第三十二話「『要塞都市ハルバトン』」
俺達は今、街の中央にあるベンチに座っていた。周囲の賑わいと活気に少し圧倒されながら、思わず深く息をついた。
「で、ここどこなんだよ?」
牢獄から出たばかりの俺とフィーレは、レインにその場の状況を尋ねた。
レインは少し笑みを浮かべながら、静かに答えた。
「ここは『要塞都市ハルバトン』です。この『ガルス大陸』で、最も大きいとされる国です」
(……何故今少し笑われたんだ?)
ハルバトン? ガルス? 俺にはどちらも全く聞き慣れない名前だった。頭の中が一瞬、混乱した。転移する前の世界の名前すら知らない俺が、この大陸のことを理解できるはずもない。そもそも、転生した瞬間からずっと『アレン王国』にいたわけだし、他の場所に関する知識なんて全く無かった。
「『アレン王国』も『ガレス大陸』だったのか?」
思わずそんな疑問が口から漏れてしまう。だが、レインの反応が意外だった。
「え、柊さんまさか知らなかったんですか?」
フィーレは驚いた様子で目を見開いた。どうやら、この大陸のことが常識の範囲内で、俺が無知だったことに驚かれているらしい。
「誰も教えてくれなかったしな」
俺は苦笑しながら肩をすくめた。確かに、俺がこれまで気にしていなかったことだし、周りに聞こうとも思わなかった。でも、今になってこんなにも無知だった自分が恥ずかしく感じる。
「まあ、聞いてもいなかったけどさ」
少し自分を納得させるように呟くと、レインは微笑んだ。
「はい、『アレン王国』は『ガレス大陸』になります」
レインが淡々と答える。
「そうなのか。ここはその『ガレス大陸』の中でも大きいのか?」
俺は疑問を口にした。少し意外だと思ったのは、知らなかったことに加えて、想像していたよりもずっと規模が大きい場所だということだ。
「その通りです。ただし、『アレン王国』が小さいだけで、実際のところ、『要塞都市ハルバトン』が特別大きいという訳でもありません。他の都市も、大体同じような大きさです」
レインが続けて説明する。なるほど、どうやら『アレン王国』が思ったよりも小さいという事実が見えてきた。
『アレン王国』ってそんなに小さかったのか。前までは特に意識していなかったが、今こうして他の場所と比較してみると、確かに規模感が全然違う。ここは本当に『アレン王国』の比ではない。賑わっている街並み、立ち並ぶ大きな建物、何よりその人々の活気が桁外れだ。
「こんな所に座っててもいいのか? 騒ぎにならないのかよ?」
俺は不安げに辺りを見回しつつ、レインに問う。ここまで賑やかな場所だと、誰かが注意を向けてきそうな気がしてしまう。
「ご心配なく。私達の顔を知っているのは看守と城の者だけです。ここにいる民には、私達の顔は知られておりません」
レインは余裕の表情で答える。なるほど、なるべく目立たないようにしているのか。
それでも、街を警備している者たちがここにはいないのか気になる。
「……城の者がここにいないってわけでもないんだろ?」
「柊様が抱いているもう一つの疑問も問題ありません。私はここに来て、もう一ヶ月が経ちます。その間、ここ『要塞都市ハルバトン』を調べました。表面上は民が多くて栄えている国に見えるかもしれませんが、実際は人手が足りていません」
レインが静かに、しかし確信を持って続ける。
「こんなに人が居るのに手が足りてないのか?」
俺は少し驚いて尋ねた。
「はい、正確には警備兵が足りていないようです。人口が多いため、犯罪率も高いのですが、それを取り締まる者が足りていないんです」
レインが説明を加える。なるほど、街の賑わいとは裏腹に、治安維持の体制が整っていないことがここで問題になっているらしい。
警備がいないから犯罪が多発し、犯罪が多いから警備兵を志願する者が少ない。この悪循環がここでも繰り広げられているのだろう。全ては城の守りに兵力が集中しているせいだろうな。そこまでして王を守るのが最優先だというのか、それとも治安の問題を後回しにしているのか。色々と考えが巡る。
ふと、座っているベンチから周囲を見渡してみると、すぐ目の前でいくつかの犯罪が目に入った。それは殺人などの凄惨な事件ではない。だが、スリや無銭飲食など、ちょっとした犯罪が多く見受けられた。周りの人々がそれを見て見ぬふりをしている様子からも、この街の治安の悪さがよく分かる。
「……なるほど、これは確かに取り締まるのも大変だ。無法地帯だな」
俺は苦笑を浮かべながら呟いた。これだけの規模で犯罪が蔓延していれば、警備の人手不足も仕方ないかもしれない。治安の維持が最も重要な課題であるはずなのに、どうしてもおざなりになっているように感じる。
「ええ、特に多いのがスリや無銭飲食と言ったものです。ですので、柊様達もお気を付け下さい」
レインが真剣に注意を促してくる。なるほど、街の中を歩く際には警戒が必要ということか。
「あ、ああ……あれ? なぁレイン、フィーレ知らないか?」
ふと、目を凝らすと、遠くの方でフィーレが何かをして騒いでいるのが見えた。どうやら、ちょっとしたトラブルを起こしているようだ。
「フィーレ様ならあそこに居ます」
レインが指差す方向を見ると、案の定、フィーレがべそをかきながらこちらに向かって走ってきた。
嫌な予感がする……絶対に何か問題が起きているに違いない。
「おーーーい! フィーレ! お前そんなとこでなにしてんだー!」
俺は大声でフィーレを呼ぶと、フィーレがこちらを見て、泣きそうな顔で叫んだ。
「柊さーーーーーん!!!」
フィーレは全速力でこちらに走ってきて、何かを言いながら息を切らしている。嫌な予感がますます強くなった。絶対に何かトラブルを持ってきている。
「聞いてください! 私達の杖見つかったんですよ!」
フィーレが慌てて話し始める。その声の中に、期待と興奮が混じっている。
「本当か!?」
俺は驚き、思わず声を上げる。杖は投獄される際に没収されたが、まさかそれが見つかるなんて夢にも思わなかった。
「はい!! でも取られました!!」
フィーレは必死に説明するが、その結果を聞いた俺は一瞬言葉を失った。
「……は?」
思わず素っ頓狂な声が漏れる。杖が見つかったこと自体は大きな進展だが、それを取り戻せなかったのか。
フィーレは杖を取り返すために動き出したが、その話を聞いた瞬間、また新たな問題が発生したようだ。
「どこで見つけたんだ?」
「こちらです! あちらで私達の杖が十万ルピで露店で売られていて、私が買おうとしたんですが、あそこのゴツイおじさんに『これは俺のもんだ。嬢ちゃんは諦めな』と言われてしまって……」
フィーレはその男の真似をして、太い声を出しながら顔をしかめてみせた。
「それでお前はどうしたんだ? 引き下がったのか?」
俺は興味津々に聞く。まさかフィーレがそのまま諦めるとは思えない。
「い、いえ! まさか! 私達の大事な杖ですから、私もそこで諦めるわけにはいきません! だから『それなら勝負だ!』って腕相撲を挑んだんです!」
フィーレが誇らしげに言うが、表情はちょっと引きつっている。
「おう。それでどうなったんだ?」
「負けました」
「バカだろお前」
「でも! 勝てば取り返せると思って……!」
「勝てるわけないだろ」
「……すみません」
フィーレがしょんぼりと謝る。まあ、あの筋肉だるまに勝てるわけがない。
「でも、杖を見つけたこと自体はお前のお手柄だな」
俺はフィーレの指を指された方向に目を向ける。そこには、身長三メートルを超えるような筋肉の塊みたいなおっさんが、嬉しそうに杖を二本持って笑っている。
「……アイツか」
「はい……」
フィーレが苦い表情を浮かべる。
「……はぁ。待ってろ、俺が取り返してくる」
俺は覚悟を決めてそのおっさんに向かって歩き出す。
「ありがとうございます、柊さん! お願いしますね!」
フィーレは感謝の気持ちを込めて、必死に頭を下げている。
(ったく……コイツは)
変わったのか変わってないのかよく分からんやつだ。それに比べ、レインは別人のように変わっている。強さは出会った当初から隠していたのはなんとなく察していたが、なんというか……落ち着いている? というのだろうか。俺のことを”様付け”するくらいだ。俺達と出合うまでにさぞ大変な出来事があったのだろう。
「――柊様」
レインが不安そうに声をかけてきた。
(ほらまた様付けだよ)
「要らぬ心配だとは思いますが、一応ご忠告です。ここは先程も言ったように犯罪率が高いです。どこで何が起きるかは分かりません。ですので、常に周囲を警戒する事をお忘れなき様」
レインが真剣に警告してきた。彼女の目は真摯だ。
「……ああ、ありがとう。レイン」
俺は頷きながら、少し安心した気持ちになる。これからのことを考えると、警戒心は忘れないようにしないとな。
「いえ。私はフィーレ様を監視……護衛しておりますので、その点はご安心下さい」
レインは右手を胸に添え、軽く頭を下げると、再び真顔に戻った。
「監視」ではなく、「護衛」か……その違いを強調するのか。なるほど、まあ、そう言われてみれば違う気もする。
「まぁ、レインが付いているならフィーレの方は大丈夫だろう。後は俺が杖を取り返すことに専念すればいいんだよな」
俺は改めて気合を入れ、目の前の露店にいる筋肉だるまのところへと歩みを進めた。
「……さて、とっとと杖取り返して、珠希とゼノアを探しに行くとするか」
……
…………
………………
「…………あの、さっき”監視”と言いましたか、レインさん?」
「言っておりません」
「え、でもさっき――」
「言っておりません。”護衛”です」
「そうですか……」
「そうです」
レインはあくまで真顔で、やや強調気味に答えたのだった――。




