのが見える。
それが、彼の体の一部だと認識し、睦月は「うっ?」と呻いて慌てて顔をそらした。
凄惨な光景と生臭さに、強い現実感。
悪夢の中から、急に引き戻されたような。
ただし、引き戻された所も、変わらぬ悪夢の中だ。
悪夢。悪夢。悪夢。目が覚めても終わらないなら、覚めない方がマシに違いない。
混乱する頭に、優しげな声が響いた。
「どうしました? 睦月君?」
「……死んでます」
「はい?」
「橘さん、死んでます」
「どういう意味ですか?」
「そのままの意味です。死んでいます」
五条は、『そのままの意味』と伝えたのに、どういう事かを考えているらしい。
しばらくしてから、怪しむような声が聞こえた。
「それは、確かに死んでいるんですね? 怪我ではなくて?」
その言葉がじれったくて。カッと頭に血が上り、睦月は息を吸い込んでから叫んだ。
「……ふ……っ! い、生きてるわけがないでしょっ! あんな風にバラバラにされて、辺りは血の海でっ! あんなの、誰が生きていられるっていうんだよ!?」
荒い息を吐きながらの、怒鳴り声。五条は何も答えない。
怒声が周囲のオペレーターにも伝わったらしい。インカムを通してざわめきが聞こえる。
しばらくの後、ひどく落ち着いた声が返ってきた。
「わかりました。すぐに警察に連絡します。ケンゾーさんは一緒ですか?」
その変わらない、穏やかなトーンに救われる。
人を安心させる声。
睦月の頭もスッと冷えた。
「……ケンゾーさんも一緒です。それと……」
インカムの向こうで、他のオペレーター達の戸惑う声が聞こえた。
バラバラとか血の海なんて単語も聞こえるので、睦月の言葉はオペレータールーム中に響いてしまったのだろう。
どうやら、パニックを撒き散らしてしまったらしい。そう思い、睦月は頭を振ってから言った。
「……怒鳴ってしまって、すみません」
「いえ、こちらこそ。疑うような事を言って、申し訳ありませんでした」
それきり、マイクの音声が切れた。
「ふう……」
五条への通信を終え、睦月は力なくズルズルと壁にもたれ掛かり、そのままガシャリと床に座り込む。
力いっぱいに怒鳴った反動だろうか? 今は、とても落ち着いていた。
脳裏に首だけの橘の姿が甦る。ほんの数時間前まで、彼は元気に自分と食事をしていたのだ。
赤い液体を飲み干しながら、得意気に吸血鬼の講釈をしていた彼を思い出す。
あの時、橘はヴァンパイアの不死性について話していたのだったか。
「五体をバラバラにされても、か……」
橘は、その言葉通りにバラバラなってしまった。彼は吸血鬼そのものになりきろうと努力していたようだが、おしむらくはその不死性までは真似できなかったようだ。




