芽衣子の容態
地下通路に疲れて座り込んでいる睦月の下へ、華音がやってきて声をかける。
「ムーちゃん?」
華音は心配そうに睦月の顔を覗き込んだ。
「…………」
しかし、睦月は答えない。華音は、慰める笑いを浮かべて言う。
「あのね、ムーちゃん。あんなの、ムーちゃんが気にするような事じゃないわよ! そんな風に落ち込んでないで、早く忘れて元気出してさ……」
「……わ、忘れる……!?」
脳裏に、血塗れの芽衣子の胸元が、濁った瞳が、なによりも、恐ろしい冷たさが蘇る。
睦月は勢いよく立ち上がり、問いかけるように叫んだ。
「忘れるって、そりゃどういうことですかっ!」
「う……あ、うう?」
強い口調に、華音は目を見開いて硬直する。
睦月は、頭をガシガシと掻きながら言う。
「……あー。すみません、先輩。なんか俺、今日はちょっとイライラしてるみたいです。あんま近くにいない方がいいですね!」
その一言に、華音が震えた。
彼女に罪はないし、決して悪気があったわけではないだろう。
……それにしたって、人が死んだというのに、まるで『ちょっと仕事が失敗しただけ』みたいな言い方をされ、つい怒りが湧いてしまったのだ。
睦月自身、できるだけ穏やかに言ったつもりだったが、その言葉には隠しようもない棘が含まれている。華音は潤んだ瞳で帽子を取ると、うな垂れて通路を歩いていった。
追いかける気にもなれずに、また腰を下ろす。
そうして、十分ほどたっただろうか。睦月はようやく重い腰を上げて更衣室に戻ると、甲冑を脱ぎ始めた。血で汚れたグローブは、従業員用のクリーニングボックスに入れた。
鎧をロッカーに仕舞うとジーパンとシャツに着替えて、コートを羽織ってマフラーを巻く。
着替えは終わったが……なんとなく、一人で帰る気になれなくて、ぐずぐずと更衣室に残っている。だが、いつまでもこうしているわけにはいかない。
時計を見ると、すでに十一時を回っていた。他のスタッフは、とっくに帰った後だろう。
疲労感に押しつぶされそうになりながら、深いため息を吐く。そこで、ふと気づいた。
「……そうだ。五条さん、まだ残ってるかな」
何気なしにロッカーを開け、ヘルメットを被る。インカムの電源を入れて、そっと話しかけてみた。
「お疲れ様です、睦月です。五条さん、まだそちらにいますか?」
ややあって、少し驚いたような五条の声が聞こえた。
「お疲れ様です。睦月君、まだ帰ってなかったんですか!」
その言葉に、少しバツが悪くなりながらも睦月は答えた。
「はい。すぐ帰る気になれなくて……でも、今帰り支度を終えた所です」
気遣うように五条が言う。
「今日は、本当に大変でしたね」
「ええ、まさか、あんな事が起こるなんて……」
「睦月君のせいではありませんよ」
そして、次の五条の一言に睦月は驚愕した。
「それでですね。芽衣子さんは、あの後すぐに医務室に運ばれました。傷はそこそこ深いようですが、心配はいらないと。ですが、当分の間は休むそうです」
「ええ、芽衣子さんは本当に……ちょ、ちょっとっ! 待ってください!」
思わず大声をあげる。自分の聞き間違いだと思ったのだ。
「ど、どうしましたか?」
「……五条さん。今、なんて言いましたか?」
「はい? 芽衣子さんの怪我がそれなりに酷いので、明日以降もお休みすると……そう言いました」
睦月は呆然と立ち尽くした。
(あの状態で……怪我だって!?)
夥しく滴る血、淀んだ目、硬く冷たい肢体。
そのどれもが、生を否定するものだったはずだ。
それが、単なる怪我。しかも、病院でなく医務室での治療で、当分休めば回復するようなレベルだと言う。
思わず、睦月の口から乾いた笑いが漏れた。
とんでもない勘違いだった。怪我には違いないのだから笑い事ではないが……それでも、華音にとった大人気ない態度を思い出し、思わず赤面してしまう。
反応のない睦月をいぶかしんだのか、困惑した五条の声が聞こえる。
「ちょっと、大丈夫ですか!? ……心配ですねぇ。一人で帰れます?」
その言葉に、睦月は苦笑する。
どの道、一人で帰る気分ではなかったのだ。
「大丈夫じゃないですね! よかったら、助けてください。今日は一緒に帰ってもらえませんか?」
「わかりました、さすがに夜も遅いですしね。私が家まで送りましょう。……そうだ、睦月君。オペレータールームに遊びにきませんか? 今なら私しかいないので、色々と見せてあげられますよ」