鐘の音
霧の中、大きく鐘が九回鳴った。恐らく、時計搭の鐘だろう。
音の方を見上げてみたが、レーザー光線で作られたゴーストが間抜けな顔を見せているだけだった。
(なるほど。夜は霧に包まれるストレンジ・ワールドだから……鐘で時間を知らせるのは、上手く噛みあった仕掛けなんだな)
鐘の数は九回だから、夜の九時。閉園は夜の九時半だ。
そして、三十分後。
最後のゲストを送り出し、睦月は大きく息を吐いた。
「これで、仕事は終わりですか?」
さすがに疲れの色を滲ませる睦月の声に、五条が応じる。
「まだですよ。睦月君、園内に残ってるゲストがいないか、見回ってください。アトラクションは夜九時で終了してますから、建物に入る必要はありません」
「……とは言っても、霧のせいでよく見えませんね」
「すでに噴霧装置は停止させてますから、じきに晴れるはずです。そうですね……睦月君は、ドゥンケル城からクーロン・ストリートまでを確認してください」
「他の場所は、いいんですか?」
「清掃員もいますし、別のサブにも頼みます」
「そういえば、仕事中に一度も他のサブキャストを見かけませんでした」
五条の楽しそうな笑い声が聞こえる。
「ふふふ……当然ですよ。同じエリアにキャストが重ならないように、指示を出すのがオペレーターの仕事ですから。ほら、同じところに何人もいても、効率が悪いだけでしょう?」
「そりゃ、そうすね」
もうすぐ終業と言う事もあって、会話はどこかほっとした雰囲気だ。
五条の言葉通り、少しずつ霧は晴れてきた。園内の電源は大半が落とされていたが、道端のランプはついたままなので迷うことはない。
残る薄霧の中、クーロン・ストリートを歩く。雑多な町並みの電飾はすでに落とされているので、まるでゴーストタウンのようだった。
ガチャガチャと、甲冑の音を響かせながら通りを歩いていると、不意にいい匂いがした。
どこだろうと鼻をひくつかせる。匂いの元はすぐに見つかった。
道の先、前方に巨大な屋台を引く華音の姿があった。電飾は落ちているので、まるで真っ黒い小山を引いているようだ。
「先輩!」
「ムーちゃん! おつかれさま!」
睦月が声をかけると、華音は嬉しそうな声を上げた。
「おつかれさまです。って、うわ……改めて見ると、これ異常な大きさですね!」
「コンロに中華鍋に電子ジャー、蒸し器に冷凍庫までついてるからね」
「重くないですか?」
「うん! そりゃあ、重いよぉっ!」
それから、少し考えてから言う。
「ううん……。でもね、電動のアシストがついてるから、見た目ほど重くはないんだよねぇ」
睦月は顔を近づけてみる。なるほど、耳を澄ますとタイヤから小さな駆動音が聞こえる。
不意に、華音はポンと手を打った。
「そうだ! ムーちゃん! 晩御飯って、まだだよね?」
「ええ。休憩が遅かったんで、仕事が終わってから食べようと思ってました」
「売れ残りで悪いんだけど……よかったら、一緒に中華食べる?」
「えっ、いいんですか?」
「うん、ちょっと待ってね。今、許可を取るから」
華音を見ると、インカムを通して話をしているらしい。すぐに睦月のインカムにも五条の声が聞こえた。
「睦月君? おつかれさまでした。あとは華音さんと一緒にあがってください」
「今日は色々とありがとうございました」
「ええ。また明日もがんばりましょうね! 私たちの努力が、ゲストの笑顔に繋がります!」
その力強い激励に、睦月は笑って応じる。
「はい! 五条さん、ストレンジ・ワールドが大好きなんですね」
インカムの向こうで、五条が薄く笑った。
「ふふっ。……ええ、そうですね。私は、ストレンジ・ワールドが大好きです」
それから華音と二人で屋台を押して、車庫へと向かう。
睦月も手伝って屋台を引いてみたが、前部のバーがハンドルになっているらしく、体重をかけるとそちらにゆっくりと移動する仕組みだった。確かに、これなら華音の体格でも制御できるに違いない。
巨大な車庫には他のパレード車も集まっている。
その一番端の充電プラグに屋台を固定すると、食堂で落ち合う約束をして、地下通路へと入った。更衣室で甲冑を外し、ライクラのボディスーツを脱ぐ。
冬だというのに大量の汗でベタベタして、気持ち悪い。
「先輩、屋台の食品をしまってくるって言ってたな……」
まだ時間があると判断し、シャワールーム飛び込んだ。備え付けのボディーソープとリンスインシャンプーを身体や髪に塗りつけて、泡立てる。熱いお湯でざっと流すと、タオルで水気をゴシゴシと拭き、着替えて食堂へと向かう。