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6.呪い返し

(なんだか、この空間は心地よい)


 三度目の訪問。二度目のポーションの受け取りに来たノエルは、椅子に座ってそんなことを思う。彼は、どこにいっても誰かに自分のことを噂されていることに、普段から辟易していた。気付かないふりをすれば良いし、もう慣れっこと言えば慣れっこで、今更気にする必要は本来ない。だが、心のどこかではそれらが引っ掛かっていたのだろうと思える。


 自分の家――ユークリッド公爵家――で自室にいる時は、それから解放されていた。だが、ここではそれ以上に自分はくつろいでいる気がする。それは、この辺りを漂う空気のせいなのか、何なのか。この家で「待っているだけ」の自分が、ほっとしている自覚はある。


 カチャカチャと瓶が揺れて、互いに少しぶつかる音。トン、トン、と箱に瓶が置かれていく軽やかな音。隣の部屋でポーションを詰めるその音を聞きながら、茶を飲む。ああ、とても良い。彼は、自分がなんだか心が穏やかになっていると感じる。


 エーリエは、自分の噂を知らない。また、知っていても、彼の顔が見えない以上は何とも思わないに違いない。ここに来てまだ三回目だが、彼女は毎回笑顔でノエルを迎えて、そして朗らかに笑いかける。彼が騎士団長と知りながら、余計なへりくだりもなければ、逆に上からでもない。


 きっと、彼女は自分の年齢も知らないのだろう。そう思えば、ああ、彼女こそが自分を一番誰よりも平等に見てくれているに違いない。普通の貴族であれば、それを怒るに違いないが、あれこれと噂をされ続けてきたノエルにとっては、それはなんだか心地よいものだと感じた。


 人々は、公爵家の長男――血は繋がってはいないが――である彼を「公爵家の後継者候補」として扱う。だが、口ではどう言っていようが、裏では口さがないことを言っていることを彼は知っている。唯一、騎士団の人々は彼の味方と言えたが、その中でも彼を疎ましいと思っている人物がいないわけではない。ここでは、完全にそれらから解放される。


 誰も、ここで自分を「そういう目で」見ない。エーリエにとっては、自分は「ポーションの取引をする騎士」以外の何でもない。たったそれだけのことなのに、肩の荷が降りたようにすら感じる。


(わたしが、公平などを求めることが間違っているが)


 とはいえ、だからといって彼女がこのまま人の顔を見られないまま過ごすのは、可哀相だとも思う。呪術に関しては、ほとんどの人々がそれに触れないまま一生を終える。だが、ノエルはそうではない。だからこそ、彼女の力になれたら……と彼は考えたのだ。


「お待たせいたしました。ポーション50本です」


「ああ。ありがとう」


 箱に詰めて運んでくるエーリエ。そこで金のやり取りをする。本来ならば、そのまますぐに帰るのだが、ノエルは「話がある」と言って、エーリエを自分の向かいに座らせた。


「エーリエ。君にかかっている呪いだが」


「はい」


「解呪師を連れてきて、祓ってもらったらどうだろうか。君さえよければ、わたしにはつてが多少はあるので、連れてくることも出来るのだが」


 とはいえ、その解呪師は、彼の赤い痕を見ても「これが何なのかもよくわかりません。呪いを消した痕が残っているんじゃないでしょうかね……」と言って、何も出来なかったのだが。それでも、一般的な解呪師としてはそれなりの力はあるのだと聞いた。


「……あの」


 彼の向かいに座ったエーリエは、明らかに困惑の表情を見せる。


「その、説明が面倒だったのでしていなかったのですが……実は、わたしの母は解呪師だったんです。それで、この呪いは他の呪術師がかけた呪いを解呪する際に発生した、呪い返しで……だから、普通の解呪師が解く呪いよりも何か色々と道具も必要らしく、厄介なものらしいんです」


「呪い返し?」


 ノエルは、その言葉に心当たりがあった。彼も、自分の呪いの痕をどうにか出来ないかと呪術師や解呪師について書物を読み漁っていた時期があった。その時にその言葉を目にした記憶がある。


 呪術を解呪する時に、その解呪をされることを引き金として、解呪をした相手を呪う。そういった高度な呪術があるのだと言う。解呪師は呪いを解析した時に「これを解呪したらお前は呪われる」という術だと読み解く。そして、その呪い返し――どれほどの威力なのかはわからないが――が嫌ならば、解呪は出来ないと諦めることがほとんどだ。


「はい。ちょうど、20年ぐらい前でしょうね。わたしが母のお腹の中にいた頃ですから」


「何だって……?」


 ノエルは嫌な予感がする、と思う。それは、もしかして。


「母は、他の大陸で生まれた優れた解呪師だったようです。どうしてなのかよくわからないのですが、高額で雇われてこちらの大陸にやってきて……ですが、その母が受けた呪い返しを祓うことが出来ず、生まれたわたしの呪い返しも祓うことが出来なかったんです。ですから、どなたか解呪師にお願いをしても、余程ではないと無理じゃないかなぁと……」


 エーリエの母親は、呪い返しをわかっていても解呪をしたのだ。ノエルの鼓動が早くなる。


「君の母親は……どんな呪術を祓ってそうなったんだ……?」


「ええ? えっと、よくわかりません。ですが、相当な呪いだったのでしょうね……呪い返しで、母まで呪われてしまうぐらいですもの。ああ、でも……」


 エーリエはなんとか思い出そうとしているのか、ぐっと瞳を閉じた。それから、静かに伏し目がちに瞼を開ける。


「小さな男の子。呪われていたのは男の子です。母は呪い返しが来ることがわかっていたのですが……あまりにも、その男の子が可哀相だったので、わかっていても解呪をしたのだと言っていました。あまりにも可哀相、というのはどんな呪いだったんでしょうね……わたしからすれば、呪いにかかっていれば、それだけで可哀相だと思うのですが……そうだ。王城の方面にいる方だったのだと聞きました」


 そう言って彼女は曖昧な笑みを彼に向けた。ノエルは、いたたまれない気持ちになって「そうか」と言うと、一つ、深いため息をつく。エーリエが「ノエル様?」と尋ねても、彼は返事が出来なかった。


 そうか。彼女は、ノエルが仮面を被っている理由を尋ねなかった。そして、ノエルも特に説明はしていないから、彼の仮面が呪いの痕を隠すものだとは知らない。要するに、彼が呪いにかかっていたということすらわかっていないのだ。だから、こんな風にあっさりとそんなことを口にするのだろう。


 ノエルは表情を歪めた。普段だったら、それらは仮面の下でしまわれているものだったし、仮面を外していてもあまり表情に出さないように努めただろう。が、こればかりはどうしようもない。


 しかし、それを見えないエーリエは少し明るい口調で言葉を続ける。


「あっ、でもですね。えっと、もしかしたら古代語を解読出来たら……この家にある書物には、古代語で書かれたものがあって、それは母にも魔女様にも解読出来てなくて……それを読み解いたらもしかしたら何かわかるかもしれないなって……まあ、もしかしたら、ですけど」


「古代語が出来るのか?」


「いえ、いえ、まったく出来ないんですけど……ええ……」


 彼の問いかけにエーリエはもごもごと返事をした。古代語を読み書きできる者は、今はこのサーリス王国に一人や二人いるかいないか、といったぐらいだ。古代語の書物は王城図書館にもそう多くはないし、何よりも、古代語よりもよほど隣の大陸の言語を学ぶ方が、この先の役に立つと考えられていたため、今ではほとんどの人々からその言語は忘れられている。


「この家の書物はほとんど読み終えたので……後は古代語の書物だけなんです」


「……古代語の辞書や、言葉の相対表のようなものがあったら、君は助かるか?」


「じしょ? じしょとはどういうものでしょうか」


「辞書というのは……ううんと……」


 うまく説明が出来ず、ノエルは曖昧に答え、最後に「言葉を知るためのものだ」と更にぼんやりとしたことを言い出した。エーリエはそれを聞いて、よくわからないながらも「あったら嬉しいですけれど」と答えた。


 ノエルはわずかに頭を横に何度か振って、ガタンと突然立ち上がった。


「わかった。それでは、次は来月の納品前には一度持ってくる」


「あっ、はい。わかりました」


 彼の動きにエーリエは首を軽く傾げたが、あえてそれ以上追及はしなかった。彼女は小さく微笑んで


「また、いらしてくださいね」


と言って彼を見送った。


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