あなたと話した日
そっと目を閉じると、彼女の顔が浮かんでくる。
それは狂おしく幸せな日々だった。目を閉じるだけで『顔』が思い出せるのだ。
悲しいのは、二度と会えないこと。
嬉しいのは、いつでも思い出せること。
だけど、私はそれ以降、他人に『印』をつけることはなかった。理由はいくつかある。
ひとつは、あの少女の……つぐみちゃんの『顔』だけで、私はかなり満足してしまったのだ。
もうひとつは、印をつけたいほど好きになった人が、他に周りにいなかったから。
そして何よりもあんなに恐ろしい目は、人生で一度きりで十分だった。
……そう、思っていたのに。
そしてまた、仕事が始まる。私の天職が。
今日は、新人のサブキャストが配属された。
名前は霜上睦月。高校生だ。衣装はリビング・メイル。
資料に目を通し、インカムの番号を設定する。
「はじめまして。オペレーターの五条柚春といいます。今日から一緒に働く事になった……霜上睦月君ですね?」
返事はすぐに返ってきた。
「はい。よろしくおねがいします」
高校生にしては大人びていて、少しだけ気怠げで、だけども強い意志を感じる声。
想像していた通りの、とても優しい声だった。
そして、その日の最後の通信が、私に気づかせた。
「五条さん、ストレンジ・ワールドが大好きなんですね」
瞬間、それを自覚する。
「ふふっ。……ええ、そうですね。私は、ストレンジ・ワールドが大好きです」
思わず大笑いしそうになるのをこらえて、静かに答えた。
そうだ。私は、大好きなのだ!
この、ストレンジ・ワールドが大好きだ!
こんなにも愛しているのに。きっと衣装を脱いだキャストと、外で出会ってもわからないのだ。
過去、ここを辞めていった数多のスタッフと、外で会っても気づかなかったように。
頭に堤百花の名前がよぎる。
私と別れたすぐ後に、彼女はここを辞めていった。
彼女は、マリオネットのサブキャストだった。
道化師のマスクに、小さなシルクハット、ふわりと膨らんだトランプ・スカート。
仕事中なら、どこで見かけても一目でわかった。
先日、町で女に声をかけられた。「ひさしぶりね」と。
私はいつものように、にっこりと笑って返事をした。「ええ、どうも!」
女は、しばらく絶句した後、肩を落として行ってしまった。
……あれは、きっと、堤百花だったのだろう。
あんなに強く愛したのに。
髪型も、服も、香水の趣味さえも変わっていたから……気づけなかった。
気づいて、あげられなかった。声が。あの声が、一緒だったのに。
頭の奥から、どろりと怪物が姿を現す。
……『印』だ。
印をつけてあげるのだ。
そして記憶の箱の中に、みんなの『顔』を仕舞いこむのだ。




