第二十八話「絶望と愛」
「……俺の話は以上だ」
「えっと……その妹さんはどうなったんですか……?」
「一応生きてる……と思う」
両親の元から邪魔な”俺”という存在が消えたんだ。妹は問題ないだろう。
「柊さんにそんな過去があったなんて……それに比べれば私なんて屁みたいなものですね」
「女の子が屁とか言うんじゃない。…………まぁなんだ。俺が言いたいのは、例え死んだとしても俺のようにまた違う世界があるって話だ。それがどこかは分からない……けど、少なくとも今お前の目の前に居る男はそうして存在している。俺、結構この世界を謳歌してたろ?」
「あははははっ! 確かに! バカみたいにはしゃいでいた時もありましたね!」
「馬鹿言うなよ。お前にだけは言われたくないわ」
俺とフィーレは笑い、自然と距離が近くなり、気付けば肌と肌が密着していた。
「……私、皆さんを見つけたいです」
「ああ、俺もだ」
「でも……私一人では叶えられません」
「……ああ、俺もだ」
俺の体は火照っていた。フィーレの匂いが直ぐ側に。言動から俺はコイツの事をガキだと思っていたが、そういえばフィーレは見た目だけは大人だった。今は魔法使いの被る白い三角帽は無く、綺麗な銀髪が露出している。俺はその姿に思わず見惚れてしまった。恋愛なんてしたことがない俺からすれば、あまりにも地獄すぎる状況だ。
「あの…………少し、抱きしめてもらっていいですか……? 今夜だけで良いですから」
「……分かった」
言葉通りに俺は後ろからフィーレを抱きしめる。その体は震えていた。それが寒さから来るものなのか、それとも怖いからなのか……きっと後者だろう。
――そして俺達はそのまま朝まで眠りについた。
***
「若いのよ、これを持っていきなさい」
「これって……」
エルムスのじいさんがくれたのは新しいローブ。ここエルムスの民達が着ている物と似て非なるものだった。今俺が着ているのは、初めて会った時、じいさんから剥いで……じゃなくて、貰ったものだ。だが、今回くれたのは似ているが少し違う。
「それはヒケシドリの毛皮を用いた火炎耐性を持つローブ。この先できっと役に立つじゃろう。それと――」
エルムスのじいさんは茶をベースにした茶と赤の斑模様のローブを俺とフィーレにくれた。
「これもな。見たところ二人とも、魔法使いじゃろう。魔法使いなら杖があらんとな」
と、エルムスのじいさんがくれたのは何かの骨で作られた杖だ。先端部分には赤い宝玉が付いている。
「杖だ!」
「杖ですね!」
俺とフィーレは魔法使い。久しぶりの杖に思わず歓喜の声が溢れて出てしまった。
「それはカースドラゴンの骨にゴーレムの心臓を取り付けたものじゃ。ゴーレムは緻密な魔力操作を得意とする魔物。そのゴーレムの心臓を取り付けた杖には、威力を上げる効果などはあまり期待できんが、魔力をコントロールするにはうってつけのものじゃ」
という解説付きで杖まで貰ってしまった。それもフィーレと俺の二人分。お揃いのローブにお揃いの杖。
俺にとっては魔力よりも、杖自体の耐久力が気になる所だが。骨骨しい杖……正直不安だ。
(なんか傍から見たら俺達兄妹みたいだな……)
「感謝するじいさん……いや、エルムス王」
「ありがとうございます、王エルムス様」
「いい、そう畏まらんでも。お主らにはこの先も生きていて欲しいだけじゃ」
エルムス王は俺達にそう言うと笑いかけた。この日、初めてこのじいさんが王なのだと感じた。
「お前達、俺からはこれをやろう」
すると、今度はファルスが何かをくれるみたいだ。
「ん? これはネックレスか?」
ハゲ……ファルスがくれたのは麻の紐で作られたネックレスだった。その先端に付いていたのは青く透明な石。いや……これは――
「これ……魔石ですよ! 柊さん!」
「魔石?」
「知らないんですか! 魔石は強力な魔物が住み着く洞窟で稀に取れる希少な石で、所有者の魔力を大幅に上昇させる事が出来るんです!」
「ふーん」
魔力ねぇ……俺に魔力関係ないしな。ゼロに何を掛けてもゼロだ。必要ねぇな。
「二人分ある。持っていけ」
「助かる、ハゲ」
「ありがとうございます、おハゲさん!」
「う、うむ……なぜか癇に障るがまぁいい」
一応貰えるもんは貰っておこう。そんなに希少なら金に困った時にどこかで売ればいい。……そうだよ。俺達、今手持ちねぇじゃん。珠希の財宝で売った大金は全て『アルス王国』の宿に置いてきた。ってことは無一文じゃねぇか俺達……
よし、売ろう。
「ところでじいさん」
「なんじゃ?」
「この杖耐久性ってどんな感じだ? やっぱベース骨だし壊れやすかったりするのか?」
「そうじゃなぁ……普通に使えばそうそう折れるような事はなかろう」
普通に使えば、ねぇ……俺普通じゃないんだよなぁ。なるべく壊れない様に優し〜く殴っていこう。
「分かった。二人ともありがとな」
「ありがとうございます!」
「気をつけるんじゃぞ」
「達者でな」
こうして俺とフィーレは『エルムス』を離れた。たった二日程ではあったが、それなりに楽しいものだった。……この短い間に色々あったが、以前と比べフィーレとの距離も少しは縮まったと思う。
今まではただのガキだと思っていた。けど、こいつも成長し、コイツなりに考えているという事も。そして、強がりで本当は弱いところも。俺はこれから先、フィーレを守らなければならない。ここからは新たな景色ばかりだ。今まで以上に過酷な旅になる。だが、俺はこの命に変えても必ずコイツを守り抜く。
俺は杖を強く握りしめ、決意する――。
振り返るとエルムス王とファルスの姿がかなり小さくなっていた。もう豆粒程に小さく見える二人の姿だが、あの二人は俺達に向かって未だに手を振っていた。
「おいおい、どんだけお人好しなんだよあの二人」
「そうですね。この先もそんな方達ばかりだといいですね」
「……そんなに居るかよ」
俺達は思わず笑みがこぼれると、後ろでまだ手を振っている二人に大きく手を振り返した。
***
「暑い……」
「暑いとか言わないでください。余計暑さを感じます……」
俺とフィーレは絶賛砂漠を歩行中である。砂漠の砂に足をとられ、なかなか前に進めない……それに加え強烈な暑さで今にも倒れそうだった。
『エルムス』を離れてかれこれ九時間ほど経ったと思う。道中当たり前のように魔物が出てきた。サソリやネズミ、空飛ぶ名前の分からない鳥。そのどれもが皆、口から炎を吐いてくる。
「……出たぞ……フィーレ」
「は、はい……『ファイアーボール』……はぁ……これいつまで続くんでしょうか」
「さぁな……じいさんから貰った地図によれば、あともう少しで湖があるはずだ。そこまで頼むぞ」
杖と一緒に地図まで貰った俺とフィーレは、湖を目指して歩いていた。『アレン王国』に向かうためにはその湖を通る必要があるらしい。しかし、その道中何度も魔物が襲ってくる。地上の魔物は俺が、空飛ぶ魔物はフィーレが担当だ。そしてなんと言っても驚いたのがフィーレの魔法だ。恐らくエルムスのじいさんから貰った杖、ファルスから貰ったネックレスの効果だと思うが、俺の知っている『ファイアーボール』では無かった。バスケットボールくらいの炎の玉でもなければ、マッチの炎でも無い。勢いと大きさが桁違いだった。その火力でフィーレは全ての魔物を一撃で葬っていた。
「お前が強くなって俺は嬉しいよ……マジで」
「ありがとうございます……この杖とネックレスお陰ですけどね……」
だとしても、嬉しい。俺も楽が出来る。
強くなったと言ってもフィーレが使える魔法は変わらず『ファイアーボール』のみ。この世界の住人はレベルが存在しないはず、というのが俺と珠希の考えである。現に俺に絡んだが最後、アレンに殺されたあのチンピラ冒険者もフィーレと同じ魔法を使っていた。だが、フィーレのものとは大きさや速度がまるで違った。そして今回、装備が変わった事でフィーレの魔法は比べ物にならない程強くなっていた。あの日チンピラが使っていたものより速度も、大きさも全てが今のフィーレの方が上だ。
(まさかこの世界の住人は装備で力を付けているのか……?)
俺がそんな事を考えているとついに見えてきた――
「…………おい、フィーレ! 見ろ!」
「……あれは……湖! 湖ですよ柊さん!」
「ああ! 見れば分かるけどな!」
遂に湖を見つけた俺とフィーレ。
「よっしゃー! 飲み尽くすぞ!」
「はい! 体全体で飲み尽くしてやりますよ!」
と勢いよく発言するが、残念ながら走る事が出来ない。砂漠の砂が俺達を行かせるものかと言わんばかりに、走らせてはくれない。
「……くそっ! 見えてるのに……見えてるのにぃぃぃ」
「もうそこにあるのにぃ……遠いですぅ」
湖を目視出来てからさらに一時間程歩いた。
……
…………
………………
「水、うんま!!」
「ですね! 私なんて体ごと浸かってしまいましたよ! ほら! 見てください柊さん!」
「……それは汚いからやめてくれ」
人が飲んでる横で、肩まで浸かるフィーレ。砂とかいっぱい付いているのにやめて欲しい。
「うゎ――ペッ! おいフィーレ! お前の体に付いてた砂が口の中に入ったぞ! ペッペッ」
「すみません! でも仕方ないんです! 体が……私の細胞全てが水を欲しているんです!」
「ならもうちょっと離れた所でやってくれ。お前の横で飲んでると、お前の汗とか飲んでる気分になる」
「私の汗は水より綺麗ですよ! ……とはいえ、柊さんがうるさいので離れます。では〜」
そう言ってフィーレはスイスイと泳ぎ、一応離れてくれた。
「ったく……にしてもこの湖、綺麗だなぁ」
透明。その一言で完結する程に透き通っている。
「これは確保しといた方がいいな。またいつ水が確保出来るかは分からないし」
何か入れるものはないだろうか。水筒とか無いしな。どうしたものか……。
俺がそんな風に悩んでいると、フィーレの俺を呼ぶ声がした。
「柊さーーーーん! こっちに来てくださーーーーい!」
「ったく……やかましいなぁ」
今どうやってこの水を確保するか考えてんのに、何の用だフィーレのやつ。と言いつつも俺はフィーレの元へと向かった。
「……どうしたんだ?」
「これ! 見てください!」
フィーレは湖にプカプカとクラゲのように浮かびながら湖の下の方に指を差した。
「ん? ……これって……水筒か?」
筒状の何かを入れる為に作られたモノ。
「水筒じゃねぇか! でもなんでこんなところに?」
傷だらけではあるが、一応使えそうだ。
「でかしたぞ! フィーレ!」
「ありがとうございます。で、それなんですか?」
分からないのに呼んだのか。ゴミでも落ちていた、みたいな認識で呼んだのだろうかコイツ……。
「こうやって、こいつの中に水を入れると……ほら、持ち運ぶ事が出来る」
俺は水筒を湖の中からすくい上げ、水筒の使い方を実演して見せた。……すくい上げる為に結局俺も全身濡れてしまった。
「凄いですね! これで暫く水には困りそうにありませんね!」
「そうだな……ただ、足りない。二人分だとな。フィーレ、せっかくならもう一つ無いか探してきてくれないか?」
「任せて下さい! 私、泳ぐの得意なので!」
そう言って再び湖を徘徊しに行った。
「本人は真剣なんだろうけど、アイツ見てると不思議と遊んでいるだけにしか見えないんだよなぁ」
フィーレはバシャバシャと水しぶきを上げながら、クロールや背泳ぎ、バタフライなど、色んな泳ぎ方で探していた。
「……背泳ぎに関してはもう探してねぇだろ……やっぱりアイツ遊んでね?」
水の中を探して欲しいのに空を見上げてどうすんだ……。
「あっ! 柊さん! 見て下さい!」
フィーレが俺を呼ぶ。俺は直ぐにフィーレの元へと向かう。
「どうした!? 見つかったか!?」
「見てくださいコレ! 靴? でしょうか? ブニブニしてて面白いですよ!」
「…………ゴミだ。捨てておけ」
「えー! 捨ててしまうんですか〜」
フィーレが拾ったのは、水中定番のゴミ、長靴だった……。ながぐつを釣り上げた! 海や川をキレイにしよう!! じゃねぇよ。
「…………おい、俺は捨てろといったぞ。そんなもん抱えて上がってくるな」
「だってこれブニブニしてて気持ちいいんですよ!? きっとこれ高く売れますよ!」
「売れない。ゴミだ。元に戻してこい」
「嫌です!」
ゴミを大事そうに抱えるフィーレ。仕方ない、この先こんなゴミを持って居られても困る。ここは無理にでも――
「ちょっと! 何するんですか! ああ! ……はぁ」
俺はゴミを奪い取り、湖に戻した。本当はダメだけど。
「さ、行くぞフィーレ。……おい聞いてんのか」
「酷いです……柊さん」
「お前が俺に力勝負で勝てるわけ無いだろ」
魔法使いの皮を被った前衛職だぞ。
「……はぁ、分かりました。では行きましょうかオニラギさん」
「人の名前を新種の妖怪みたいに呼ぶな。俺の名前はヒイラギだ」
「失礼、噛みました」
「違う、わざとだろうが」
「……え? 私、本当にわざとじゃありませんよ?」
「…………お前ってほんと空気読めないよな」
◆◆◆
――ある廃城にて。
「アレン様! ご無事ですか!」
「……くっ……ぐはっ……! ……ああ、なんとかな。……レイン……良いかよく聞け」
「喋らないでください! 血が――」
「いいから聞けレインッ!!」
「は、はい……」
真っ赤な鎧を着た男とそれに仕える黒一式の衣服を着た女が居た。男は鎧の至る所に傷があり、腹から大量の血を流している。女はその男の腹に手を当てなんとか血を止めようとしていた。
滴り落ちる血が地面を濡らしていく。必死に抑える手も虚しく、体から力が抜けていくのを感じる。
「…………レイン、俺はもう長くない」
「そんな事を言わないで下さい! まだ助かります!!」
「……自分の事だ。それくらい分かる……だからレイン、お前が王になれ。そして……あの二人……柊とフィーレに助けを求めろ…………お前ならそれが出来る……はずだ……」
「アレン様……」
男は喉から溢れる血を必死に抑えながら、震える手で女の顔に触れようとする。
「それと……すまないな。式を挙げるという話だったが実現……出来なかった」
男は申し訳なさそうに女の頬に触れた。
「そんな事より今は生きて下さい! それにあれは冗談だと……!」
「……冗談なんかでは無い。本当に挙げるつもり……だった。こんな事がなければな…………だから悪いがこれで許してくれないか」
男は血に染まった口元を女に近づけ、震える唇をそっと女の唇に重ねた。そのキスは短く、儚いものだった。けれど、そこには言葉にならない全ての愛が込められていた。唇が離れた瞬間、男の目から光が消えた。だが彼の表情には、確かな安らぎが残されていた。
「アレン様……! アレン様! お願いです、目を開けて下さい! 置いて行かないで……!」
女は男の名を何度も何度も呼び続けた。その名は、心の中でずっと秘めてきた想いそのものだった。
「私……ずっと……ずっとあなたを……!」
言葉は声にならず、男の冷たい体を抱きしめた。男の涙が男の頬を濡らすたびに、まるで女には彼が微笑んでいるように見えた。それが女の心をさらに引き裂いた。
女は彼の名前を何度も呼びながら、その場に崩れ落ちた。最後のキスが、彼の命そのものだったと悟りながら。
「――アレン様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
それは絶望と愛、後悔と感謝の全てを込めた叫びだった。夜空に響くその声は、まるで彼を引き戻そうとするかのように強く、切なく、そして痛ましいほど純粋だった。
叶った恋は、まるで夢のように儚く、指の隙間からこぼれ落ちる砂のように終わりを迎えた――。




