笑顔
睦月の前に、小柄な人影……華音が飛び出した。
「さ、させないわ! ……ムーちゃん……逃げて……っ!」
涙をボロボロと流し、ガタガタと恐怖に全身を震わせながら、両手を広げて前を遮る。
「あ、あたしが……あたしが守ってあげるから……ム、ムーちゃん、早く逃げてっ!」
華音は力の限りにそう叫ぶと、精一杯の勇気を振り絞り、五条の持つナイフを睨みつける。
「き、ききき、来なさいよっ! そんなので刺されたって、焼かれたって……痛いくらい、ぜんぜん我慢できるもんっ! ……ムーちゃんいなくなるほうが、嫌だもん!」
その一言に、五条も、睦月も……どちらも動けなかった。
それから華音は、チラリと睦月の方を見て、唇の端を持ち上げて見せた。
笑いかけているのだ。そう気づいた時……睦月は、唐突に思い出した。
(ああ……そうだったな)
それから、ゆっくりと息を吐く。
(この人は、覚悟を決めると笑う人だった)
イタズラをして怒られる時。重い病気の療養に向かう時。
三年も会ってなかった幼馴染を尋ねる時。自分の仲間が殺された時。そして、殺人鬼に立ち向かう時。
どんなに怖くても、不安でも、泣きたいほど恐ろしくても……。それでも、笑う。必死に虚勢を張ってみせる。ひとえに、目の前にいる睦月を安心させるためだけに。
今まではそれがあまりにも自然すぎて、すっかり忘れていたのだ。
(……いや。もしかしたら、会えない三年が寂しすぎて、意図的に忘れてたのかもな)
置いていかれたような、騙されたような、そんな気分になってたんだろう。
睦月は黙って前へと進み出て、華音の顔を肩越しに覗き込んだ。その笑い顔は、青ざめて、涙に濡れて、震えすぎていて、不器用で……虚勢のメッキが完全に剥げている。
それでも……それでもだ。
自分が守るから、「早く逃げろ」と、そう言ってくれてるのだ。
これだから、この人には絶対にかなわない、と睦月は思った。
しばらくしてから、睦月が言う。
「……ダメですよ。先輩」
それから、華音の身体を後ろから抱きしめる。
優しく、ゆっくりと、かばうように背後に押しのけた。
「俺の仕事、一応は警備なんですから。仕事、取らないでください」
「ム……ムーちゃ……で、でも……」
小さな頭の震える声に、口の中で囁くように返事を返す。
「すごく嬉しいですよ。いつも守ってくれて、本当にありがとうございます。俺、先輩が大好きです」
せめて、言葉だけでも精一杯に伝えた。
同じくらい大切に……いや、きっと、もっと強く思ってくれてる。それが伝わるから。
華音は腰が抜けて、ペタリとその場に座り込む。
五条が、また咳をする。
べしゃりと音を立てて、地面に大きく血反吐が広がった。




