告白
闇の中で目覚め、呆然と世界を見つめた。
顔には冷たい雨がひっきりなしにぶつかってくる。
棺の中に閉じ込められて、百を超えた日だった。
黒土に半ば覆われた棺の蓋を、ひっくり返して身を起こす。どうやら、連日の強い雨で周りの土が流されたため、外に出られたらしい。それから、ただ空を見上げる。
どれくらいそうしていたのだろうか……気づくと、雨は上がっていた。
空には三日月が輝いてる。久方ぶりの光だ。
「綺麗ィ……まるで絵本みたいだわぁ」
そして、笑った。次いで、強烈な疑問が湧いて出た。
「……『わたし』ィ……誰ぇ?」
必死に思い出そうと頭を振るが、まるで思い出せない。百を超える闇と死の繰り返しは、記憶さえも奪っていってしまったらしい。
ただ……なにか、とても怖い事が起こっていたはずなのだ。それだけは、強く覚えてる。
ゆっくりと顔をなでる。大きな大きな傷が、深く抉られてそこにあった。不思議と痛みは感じない。ふと、視線を下に向けた。
座っているその場所、ベルベット張りの棺の中には、彼女の右眼球があった。本能的に手を伸ばして、それを元あったであろう場所に嵌め直す。途端、世界が立体になった。
立ち上がり、そしてゆっくりと歩き出す。歩き方を思い出すように、一歩一歩進んでいく。
暗い夜を、ふらふらと彷徨い歩く。
「わたしィ……知ってるわぁ。ここ、知ってるぅ」
ここで、なにがあったんだろう? ……何かから、逃げていた気がする。
闇の中遠くに巨大な城の影が見え、強く惹かれた。
まるで導かれるようにそちらへと進む。城へと辿り着き、中へ入ると、床に赤いカーペットが敷き詰められていた。しゃがみこみ、手でなぜるとふわふわと心地よい感触だった。
胸が締めつけられる。泣きたいほど懐かしいような、ホッとするような不思議な感覚の中、辺りを見回す。
視線の先に階段があった。なんとなく、そちらへと歩を進める。
長い長い階段を上り、たどり着いた先は、綺麗な空と月にもっと近い場所だった。
嬉しくなって、手を伸ばす。
何かを思い出しそうだった。記憶のプールをかき回し、懸命に考える。
その時、足音が聞こえた。足音は、背後の階段から昇ってくる。咄嗟に全身を恐怖が貫いた。
(そうだ! わたしは、怪物から逃げてる途中だったんだ!)
驚いて背後を振り返ると、音を立てて扉が開いた。慌ててその扉の影に滑り込み、蹲ってガタガタと震えた。ガチャガチャと奇妙な音がする。
涙に滲む視界で、静かに身を乗り出して扉の陰から覗き見る。
怪物は、手すりの向こうへ身を乗り出していた。
ふらりと立ち上がる。
頭の中で、何かが繋がりそうだった。ゆっくりと近づき、手を伸ばす。
それは、強い衝動だった。
“押せ”。……押せば、この怪物を落とせる。
「そうよぉ……赤ずきんちゃんは、狼を井戸に落としてやっつけたんだわぁ……」
知らず、呟く。自分の名前もわからないのに。
思い出せたのは、ちいさくて、かわいくて、赤い頭巾をかぶった、ハッピーエンドの女の子のお話。
怪物の背中は、もう目の前だった。
ドン!
力いっぱい、それを突き飛ばす。怪物は、空中でくるりと一回転して私と目が合う。
その瞬間。思い出してしまった。
(この人は……違う! 私を、『つぐみ』を追ってきた怪物じゃないっ!)
悲鳴を上げて、手すりの向こうへと手を伸ばす。だが、もう遅い。
呆然として覗き込んだはるか眼下には、ピクリとも動かない見知らぬ誰かの身体があった。
悲鳴を上げて、全力でその場を逃げ出した。
暗い階段を転びそうになりながら必死に走る。
ここはきっと、ストレンジ・ワールド。
そして、その中心のドゥンケル城。何度も何度も来た、大好きな場所だ。
いつもは賑やかな音楽が奏でられ、大勢の人が行きかう場所。だけど、今はわたし一人だ。
「どうしよう、どうしようぅ……っ! つぐみは、つぐみはぁ、きっと牢屋に入れられちゃうんだわぁ……!」
人を突き落としてしまった。とりかえしのつかないことをしてしまった!
広間を横切り、廊下を走り、立ち入り禁止の看板を押しのけて、たどり着いた場所は礼拝堂だった。今は使っていないらしい。雑多な物置になっている。綺麗な衣装や不可思議な小道具の並ぶ中、その片隅に入り込み、頭を抱えてガタガタと震える。
「だんだん……思い出してきたわぁ……あの怖い怪物に、つぐみは襲われたのよぉ」
あれは棺に入る前だった。
つぐみは、一人でストレンジ・ワールドに遊びに来たのだった。
お父さんとお母さんが喧嘩ばかりしていたから、嫌になって家出したのだ。
夜になったら、おじいちゃんの家に泊めてもらえばいい。そう思って、貯めていたお小遣いを持って、電車に乗ってやってきた。
だけど、おじいちゃんは園内にいなかった。ここで働いてるはずなのに。
仕方ないから、屋台のキョンシーお姉さんからライチアイスとチャーハンを買って、食べながら歩いた。
一人だったけど、とっても楽しい一日だった。夜まで遊んで、パレードを見てからおじいちゃんの家に行くつもりだった。
やがて暗くなり、一人で園内を歩きまわる。手をつなぐ大人も、友達もいなかったから。
……だから、ちょっとだけイタズラ心がわきあがったのだ。
立ち入り禁止のロープが見える。そっと乗り越え、茂みに入ると、フェンスに穴が開いていた。
こっそり潜って、森へと入った。本当は入っちゃいけない場所だって、知っていたのに。
そこで、あの怪物に出会ったのだ。
それは人間じゃなかった……仮面をつけた怪物だった。
涙がボロボロとこぼれた。顔を上げて、つぐみは呟く。
「ここは、ストレンジ・ワールドだもの……ここにいるのは怪物達。人じゃないのは、みんな怪物よぉ……っ!」
その怪物は、こう言っていた。「みんなの顔がないんだ。見分けがつかないんだ」って。
だから、つぐみは教えてあげた。「顔がなければ、印をつけてあげればいいのよ!」って。
怪物は、とても感動していた。「そうだね! 君はなんて頭がいいんだろう」
(……そして、怪物は大きな爪を振り上げて、こう言ったんだわ……)
「君の事が好きになってしまった。だから、お礼に君に印をつけてあげる」
闇の中でつぐみは呟く。
「……おじいちゃん……おじいちゃんに、会いたいよう」
また、涙が溢れて落ちた。
(あの怖い怪物と間違えて、人を落としちゃった。ずいぶん長く真っ暗の中にいたから、頭がぼんやりしてたから……)
それから、ただ、膝を抱えて震えていた。どれくらいそうしていたのだろうか。不意に空腹を感じた。もしかしたら、ずっと空腹だったのかもしれない。
慣れすぎていて、わからなかっただけなのかも。
扉の向こうに人の気配があった。思わず逃げようとして、思いとどまる。
(そうだ……どうせ、逃げられないんだわ)
早く牢屋に入れば、その分早く出られるかもしれない。大好きなおじいちゃんに、それだけ早く会えるかもしれない。そう思って、つぐみは涙を拭い、扉を開け、言った。
「おねがいです。おまわりさんのところに、つれていってくださいぃ……。つぐみぃ……人を落としちゃったの……銀の鎧のおにいさんを……」




