プロローグ 『怪物』の生まれた夜
夜の森を少女が走っていた。
年のころは十歳前後。黒く長い髪に、白いワンピースの少女だ。
辺りはミルク色の霧に覆われて、どちらへ向かっているのかさえ定かではない。
「あっ!?」
足元を木の根に取られて、少女は転んだ。
擦りむいた足をかばうように抱え、慌てて木の陰へとしゃがみこむ。
ガタガタと震えながら呟いた。
「誰か……助けて……」
少女は空を見上げる。
霞む月光の中、巨大な城の影が聳え立っている。
きっとあそこまで行けば、誰かがいるに違いない。
恐怖にわななく身体を叱咤し、なんとか立ち上がる。
そして、痛む足を引きずるようにして、のろのろと歩きはじめた。
しかし、その背後。霧の中から、音もなく怪物が姿を現す。
逃げ切れないほど近く……その息づかいを頭上に感じて、少女は振り向かずに尋ねた。
「どうして……?」
「君には、顔がないから」
言葉の意味がわからずに、少女は確かめる様に自分の頬を指でなぞった。
怪物は、ゆっくりと少女の首にその手を回す。
硬く、鋭い爪が、柔肌へと食い込んだ。
そして、息遣いを感じるように、そっと……喉笛を、引き裂いた。
白い霧を、鮮血が真っ赤に染め上げる。
少女の身体から力が抜けて、くず折れるようにその場に倒れた。
やがて怪物は、絶命した少女の身体を引き寄せ、じっと顔を見つめる。
それからその爪を振り上げて、思い切り突き立てた。
すべてが終わると怪物は、満足そうに笑い、頷いて立ち上がる。
後には、無残にも半顔を裂かれた、いたいけな少女の死体が残るだけだった。
さわさわと風が木々をなでる音の中、霧が徐々に晴れていく。
……どのくらい時間がたったのだろうか。
真っ黒な森の中で、不意に少女の身体が震えた。
そして、少女は立ち上がる。
今度は、彼女が『怪物』となって。