夕川芽衣子
翌朝、ストレンジ・ワールドに出勤した睦月は、甲冑を着て園内へと入った。
初日は華音に手伝ってもらったが、なるほど、仕組みを知れば脱ぎ着は容易だ。
途中、屋台を引いた華音に出会う。
「おはよっ! ムーちゃん!」
昨夜の不安そうな様子が嘘みたいに血色がよくて、弾けるような笑顔だった。
「おはようございます、先輩。……もう体調いいんですか?」
「うん。平気、平気! それに、連休中は休んでなんかいられないよっ!」
そのハツラツ振りを見せつけるように腕をぶんぶか回すと、華音はクーロン・ストリートの奥へと消えていった。
と、インカムから、五条の声が聞こえる。
「おはようございます。睦月君、開園十分前ですよ。準備はできていますか?」
「ええ、準備万端です」
「では、今日も一日がんばりましょうね」
「イエス、マスター!」
インカムを通じて、二人の声が交差した。
その日も一日、迷子の保護やゲストの案内、時にはアトラクションの行列の整理に追われた。
ストレンジ・ワールド内のアトラクションは、大別して二つある。ひとつはいわゆる乗り物系で、これはジェットコースターやメリーゴーランドの類だ。
もうひとつはアドベンチャー系で、こちらはストレンジ・ワールドの各エリアにいるメインキャストが、決まった時間ごとに客と一緒にフロアの仕掛けを使って楽しませるという内容だった。
基本、メインキャストは園内を自由に動いているが、この時間だけは必ず持ち場のエリアに戻ってくる。
天気は冬晴れで、憎らしい程に真っ青な空には、雲ひとつない。
休憩は芽衣子と一緒に取る事になった。地下の食堂のテーブル席に二人で並んで座る。
睦月の前にはしょうが焼き定食を載せたトレイとヘルメットが、芽衣子の前にはカットレモンと唐揚げを乗せた皿が載ってる。
味噌汁を一口飲んでから、睦月は言った。
「また、詩桐さんに叱られてましたね」
唐揚げを齧りながら、芽衣子は答える。
「ゲストにパンツ見せたくらいで怒りすぎよね」
「それは、どう考えても芽衣子さんが悪いと思います」
「見えてもいい下着だもの」
「基本、下着は見せないものだと思うけどなぁ……いつもあんな調子で詩桐さんに迷惑かけてるんですか?」
芽衣子はまるで動じずに笑う。
「詩桐とは親友なのよぉ。ここに入ったのがちょうど同じ頃でね……すぐに仲良くなったわ。もう、十五年の付き合いよ。あの子、可愛くて大好き」
「へえ、そんなにも……」
(年齢を逆算するのは、やめとこう)
不意に、芽衣子が体を寄せる。
フェロモン全開の甘ったるい匂いが鼻先に香った。
「ねえ、華音ちゃんとは、もうやった?」
「や……? なんです? ……なにを?」
「だから、ナニよ。やったの? 男と女の愛の営み」
睦月はびっくりして箸を取り落とす。
「いやっ……俺と先輩はそういうんじゃないんですけど……」
「ええーっ!? でも、三年も会ってなかったんでしょう? そしたらとりあえず、挨拶代わりにまず一発やらない?」
「やりませんよっ! どんな爛れた生活送ってんですかっ!」
芽衣子はにんまりと笑う。
「それじゃあさ。予行練習……させてあげよっか?」
言いつつ、豊満な身体をあからさまに押しつけてきた。
形のいい大きな胸が押しつぶされ、鎧越しなのになんだかドギマギしてしまう。
髪がふわりと鼻をくすぐった。
「ちょ……ちょ! やめてくださいよっ! 人が見てるでしょう!」
「あら……じゃ、人がいないとこに行く?」
「行きません!」
「私のキス、すごいわよう? アルラウネの根っこみたいに長くてウネるんだから」
「は……? あうっ!」
パチリ。鎧のフックが外され、隙間に芽衣子の手が滑り込む。
ライクラ製のスーツ越しに正確に乳首をつねられて、睦月はびくりと身を竦ませた。
「ど、どど、どこ触って……? よ、鎧の間に手を入れないでっ!」
「いいじゃないの。はむ」
ついで、耳たぶを噛まれる。
「いいわけないでしょ!? どんな神経してるんですかっ!」
芽衣子はニヤニヤ笑って、彼が嫌がるそぶりを楽しんでいるようだ。
下腹部に伸びようとする手を必死に押しとどめるが、どういうテクニックか、あるいは単なる力技なのか、ガッチリとクロスした彼の両腕を片手で軽々とあしらって入ってくる。
(だ……だめだ。完全に手玉に取られてる!)
睦月は涙目になりながら抗議した。
「ちょ、ちょっと! ほんとにやめてくださいよ! 洒落にならないです!」
「洒落のつもりはないわよ。本気で最後まで教えてあげる」
本気、最後という言葉に、周囲の期待と嫉妬と何やってんだの呆れを含んだ視線が、グサグサと睦月に突き刺さった。
(ヤ、ヤバい! これはマズい。なんとか空気を変えないとっ!)
このままでは、本当に食堂の一角が18禁にされてしまう。
勝ち目はなさそうなので、睦月は慌てて話題を変えた。
絶叫気味に話しかける。
「そ、そういえばっ! ここって一応は、怪奇をテーマにしてるわけですよね! なにかないんですか? そういう不思議な話とかっ!」
「不思議な話……? まあ、ないこともないけど。お決まりの都市伝説とかね」
「そ、それ! 聞きたいです! 聞きたいなぁっ!」
芽衣子は一瞬、つまらなそうな顔をしたが、すぐに頷いた。
「ま、どこにでもあるような話よね。ドゥンケル城には秘密の隠し部屋があるとか、霧の中で剣を持った中世の騎士が決闘をしていたとか、ゲストが行方不明になってアトラクションにそっくりな人形が増えてたとか、地下には拷問室があるとか……根も葉もない噂話」
「地下にあるのは、この食堂ですものね」
睦月はそれとなーく、芽衣子から身体を離す。芽衣子は気にした風でもなく、話を続けた。
「さらに下には、私達の寮があるわ」
完全に話の流れが変わった事にホッとしつつ、睦月はお茶を飲んで頷く。
「ああ……華音先輩もそこに住んでるらしいですね。……アリンコみたい」
「アリンコって……。ま、テーマパークの地下になんか住んでると、色々と不便もあるけどね。関係者以外は部屋に呼べないし。でも、楽しいことも多いのよ。例えばね……あら?」
と、突然。芽衣子はいぶかしげな表情になり、右手を耳に当てる。
「どうしました?」
「んー? 通信よ。今日はゲストが多いから、早めに休憩切り上げて相手してほしいって」
言うなり、芽衣子は勢いよく立ち上がった。
そして、残ってるからあげにレモンを振り掛け、急いで口に放り込んでいく
「あむ。んくっ……。まったく、仕方ないなぁ。私がいかないと、詩桐が休憩に入れないもんね。……じゃ、睦月君。また、一緒にお昼食べましょ!」
言うや否や、いきなり睦月の顎を持ち上げ、キスをした。
「んー」
「うおっ!」
思わず硬直する睦月へと嬉しそうにンベっと舌を出し、得意げな笑顔を見せる。
「んふ。アルラウネの根っこ……」
そして、空になった皿を返却カウンターに置いて、急ぎ足で行ってしまった。
残された睦月は、呆然と呟く。
「レ……レモ……ン……?」
(よく、ファーストキスはレモン味だなんて言うけど……レモン絞ったからあげ味とか……酷すぎるだろ!)
一生に一度の……ロマンスも愛情もへったくれもないファーストキスの思い出だ。
なんだか情けなくなって、睦月は机に突っ伏して嘆いた。
「し……舌……がっつり、入れられた」