Episode.02 ヒイラギ 『殺意の目』
結論から言うと、妹は一命を取り留めた。
しかし、神は授かった命を無駄にするなと言わんばかりに妹に『呪い』を掛けた。
***
俺達、柊一家は病院へ来ていた。今回は俺だけではなく、両親も診察室に入って。
「…………お子さん、奏音さんですが、何とか一命は取り留めました。手首の脈を切ったことによる出血についてですが、恐らくお子さんは迷っていたのでしょう。死ぬのが怖いと、怯えて…………そのおかげ……と言うのも間違っているのかも知れませんが、命に別状はありません。あと三分発見が遅れていれば助けられなかったでしょう」
医師は告げた。俺と両親は医師のその言葉で肩の荷が下りた。
(無事でよかった……)
しかし、医師は続ける――
「…………大変言いにくいのですが……奏音さんにはしばらく入院させる事をお勧めします」
「……どういうことでしょうか? あの子にまだ何か?」
「…………お二人はお子さんの認知症については御存知でしょうか?」
「……え?」
俺は両親に言っていなかった。言うのが怖かった。うちの両親は、兄である俺よりも妹の方を大切に思っているからだ。柊家は喧嘩が絶えない家庭だった。そんな両親の喧嘩がある度に、俺は祖母の家に入り浸っていた。祖母の家こそが俺の家と思っていた程だ。しかし、妹は違う。妹は俺のように逃げることは無かった。それ故に両親は俺よりも妹を大切に思っている。単純に、両親と家にいる時間、一緒にいる時間が妹のほうが多かったからだ。だが、両親の喧嘩を毎日のように聞くストレスは計り知れない――。
「……なるほど、そうですか」
両親の反応に医師は眉間にシワを寄せた。それが俺にはまるで、まだ親に言っていないのかと言う様な目に見えた。
(……言えねぇよ)
言えばうちの両親は妹のことでまた喧嘩をすると思った。それは回り回って妹への負担となる。
医師は奏音の認知症について改めてうちの両親に説明した。両親はそれを聞いた直後、泣き崩れた。
俺はそんな二人から目を逸らした。見ていられなかったから。
「…………少しお子さんと……お兄さんと二人だけでお話させて頂いてもいいですか?」
(え、俺……?)
まさか妹の認知症について言わなかった事を責められるのだろうか。
両親は医師の言葉に了承し、泣きながら診察室を出ていった。医師と二人きりになった俺。正直、責められてもしょうがないと思っていた。だから覚悟は出来ていた。
「…………さて、お兄さん――」
「すみません……俺、言えなかったんです。両親があんな風になるのが嫌だったので……」
俺は謝った。誠意を見せるため土下座をして。
「これこれ、辞めなさい。私が君を責めるとでも?」
「……え、違うんですか?」
「…………はぁ……違います。もし私が責めるとすれば、それは君のご両親です」
え、うちの親……? なんでそこでうちの親が出てくるんだ?
「私はね、医師という仕事に誇りを持っています。今まで診てきた患者も数知れず……そんな私だから分かります。家庭の事情というものを。……ですが、これは私じゃなくても分かる。君の両親は|君を大切に思っていない《・・・・・・・・・・・》、そうでしょう?」
「……な、なんで」
なんで分かるのか、そう言いたかった。しかし、的確に突いてきたその言葉に俺もまた、それ以上言葉が出てこなかった。
「やはり……」
医者は聴診器を外し、俺に面と向かい合う。
「君が妹さんについてご両親に何も言わなかった理由は分かりません。ですが、初めて奏音さんの病気を知った時の君のご両親の目。あれは殺意の目だ」
「さつ……い……?」
俺は開いた口が塞がらなかった。確かに両親には愛されていない事は知っていた。だけど、殺意を向けるほど俺のことが……?
「……そこ……まででは無いかと」
俺は皮肉にも両親を庇った。
「…………本来なら他人の家庭の事情に首を突っ込むのは許されません。私は警察でなければ、虐待の相談員などではないですから」
「虐待って……」
「しかしね、他人の……人の命を扱うからこそ分かるのです。これは医師の中でも私だけかも知れませんが」
医師は続けた――
「お兄さん、妹さんは任せなさい。君はご両親から逃げなさい。これは忠告です」
「……しかし、今はばあちゃん……祖母も亡くなって帰る家はあそこしか……」
俺にはもう帰る家はあそこしかない。祖母が亡くなった後、俺は本当の自分の家に帰ってきた。だが、両親は変わっていなかった。相変わらず毎日のように喧嘩の日々だ。妹はもういつものことだと言うかのように、両親の喧嘩が始まると二階の自室へと閉じこもる。俺はこの時、うちの妹は凄いと素直に感心した。だが、その長年のストレスが妹をあの様にしてしまったのかもしれない。
「では私の家に来なさい」
医師が医師とは思えない言葉を吐いた。
「……え? マジですか?」
「ええ、大マジです。このままだと君の身が心配だ。目の前に救える命があるのに、救わない選択肢は私には無い。それで例え、医師の免許を剥奪されようともね」
正直悩んだ。この医師は本気で俺を心配している。……けど、
「家に帰るのが危ないことは分かりました……でも、明日だけは家に居てもいいですか? ……明日は俺の卒業式なんです。せめて最後くらい友達に会いたくて……それに制服はまだ家にあるので……卒業式が終わった後でも構いませんか……?」
「…………正直な所、私は君の身が心配で今すぐにでも君を安全な場所へ隔離させてあげたい。……しかし、私は君の意思を尊重する。今日一日、両親から絶対に目を逸らさないで欲しい。もし何か違和感を感じたらすぐに逃げなさい。これは私からのお願いです」
そう言って医師が深く頭を下げた。
ただの医師がここまで患者に寄り添う事があるのだろうか……。不思議に思ったが、俺は医師の言葉を信じることにした。
「――必ず、生きなさい」
***
卒業式当日。
結局、昨日は医師の言葉通り両親から目を逸らさなかったが、特に異常は無かった。強いて言うなら、妹は入院し俺と両親の三人だけの一日で、珍しく喧嘩も無かったことくらいか。
「じゃ行ってくる」
いってらっしゃいの返事はない。いつものことだ。
(さて、今日で俺はこの家を去る……やっと静かに暮らせるのか)
玄関を出ると、いつもと違う景色に見えた。やっとこの家から解放されると思ったからだろうか。
「――奏多っ!」
いつもならこのまま学校へと向かう筈だったが、母の声が俺を呼び止めた。
「……どうしたの、母さん」
「帰り、迎えに行ってあげるわよ。寒いでしょう?」
「あ……えっと……」
母さんの黒のワゴン車は正直乗り心地が悪いから乗りたくない。座り心地とかではなく、単に会話が無く気まずいからだ。
それに迎えが来るということは、卒業式が終わればまたこの家に戻ってくる事になる。そうなればあの医師との約束が守れない。
「……ごめん、母さん。帰りは歩いて帰るよ」
医師との約束を守る為に俺は母の言葉を否定した。
「……なによ…………せっかく迎えに行ってあげるって言っているのにっ!! どうして母さんの言うことが聞けないのっ!!?」
「――っ!?」
母さんがキレた。玄関前で叫ぶように怒鳴り散らかした。
「……ごめん……なさい…………行ってくる――」
「ちょっとっ! 待ちなさい!!」
俺は逃げるように走り、学校へと向かった。
(あの医師の言う通りだ。あの目は、やばい)
***
卒業式も無事に終わった。
「……さて、医者のところへ向かうか」
「なぁ柊、この後皆でカラオケ行くんだけどよ、お前も来るよな?」
友人が声をかけてきた。友人と言っても、俺からすればただのクラスメイトに過ぎない仲だが。
「悪い、今日は遠慮しとく」
「え〜ノリ悪いなぁ。また妹か?」
「……はぁ、どうしてそこで妹が出てくる……」
「だってほら、お前いつも妹の話ばっかりすんじゃん」
アレは今日も妹がうざいとかそんな話なのだが……。
「そんなに喋ってたか、俺」
「ああ、正直シスコンだと思ってる」
「それは無い」
「ほんとかぁ〜? いいなぁ〜俺も妹にお兄ちゃんって呼ばれたい人生だったぜ〜」
うざい以外の何物でもないという現実をコイツは知らないのだろう。……だけど、今はそんな妹の為にも俺はここであの医者との約束を破るわけにはいかない。
「カラオケ、程々にな」
「え? マジで行くのかよ!? お兄ちゃんよ!?」
「誰がお兄ちゃんだ。俺をお兄ちゃんって呼んで良いのはこの世界に一人だけだ。……じゃあな」
クラスメイトが後ろでノリが悪い等とほざいているが気にしない。
「……今は俺達、兄妹の命の為にもカラオケなんかに行ってられない」
俺は校門を出る。
「さて、確か医者がくれたメッセによると……」
医師から家の所在地を聞いていた。といってもアドレスを交換したわけではなく、単なるメモ書きだ。
「やべ、くしゃくしゃになっちまってる」
制服のポッケにテキトーに突っ込んでいたせいでメモが原型を留めていなかった。
(これだから紙は……今の時代メモでもなんでもスマホだろ)
俺はくしゃくしゃになったメモをなんとか戻す。
「……ふぅ、ギリギリ見える。ここからだと――」
俺はメモを見ながら医師の所在地へと足を運ぶ――
「おいっ! 柊危ねえぞっ!!!」
「え……?」
――その日、俺は死んだ。
そこからは知っての通り、目を開けると異世界だった。痛みも何も無い。見えるのはファンタジーな世界。
俺が死の直前、最後に見た景色は、黒のワゴン車が猛スピードで突っ込んでくるものだった――。
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