落とす
簡素な部屋だった。広さは華音の部屋と変わらない。
しかし壁は石造りで、まるで牢屋みたいな印象を受ける。部屋の中には椅子が二つに、机。
その一角に、マグカップとコーヒーメーカー、ポーションミルクと砂糖。ポットからは新鮮なコーヒーの匂いが漂っている。
その椅子のひとつに、真っ白なワンピース姿の少女が座っていた。小さな、幼い女の子だった。
(……小学生くらいか? それも、低学年……)
もっとも、見た目と年齢が一致するとは限らない。
睦月が入ると、少女は脅えたように顔を上げる。その首は横一文字に、顔には額から右頬にかけて目を縦に、大きく切り裂かれた痕がある。
どちらも今は縫われ、ふさがっている。
「……その首と顔は?」
醜い縫い痕の残る瞼の隙間から、眼球がぎょろりと動いて睦月を見据えた。
少女は、かすれた声で答える。
「……縫って、もらって……怪我、してるからって……」
「怪我、ね。なるほど」
確かに、怪我には違いない。
けれども普通、人はそれを致命傷と呼ぶ。
かなりの深さに違いないのに、痛がってるそぶりはない。やはり、この少女も否死者に違いない。
睦月は首を傾げる。自分を殺したのがこの少女だと言われても、ピンとこなかった。
なにせ、睦月自身がよく覚えていないのだから。
でも、その風貌には感覚的に見覚えがあった。
「ええと……」
睦月は頭をかきながら、とりあえずコーヒーを二人分入れた。そして、ミルクと砂糖を沿えて少女の前に置くと、自分の分には砂糖を四つ入れる。
とにかく、目一杯に甘い物が欲しい気分だった。ティースプーンでかき混ぜると、溶けかけた砂糖がジャリジャリとカップの底で音を立てた。
少女は、コーヒーに手をつけずにうつむいたままだ。
仕方なしに、睦月は自分から話をはじめる事にした。
「あの、俺、霜上睦月っていうんだ」
少女はおずおずと顔を上げ、それから不安そうに言った。
「睦月ぃ……おにいちゃん?」
少し舌足らずなしゃべり方。『おにいちゃん』と呼ばれた事を考えると、やはり年下で間違いなさそうだ。
「あ、うん。そうそう。睦月お兄ちゃんだよ。……君は、なんていうのかな?」
「つ……つぐみぃ……」
「つぐみちゃんかぁ。……あのさ、ちょっと聞きにくいんだけど、いいかなぁ? つぐみちゃんって、俺のこと……ドゥンケル城から落として殺さなかった?」
(……なんだか間抜けな質問だなぁ)
だが、その間抜け極まりない質問に、少女は電気でも流されたみたいにびくりと硬直し、それから控えめに頷いた。
「ご……ごめんなさい」
ふるふると震え、
「ほんとに、ご、ごごご、ごめんなさぁいっ! つ、つぐみ、つぐみぃ……悪気はなかったんですぅ!」
机に突っ伏し、わあわあと泣きはじめた。
睦月は、思わず唖然としてしまう。
「いや……悪気がなかったって、君ね……」
(悪気もないのに、人を突き落とせるもんかね?)
思わず口から出そうになる皮肉を押し流すため、睦月はコーヒーを口に含む。
ねっとりとした甘さと熱が喉を焼いた。しばし、強烈な甘味とカフェインに酔いつつも、ため息まじりで天井を見上げる。
つぐみが泣き止むまでたっぷり十数分。ようやくしゃくりあげながらも顔を上げた彼女を、できるだけ刺激しないように、努めて優しい口調で尋ねた。
「どうして俺を落としたのか、理由を聞かせてもらえるかな?」
つぐみはまたも泣き顔になる。
けれど、ぐっとこらえて話し始めた。
「そのぉ……なんて言うかぁ、つい間違えてぇ……」
「つい間違えてって……」
言い訳にしても、ひどすぎる!
そんな理由で突き落とされてはたまらない。
「じゃあ、誰と間違えてそんなことしちゃったのかな?」
少女はえぐえぐと喉の奥で声をあげ、しゃくりあげながら言う。
「あう……怪物……」
「怪物?」
(怪物と言われても、ここは怪物だらけだぞ!)
つぐみはこくりと頷く。
「うーん。それは、どんな怪物なのかなぁ」
「……仮面を被った怪物」
「じゃ、その怪物を落とそうと思って、間違えて俺を落としちゃったわけだね?」
またもつぐみはこくりと頷いた。
(うーん……これじゃまるっきり、迷子のゲストを相手してる時と変わらないなぁ)
この少女が、一連の陰惨な事件を引き起こしたとはとても思えない。
申し訳ない気持ちになりつつも、聞かないわけにはいかないと先を促す。
「よし、じゃあつぐみちゃん! ゆっくりでいいから、睦月お兄ちゃんに話してごらん」
つぐみは、真っ赤な目をしつつも、顔を上げてどうにか先を続けた。




