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8.エーリエの過去

「あっ、これはですね……母の形見といいますか」


 エーリエは、そのペンダントトップを指先で触れたのち、ゆっくり首から外す。


「母の顔が描かれていて……そのう、いつか。いつか、わたしの呪いが解けた時に見られたらって……もう、ずうっと昔の話ですが……」


 そう言いながら、エーリエはノエルにそれを渡した。チェーンがサラサラと音を立てる。ペンダントトップを開くと、中には本当に小さな肖像画が入っていた。そうか。絵で描かれている「顔」すら、彼女には見えないのか……そう思いながら、ノエルは描かれている女性の顔を眺めた。確かに、その女性の顔はエーリエに似ているような気がする。


「一時期流行ったな。絵を小さく描ける者があちらこちらの貴族に呼ばれてよく作っていたものだ」


「そうなのですか。この絵が本当に似ているのかどうかはわかりませんが……いつか、この目で見られると良いと思っています」


「菫色の瞳は、母親譲りなんだな」


「あっ、そうなんですね。母と、わたしの目は同じ色なんですねぇ……」


 エーリエは穏やかに微笑む。ノエルはロケットを閉じて、彼女に返した。エーリエは受け取ったロケットの表面を指先で何度か撫でてから再び首にかける。それを見ているだけで、彼女が母親の形見を大事にしていることがノエルにはわかった。10年を超える年月、日々彼女はそのペンダントを慈しみ続けているのだろう。顔を見ることが出来ない、母親の肖像画を。




 曇り空の下、エーリエの母親が入った棺を、森の片隅に埋めた。その日のことを彼女はずっと覚えている。


 先代の魔女がどこからどうやって棺を調達したのかをエーリエは知らないが、軽量化の魔法を使って簡単にそれを持ち運ぶことは出来た。幼いエーリエは何の手伝いも出来やしない。そもそも、彼女には「死」の概念がまだなかった。


 朝目覚めて、隣のベッドで眠っていた母親に声をかけたが起きない。そこにやって来た先代の魔女が「あんたのお母さんは死んだよ」とエーリエに告げた。その言葉の意味もよくわからず、エーリエは「お母さん」とまた母親の体をゆすったが、先代の魔女が「無駄だよ」と言い、それからなんとなく「お母さんは目覚めないのだ」と理解をした。


「見えないだろうが、綺麗な顔で眠っているよ」


 先代の魔女はそう言った。だが、エーリエはその言葉の意味がよくわからなかった。それは、嬉しいことなのだろうか、と思ったが、魔女には何も尋ねず、ただ頷くだけだった。


 棺には、花をたくさん入れるものだ。先代魔女はそう言って、花を魔法で出現させた。一体どこから持って来たのかと思う色とりどりの花々を敷き詰め、その上に母親の遺体を寝かせた。それを運ぶことも、それを埋める穴を掘ることもエーリエには出来なかった。すべて、魔女の力あってのことだ。


 棺を穴に置いて、魔法で土をかけて。だが、先代の魔女が「最後はあんたがかけてあげな」と言って、小さなエーリエの手に余る土の山を指さした。戸惑いながら、そこから土をすくって3回。棺を覆い隠す土の上に落とした。


 それから、墓の目印が必要だと魔女は言った。


「わたしの前の魔女も、その前の魔女も、ここに眠っているのさ」


 彼女はそう言ったが、エーリエには何も見えなかった。ただ、そこは森の中でもぽっかりと開いており、日光が直接降り注ぎ、花が咲き乱れている場所。


「ここのどこに?」


 エーリエが尋ねると「見てな」と魔女は言った。ポケットから植物の種を取り出すと、それらをばっと棺を埋めた場所にばらまいた。


「ニィモーリ・ノノモーリ・ファースィー・ロロント……」


 聞き慣れぬ言葉を魔女が唱える。しばらくすると、その種が落ちたところから芽が出て、茎が伸びてくる。花は咲かないが、まるで植えて一か月でも経過をしたように緑が生い茂る。


「わたしには咲かせるまでの威力はないがね。これぐらいのことは出来る。そこに咲いている花たちの下に、わたしの前の魔女も、そのまた前の、更にそのまた前の魔女たちが眠っているのさ。花の種類が違うだろう。多分ね、その花ごとに、その下で眠っているのさ」


「でも、お母さんは魔女ではないのに」


「そうさね。だが、あの家に短い間でもいて、わたしなんかより、余程魔導書やら何やらを読んでいた。家の裏の多くの野菜も植えていたし、湖もよーく見ていたしね。この森を愛してくれていた。だから、この森で共に眠る権利はあるんだよ」


 幼いエーリエには、話の道理がよくわからない。よくわからないが、母親の遺体が森にあるならばそれで良いと思った。近くでお母さんは眠っているのだ。そう思えたからだ。


「しょうがないから、あんたを育ててあげよう」


 それに、なんと答えたかエーリエは覚えていない。はい、と答えたのか。あるいは迷惑だとでも言ったのか。5歳の記憶は曖昧だった。だが、魔女に「育ててあげよう」と言われたことだけは覚えていたし、実際彼女はエーリエをよく育ててくれた。エーリエもまた、彼女に懐いて、毎日のように魔女になるための勉強をした。


 それから数年経過をした頃、魔女はペンダントをエーリエに手渡した。


「エーリエ、これを」


「なんですか?」


「あんたのお母さんの形見みたいなものだ」


「形見……?」


「幼いあんたには重すぎたからね。そろそろ、あんたも付けられるかと思ってさ」


 そうして、形見のロケットペンダントをエーリエは受け取った。魔女は、それを「開けてみな」と言う。うまく開けられずにもたもたしているエーリエだったが、魔女は静かに待った。


「あっ」


 やがて、カパッと開いたその中身を見て、エーリエは驚きの声をあげる。


「どうだい。顔が、見えるかい」


「……いいえ、見えないです」


「やっぱりそうかい。そんな気はしたが。本当は、なんとかあんたの呪いを解呪した後に渡したかったんだがそれが叶わなくてね……それは、あんたの母親の肖像画だよ。彼女は、人の姿もしっかり見えないくせに、町に出て、画家とやらに頼み込んでそれを描いてもらったらしい。いつか、あんたが見られますように、とさ」


「見えないですが、この髪はお母さんの髪色です」


「そうさね」


 エーリエはじっと肖像画を見つめた。顔がやっぱり見えない。けれども、記憶にわずかに残っている母親の姿が、ぱあっと脳内に蘇った。勿論その母親にも顔はない。顔はないけれど、自分にとっては大切な人だったのだ。


「わたし、見えなくてもいいです……だって、お母さんの顔、ずっと見えなかったし……だから、顔は見えないけど、これがわたしにとっての肖像画です……」


 そう言うと、何故かエーリエの瞳にじんわりと涙が浮かび上がった。魔女は、それへ「そうかい。それは良かった」と言って、多分、どうやら、かすかに微笑んだようだった。ようだった、と言うのは、エーリエには顔が見えない上に、人というものが「笑う」ものだとはあまりわかっていない。ただ、何か。何か柔らかい空気を感じた。それが微笑みというものだと彼女は知らなかったけれど。


 それから2年も経過せず、次に魔女が亡くなった。エーリエには棺を用意することが出来なかったが、家の裏にある倉庫を見ると、そこにはなんと棺があった。自分の死期を悟った魔女が用意をしてくれていたのだと思えば、エーリエの胸は痛んだ。


「お花を……お花を敷かなくちゃ……」


 残念ながら、彼女は花をどこかから魔法で持ってくることが出来なかった。その魔法は魔女から習っていなかったし、多分習っていたとしても出来なかったのだと思う。


 半日かけて、森のあちらこちらから花を摘んで、ようやく棺に花を満たすことが出来た。棺に花を敷き詰めて、そこに魔女の遺体を寝かせた。よくわからなかったが、魔女が気に入っていたマフラーや、魔女が毎日履いていた靴を一緒に入れた。それから、冬になったらいつも使っていたひざ掛け。それらを詰めてから、軽量化の魔法を使って棺を運んだ。


 ありがたいことに、穴を掘ることは魔法で出来た。だからといって彼女は土の属性を持つ魔法を得意ともしていない。むしろ、ただそれだけだった。花を咲かせる魔法は、土属性と水属性を掛け合わせるが、当然彼女には出来ない。だから、棺を穴に入れて土をかぶせた。ここまではそれなりになんとかなったが、その先はより大変だった。


「うう、今日は、ここまで……」


 森に咲いている花を持ってきて植え替えたり、それとは別に種を撒いたりと毎日少しずつ、先代魔女が埋められた場所に色をつけていった。先代魔女があっという間にやったことでも、エーリエには難しかったのだ。


 だが、何でも終わりは来るものだ。毎日毎日それを行っていたら、10日を過ぎるころ、ようやく納得できるぐらいに花を植えることが出来た。


「はあ~、これで終わり、これで終わりにしよう……!」


 そう言いながら伸びをする。そして、自分が植えた花たちを見る。


 魔女は、母親を埋めた横で眠っている。どうしてなのかはよくわからなかったが、母親と魔女は仲が良かった。だから、隣同士で眠っているなら、きっと寂しくないのだろうと思っう。


(でも……でも、わたしは寂しい)


 もう、誰もいないのだ。朝起きておはようを言う相手も、夜寝る前におやすみを言う相手も。たまに喧嘩をして、口を利かなくなっても翌日には何もなかったように声をかけてくる相手も。


 空を見上げる。何も変わらず太陽の光が降り注ぎ、何も変わらずそれは動いて、夕方には沈んで、そして夜が来る。明日になれば再び空にその姿を現して、また一日が始まる。そのことを、無性に「寂しい」と思ったが、言葉には出さずに飲み込んだ。


 家に戻って、彼女はしみじみと鏡を見た。相変わらず自分の顔が見えない。そして、死んでしまった先代魔女の顔も、最後まで見ることが出来なかった。だから、彼女が「綺麗な顔で眠っている」のかどうかすら、自分は知らないのだ。それが、なんだかどうしようもなく悔しかった。


「……ポーションを、作らなくちゃ」


 そうだ。次の週、王城騎士が来ると魔女は言っていた。魔女はポーションを全部は作り終えていなかった。


 エーリエはまだ幼かったが、そのポーションを作らなければいけないことだけは理解をしており、それからは毎月の納品に合わせてなんとか数を揃えることに夢中だった。


 そして、1年、2年、そして3年が経過することには、ポーション作りもうまくなって、納品に余裕が出てきた。この森では、時間が静かに穏やかに流れている。少しずつ時間が空いて、彼女はただひたすら書物を読むこと、料理を作ること、家の裏の野菜を作ることに没頭をして、今に至る。


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