一章の一「墨色の河」
序盤少し重いです。
徐々に読みやすくなっていきます。
一章の一「墨色の河」
橋が架かっている。それもたくさん。河が分断した峡谷の崖の洞窟の家で、都原清流は生まれた。昼間のわずかな時間しか、太陽は差し込んでこない。灯篭と呼べばいいのか、橋の明かりは、まるで毎日がクリスマスなのかと思うくらいピカピカと光って峡谷を照らした。洞窟の家の入口にも、明かりで装飾された扉があった。その扉を見て、みんな人の家を区別していた。
山。谷。河。河は、だんだんと緩やかになって、古都に注いでいる。多くの人は峡谷から古都に出て、そうしてまた峡谷へと帰ってくる。峡谷は寒くて、物資も乏しいのに、峡谷で住んだ人は、峡谷が好きになるらしい。
河は、深く黒い色で染められていて、ゆらゆらと橋の灯篭の明かりを反射していた。
峡谷には、決まった学制のようなものはなくて、子供は親から学んだ。清流も、十七歳まで峡谷で本を読み、いくつかの言語を学び、サイエンスをかじり、そして古都で学ぶ時期が来た。
暗い峡谷で生活する人は、真っ黒な瞳を持っている。まるで鬼のように、文明を持たない峡谷の人は、明るい道を歩いて来た古都や城街の人とは違う時間を生きる。
清流には兄のように慕っていた、年上の男性がいた。その人は、すでに古都に移って時間が経っていて、清流はその坂西九博の元へ、一旦身を寄せるつもりでいた。
橋を渡って仲のいい友達の家に行く途中で、人とすれ違う。みんな、清流が古都へ「留学」することを喜んでいる。そこが実際どんな場所であるかは、清流にはまだわからなかった。
古都や城街から帰ってきた人は、その場所について多くを語らなかった。嫌な思い出があるとは少し違って、その体験が一体どういうものであったかを、正確に子どもに伝えることが難しかったのだ。
峡谷を言い表す上で、村という表現が正しいのかはわからない。峡谷は、必ずしも現代と接点がないわけではないし、習俗が閉鎖的でドロドロしているとか、電気が通っていないとか、モノがないなんてこともなかった。
洞窟の中では現代的な暮らしが営まれてきたし、偏りのある教育であるかもしれないけれど、子供たちは学んだ。
ただ、一方通行なのだ。峡谷の人々は、古都や城街に行く。でも数少ない例外を除いて、外の人が峡谷に移り住むことはなかった。
「よく学ぶのよ」
少し離れた家に住むおばさんは、清流が渡る橋の上で、清流に話しかけた。
清流はとても穏やかに、「自信はないですけど」と笑った。
「当たり前よ。別にあなた天才じゃないんだから。都原さんのお父さんは、すさまじい人だったけど、あなたは、そこまでじゃないわ」
失礼な言い草だったが確かにそうだった。清流の父は、とても頭のいい人だった。峡谷の多くの人がそう懐かしむ。でも、その父は戦争で亡くなっていた。清流は、母親に育てられたのだ。
父のことは正直覚えていない。寡黙な人だったから、印象だけがかすかにちらつく。
小さい頃に峡谷から古都と城街に移り住んで、何年も経った後に峡谷へ帰ってきた。峡谷で昔仲の良かった母と結ばれて、でもそれが幸せだったのかは、清流には知りようがなかった。
その父も、外の友達に手紙を書く時は、楽しそうにしていた。少なくとも清流にはそのように見えた。
それは父の不在だった。けれど清流はそれを喪失だとは、捉えなかった。母はきっと違うように捉える。母は父のことを好きだったのだから。
今ある環境が、当たり前じゃなくなるのは、そこに過去があり、今が過去に意味付けされているからだ。子供に過去はない。過去を懐かしむ暇もない。
東の三階にある陽菜恋夏の家に行く。借りていた本を袋に詰めて、この先何年かは会うことのない二歳年下の女の子に返す。ポタポタと、どこかから水が漏れた。顔にかかる。
恋夏の家の戸を叩くと、恋夏の母親が出た。
袋の中の手紙は、簡単に言えば、「待っていてほしい」というラブレターだった。
清流の昔馴染みは何人かいるが、年が近いのは恋夏だけだった。
峡谷は、徐々に衰退していっている。過疎は地方の必然だと多くの人は諦めているが、その集落の存続は、やはり若者の動向に左右される。
「上がっていったら?」
恋夏の母親は、清流を引き留めた。
「いいんです」
「もう行くの?」
「ええ」
「恋夏のこと、忘れないでね」
ゆっくりと戸を閉める恋夏の母親は、曖昧な笑みを浮かべた。恋夏の母親は、清流の母親と年も近く、仲もよかった。陽菜の家には、数えきれないくらいお世話になった清流は、礼を伝えられなかったと、少し悔やんだ。
峡谷の隙間から空を見る生活がもうすぐ終わるのだと思うと、清流は嬉しかった。俗っぽい功名心がないわけでもないし、新しい世界への期待は、かなり大きかった。
でも、それはどちらかというと、田舎を出たいという都会へのあこがれよりむしろ、峡谷という息の詰まる空間からの逃避という意味合いが強かった。正確に言うならば、峡谷は田舎ではなかった。特別な場所だった。古都や城街の人々が、峡谷の民を「鬼」と呼ぶ。それには、それなりに理由がある。
パタパタと履物の音をさせて、人が橋を行き交う。何度も顔を合わせているのに、そのひととなりを知らないこともままある。まるで、二十何階もあるマンションの住人のようで、それは、様々な制度が無化されているからこそ生じる、ディタッチメントだった。もし仮に学校や病院のようなものがあったなら、人は自然に接点を持っただろう。
ディタッチメントなんて横文字を敢えて使うまでもないかもしれない。今も昔も「日本人は個人的」だし、自分の隣にいる他者を選んできた。風上に立って子供に寒風が当たらないようにする。それを他者に対してするような、思いやりや気配りみたいなものは、「伝統的な日本」には存在しない。
西に行けば人は温かいとか、簡単に地方性を語ることはできない。大きな枠組みの中で人がどうやって孤独を解消するかという問題は、一般的になりつつあるし、全体的な方向として、それに社会として答える潮流は、水面下深くに沈んで、湧き上がってくる気配はない。でももし、体系的にその問題に答えて、温かく親密な人間関係が形成されたとしたら、人はそれを疎い、より個人的な部屋を心の中に作るだろう。
良くも悪くも、個人的であることができるのは、社会が成熟しているからなんだろう。それが、峡谷を含んだ日本の歴史だった。
清流は家で、最後まで持っていく本を考えていた。戸がトントンと叩かれ、恋夏が訪ねてきた。
「栞あげる。本返してくれてありがと。早く帰ってきてね。私が大学に行くタイミングの方が先かもしれないけど。変わってもいいけど、変わらないで。清流のいいところを、失わないで」
「何かを得ることよりも、失うことを怖がるなんて、何十年も生きた大人みたいだね」
「私たちは、大人じゃないけど、峡谷の民だから。辺境だし、寒い世界だけど、そこは住む人にとっては、唯一無二の故郷だよ。でも、せいせいしている? そんな感じもするね」
「峡谷に飽きただけだよ。すぐ懐かしくなる」
恋夏は、にこっと笑って、指を清流の指に絡めた。纏わる手先がやがて形をとって、指切りになった。恋夏の指はひんやりとしていて、華奢だった。
恋夏の、カチューシャで上げたおでこに、掌を当てて熱を測る。
「清流の手、あったかい」
つけなくても長いまつげでぱちぱちとまばたきする。手の甲で恋夏のまだ柔らかい頬を拭うようにさらりと撫でた。
恋夏は清流のことを年上だとは思っていないし、清流も同じように、二歳の差を大きなものだとは感じていなかった。歳というものは、集団を測定する上ではとても便利なものだけれど、個としての人を見るのにはあまり適さない。だから、恋夏が「愛してるよ」と言うとしても、それは分相応不相応なんて誰も思わなかった。仮に大人にならないと愛がわからないという考えがあって、それに一定の正しさがあったとしても、ただちに少女に愛がないなんて理解をするべきではない。普遍的な愛に接続する権利を、恋夏から奪うわけにはいかないのだ。普遍的な愛がもしこの世に存在しないとしても、恋夏の言葉に正しさがなかったとしても、愛が表現しようとしていた好意は、概念上の正しさや誤りというものを超えて、実際に感情としてそこにあった。感情を言葉にする時に落ちていく要素と、言葉で考える時に固まる感情という、双方向の規定をうまくすり抜ける言葉。情感と概念が重なるところに、恋夏の「愛」はあった。
肩を斜め上からトントンと叩いて、恋夏はそれを形にした。言葉よりも直接的に励ましを表現する。ぐっと清流の胸を押すと、二、三歩後ろに下がって手を振った。橋の手前でまた振り返り、笑顔を見せた。それは、間違っても清流が峡谷を後にすることを喜んでいるのではなく、さりとてそれを悲しんでいるのでもなく、他人の高揚感を横取りしたような、冒険心にあふれた笑みだった。
これから何年か、清流はその笑顔と同じ笑顔を見ることはない。大切なものがたくさん詰まっている気がしたし、実際恋夏の思い出は、終生清流の心に炎を宿し続ける。
栞は三枚あった。三冊くらいが適当かもしれない。三冊に限って、本を選ぶことで、清流の気分は洗われた。
リュックサックは父のものだった。父が古都で大学生をやっていた頃に使っていた、海外の製品。革でできていて少し重たい。そんなに量が入るわけでもなく、でもそれがよかった。かっこいいというのもあるし、何より、父を近くに感じたかった。そこには確かに父の名残があった。
母は「頑張りなさい」とも「気をつけなさい」とも言わなかった。
「別に帰ってこなくてもいいのよ。向こうでいい人を見つけて、それがあなたの人生だったら、それでいいの。これが今生の別れでも、私は後悔しない。清流が成長した姿を見たいなんて、贅沢言わないわ」
清流は何を言われているのかわからないままにうなずいた。
リュックサックを背負って、後ろを見ると、こぢんまりとした洞窟の戸のランプが光っていた。橋を使って河面に下りていく。一階の桟橋に一艘船がつけていた。それが、清流を古都まで運ぶ船だった。