第三十四話「残されし者達」
柊とフィーレが転移した直後、珠希の叫びが響いた。
「――お兄ちゃんとフィーレ消えちゃったよ!?」
その言葉にゼノアが冷静な口調で答える。
「恐らく、邪龍の仕業だろう。僕の記憶では、邪龍は何故か魔法使いばかりを狙うらしい」
淡々とした言葉ではあったが、その背後には重い緊張感が漂っていた。ゼノア自身も確信があるわけではなく、わずかな知識を基に推測を述べているにすぎなかった。だが、柊とフィーレが消えた状況を前にして、希望的観測は許されなかった。
そんなゼノアの言葉にレインが続ける――
「はい。邪龍は魔法使いを狙い、自身の有利な戦場へと誘き出す際に転移陣を使用します。その陣に踏み入れた者は、時間と空間を超えた場所へ送り込まれる可能性があるのです。つまり、いわゆるタイムスリップと呼ばれる現象です」
レインの声は落ち着いていたが、その目はわずかに険しかった。彼女の中には柊たちがどこに行ってしまったのかという疑問以上に、別の懸念が浮かんでいた。だが、それを口にすることはなかった。珠希とゼノアを無駄に混乱させるわけにはいかなかったからだ。
「タイムスリップ……本当にそんなことが?」
珠希は不安そうに眉をひそめ、疑念を隠せずに尋ねた。血の繋がりは無くとも、兄として慕う者の身を案じる気持ちはあまりに大きく、どんなに非現実的な話でも希望を見出したかったのだろう。しかし、彼女の表情には明らかに動揺が見えていた。
「確証はありませんが、伝説や私の持つ情報ではそう解釈できます。柊様とフィーレ様は、その陣に巻き込まれた可能性が極めて高いと思われます」
レインの冷静な言葉が続く。だが、その背後に潜む何かを感じ取ったのか、ゼノアが口を開いた。
「……レイン。何故そこまで詳しいんだ? 僕の知識は本から得たもので、普通の書物に書かれていたものだ。そう、調べ物が好きな者なら誰だって知っている事。……だが、君が語るその情報はどの書物でも見た覚えがない。誰からその情報を得たんだ?」
ゼノアの視線は鋭く、探るようにレインを見据えていた。彼の中には疑念が芽生えていた。冷静沈着に見えるレインだが、その言葉にはどこか裏があるように思えたのだ。
一瞬の沈黙の後、レインは目をそらさず答えた。
「申し訳ありませんが、それをお答えするわけにはいきません」
その言葉には断固とした意思が感じられた。だが、ゼノアはさらに問いを重ねる。
「……どうしてだい?」
「私の知識は、私自身の任務と深く関わっています。そしてそれは、お話しするには時期尚早のものなのです」
その答えを聞き、ゼノアは眉をひそめた。彼の胸中にはいら立ちが生じていた。彼女の言葉は的を射ているようで、何かを曖昧に濁しているようでもあった。
「……また僕らに隠し事か」
彼の言葉には皮肉が含まれていたが、それ以上追及することはなかった。それは、今の優先順位が柊たちを探し出すことにあるからだった。
レインは話題を切り替え、事態の本質に戻そうとする。
「それより、柊様達を取り戻すための行動を考えるべきです」
その一言が、張り詰めた空気を少しだけ和らげた。珠希が不安げに口を開く。
「……それで、どうするの? 何か方法はあるの?」
「邪龍の転移陣にはパターンがあると言われています。もしその痕跡を辿れば、どこへ送られたのかが分かるかもしれません。そして、再び転移を利用して追いかける方法を見つける必要があります」
「痕跡って……そんなの簡単に見つかるのか?」
ゼノアが腕を組み、疑問を呈する。その目には冷静な判断力が宿っていた。
「簡単ではありませんが、手がかりが全くないわけではありません。転移陣が発動する際、周囲には特定の魔力の残留波が生じます。それを辿れば、ある程度の方向性を見出せるでしょう」
「じゃあ、早速探そう!」
珠希が前向きに声を上げた。その言葉には強がりも含まれていたが、彼女なりの決意の表れだった。
「その意気です。ただし、邪龍以外にも危険分子が存在する可能性がありますので、十分に警戒してください」
レインの言葉に、三人は互いに頷き合い、その場を後にした。
――柊とフィーレを失った不安、そしてそれを埋めるように芽生える覚悟。それぞれが抱える思いを胸に、珠希、ゼノア、レインは動き始める。だが、その裏で別の動きが静かに始まろうとしていた。
その時、長らく眠り続けていた男がついに目を覚ました。
「……ッテテ……」
うっすらと目を開けたその男――アレンは、額を軽く押さえながら体を起こした。その場には、一人の女性が静かに待っていた。
「おはようございます、アレン様」
彼女はどこか皮肉めいた口調で挨拶をする。アレンは起き上がると、まだぼんやりとする頭を振り払いながら、状況を尋ねた。
「……ん? 状況はどうなっている?」
彼の声には冷静さが戻りつつあったが、その背後に焦りのような微かな感情も隠れていた。ゼノアはそれに気付いたのか、少し溜息をつきながら答える。
「…………はぁ。あのねぇ、アレン。君が眠っている間に大変な事が起きたんだよ?」
彼の言葉は軽く聞こえるが、その瞳には冷たい光が宿っていた。アレンはその言葉に対し、しばらく黙っていたが、やがてその場に座り込み、あぐらをかいて考え始めた。
「…………来たのか」
短くつぶやかれた言葉。その意味を察した女は、微かに微笑んだ。
「ええ、予定通り」
その答えを聞いた瞬間、アレンの表情がわずかに険しくなる。しかし、その目には焦燥よりも覚悟が浮かび上がっていた。
「……そうか」
彼の短い言葉に女は頷き、淡々とした口調で続けた。
「あなたが準備を整えてくれていたおかげで、こちらも計画通りに進んでいます。もっとも、少しばかり想定外の要素もありましたが」
「……想定外?」
アレンが問い返すと、彼女は目を細めながら答えた。
「ええ。邪龍が少しばかり焦ったようです。余計なことをしてくれたもので、こちらも調整が必要になりそうです」
その言葉に、アレンは静かに息を吐く。そして目を閉じ、言葉少なに答えた。
「そういうことか……。だが、いずれにせよ流れは変えられん。こちらも予定通り動くまでだ」
彼の言葉には確信が宿っていた。まるで、これから訪れる混乱すら計画の一部であるかのように。女はその様子を見つめながら、満足げに微笑む。
「さすがアレン様、肝が据わっていますね。それでは、次の手を打つ準備を始めましょうか」
「……ああ、往くぞレイン」
アレンは重く頷くと、ゆっくりと立ち上がった。その姿には以前とは異なる凄みが漂っている。そして、彼の背中に新たな覚悟が刻まれていた。
その場に立つ二人。その静寂の中で、次なる嵐の気配が確実に近づいていた。柊とフィーレ、珠希たち、そしてアレン――それぞれの運命が交差する瞬間が、いよいよ近づいていたのだった。
「……あの二人、さっきから何の話してるの?」
「さぁ? この二人の考える事は昔からよく分からないよ」
***
四人が話し合っている同刻――
荒野の暗闇を切り裂くように、重々しい足音が響いていた。夜空には月が高く輝き、冷たい風が枯れた草原を撫でる。その静寂を破るのは、一人の黒衣の男。
彼の周囲には異様な気配が漂っている。黒いローブは闇そのものを纏ったかのようで、足元を滑るように進むその姿には不気味な威圧感があった。彼の手には一本の杖が握られている。杖の先端に埋め込まれた赤黒い宝石が微かに光を放ち、その輝きは生き物のように脈動している。
男――『ディベルドの使者』と呼ばれる存在は、ゆっくりと歩みを進める。目的地は、柊とフィーレが転移した現場の跡地だった。
「……ここか」
低く、重い声が夜風に溶ける。使者は足を止め、杖を大地に突き立てる。その瞬間、杖から赤黒い光が広がり、地面を包み込むように魔法陣が浮かび上がった。
「……やはり。転移の痕跡が残っている。だが、この魔力……思った以上に厄介だな」
使者は目を細めながら魔力の痕跡を辿る。それは邪龍のものだ。だが、同時に別の魔力が入り交じっていることに気付いた。
「……興味深い。これは、あの“柊”とやらのものか……?」
彼の声には冷たさと好奇心が混じっていた。
「ディベルド様の意志に従い、我が主にとって障害となる存在は排除する。それが魔法使いであろうと、異世界の者であろうと、関係ない……」
使者は杖を高く掲げる。その動作に呼応するように、地面から黒い霧が立ち上る。霧の中から現れたのは、数体の異形の魔物だった。人の形をしているようで、その実、目も口も存在しない黒い影のような存在。禍々しいそれらに考える知恵は無く、その者の手となり足となる、ただの操り人形。
「お前たち、探れ。柊と……フィーレとかいう女……そしてその仲間たちの居場所を見つけ出すのだ」
低い命令の声に従い、魔物たちは音もなく闇の中へ消えていく。その背中を見送った後、使者は杖を再び地面に突き立て、独りごとのように呟いた。
「全ては主のために……この地で新たな均衡をもたらす。その障害となる者は例外無く、全てを排除するのみである」
彼の言葉とともに、再び魔法陣が光を放つ。そして次の瞬間、彼の姿はその場から掻き消えた。
――暗闇が戻る。だが、そこに残された魔力の気配は、珠希たち四人の運命に新たな影を落とす予兆となっていた。
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