25.穏やかな日々
「あら。今日はお二人で……? ポーションの日ではありませんよね?」
「やあ、エーリエ! 今日は、折角なので直接君に渡したいと思って」
マールトとノエルが訪ねて来たことに驚くエーリエ。2人を家に招き入れて、エーリエは茶と焼き菓子を並べた。
あれからエーリエとノエルは「お付き合い」というものを始めた。とはいえ、エーリエは森を捨てることは出来ないし、ノエルも騎士団長という立場上、王城もユークリッド公爵家も簡単に捨てることも出来ない。ただ、ノエルは次期ユークリッド公爵にはならず、そのまま騎士として生きることを選んだ。
エーリエが2人の前に座ると、まずはマールトが懐から何かを取り出す。
「これ。招待状」
「ええ……? また、何かの招待ですか……」
すっかり疑心暗鬼になって嫌そうな声をあげるエーリエ。差し出された封書を手に取って、まずは外側をじろじろと見るエーリエを見て、マールトはノエルに「お前のせいだぞ」と小突く。
「あっ! 結婚式……聖女様とご結婚なさるんですね? まあ、まあ、おめでとうございます!」
「そうなんだ。決めてからが早くてね。まあ、王城の意向もあったから仕方がないんだけど……」
「金を王城側で出すと言うんだから、いい条件じゃないか」
「そうなんだよ」
どうやら、聖女とマールトの結婚については、王城側が「大応援」をしている様子だった。最初はノエルに聖女をあてがおうとしていた国王だったが、まさかのマールトと聖女が良い仲になったことで「ナーケイド伯爵家でも特に問題はない」と判断をしたようだ。
「おかげでナーケイド伯爵家の財産を持ち出さなくて済むからね……ま、式に陛下たちがいらっしゃるのが少しばかり重たいが、それはそれ。ああ、エーリエ、勘違いしないでくれたまえ。わたしとフランシェの結婚は、恋愛の末だからね。政略結婚なんていうものではない。それは神に誓って」
マールトのその言葉にエーリエはくすりと笑った。
「聖女様はお元気ですか?」
「うーん。元気は元気だけど、少し王城に反発してるところはあるかな。ほら、聖女が結婚して子供を産むとなると、活動が難しくなるだろう? 王城としては、考えた末、さっさと結婚してさっさと子供を産ませよう、みたいな話でね。勿論僕らとしても子供は欲しいから、願ったり叶ったりではあるんだけど、一方で聖女としての活動が出来ないのは本末転倒なんだよなぁ」
「まったく、人の人生をなんだと思っているんだ。王城のやつらは」
とノエルが吐き捨てるように言うと、マールトは笑う。
「ま、今のところは利害が一致しているからいいんだけどさ。でね。そうなるとフランシェは数年遠征に行くことは出来なくなるし……その後には残念ながら時々遠征もあると思うんだけど……まあ、要するに。ポーションの納品量を、もう一度増やして欲しいなっていう話をしに来たんだ」
「まあ。勿論問題ありませんよ」
「そうか。よかった。実は、フランシェが作るポーションは、効き目は悪くないんだが、品質保存の面で少し問題があってね。長期保存が出来ないんだ」
だから、やはりエーリエにポーションを作って欲しい……そうマールトが言えば、エーリエは特に断る理由もないため、問題ないと返事をする。
「ああ、よかった……もしかしたら、あの時一方的に減らしたのはそっちだろ! って断られるかもしれないと思って……安心したよ」
それへはエーリエが返事をする前に、ノエルが口を挟む。
「エーリエはそんな意地が悪いことはしない」
なんとなくエーリエは照れくさくなって
「わ、わたしも時には意地が悪いことをしますよ!」
と声を荒げた。が、マールトもノエルもまったくそれを信じていない様子だった。
「式にはユークリッド公爵夫妻もお呼びする予定なので、エーリエは一緒に来てくれれば」
「あっ……で、でも、そのう……」
エーリエが何を心配しているのかを察したノエルが、そこは先回りをする。
「エーリエ。うちから衣装を借りていくと良い。うちの妹の身長とエーリエの身長はそう変わらないのでな」
「うう、いつも申し訳ありません……」
「問題ない。むしろ、借りてくれる方がありがたいぐらいだ。うちの妹はドレスの趣味がすぐ変わってしまうから母に怒られていて……」
と、ノエルは苦笑いを浮かべた。
「よかったら、結婚後に新居に来ると良いよ。わたしはナーケイド家を出て、城下町の少しこちら側に家を建てることにしたんだ。そのね、わざわざなんでもかんでも王城から口を出されないように、少しだけ離れたくてね……だから、君とフランシェも気楽に行き来してもらえるとありがたい」
そう言って、ざっと立ち上がるマールト。
「じゃあ、わたしはこれで。エーリエ、式に出席をよろしく」
「はい。ご招待ありがとうございます!」
「うん。じゃあ、ノエル、また明日」
「ああ」
マールトは軽く手を振って、さっさとエーリエの家から出て行った。残されたノエルは、茶を一口飲む。
「やっとうるさいやつがいなくなった」
「ふふ、マールト様は賑やか、というわけではないのに、明るいですねぇ……」
「明るい方が良いか?」
そう尋ねるノエルは、エーリエと視線を合わせない。少しだけ不貞腐れたように目を逸らす。エーリエは、ぱちぱちと瞬きをして
「わたしは、静かな方が好きです」
と小さく微笑んだ。それへ、ノエルは「そうか」と返事をする。彼の耳が赤くなっていることにエーリエは気付いたが、それを指摘はしなかった。
「お茶のおかわりは?」
「ありがとう」
ノエルのティーカップにとぽとぽと茶を注ぐエーリエ。穏やかで静かな空間に、彼はほっと息をついた。
「エーリエ。剣術大会で得た褒賞があって」
「え……あっ、国王陛下になんとやら、みたいな、お話でしたっけ?」
聖女がそういうことを言っていたような気がする……と曖昧にエーリエは口にした。
「ああ。そうだ。国王陛下にお願いを一つ、というやつでな。大体はちょっとした身分の格上げだとか、金銭だとか、国宝から何か一つだとか……そういうものを望むことが多いのだが」
「ええ」
「君との結婚を許可してもらった」
「えっ!? えっ……」
思いもよらない言葉にエーリエは動揺をする。
「けっ、けっこ、けっこん、ですか」
「ああ。君はこの森で生活をしたいだろうから、まあ、どういう形になるのかはわからないが、わたしがユークリッド公爵家を継がなくてよくなるようにしてもらい、また、一応王家の血筋とやらなので、その辺については今後完全に何も言われないように……エーリエ?」
見れば、すっかりエーリエは混乱をしている様子だった。
「わっ、わたし……わたし、と、ノエル様、が、ですか?」
「うん」
ノエルは立ち上がり、エーリエの横で膝をついた。彼がそうやって膝をつくのは二度目。エーリエはどうしたら良いのかわからず、また、彼が何を言うのだろうかとどきどきして身を竦める。
「勿論、それはまた先の話になるだろう。わたしがこの森に共に住んでも良いし、マールトのように城下町の端に家を建ててもいい。何にせよ、ユークリッド公爵家から出ることは確かになるのでな。まだ、時間がかかる話だ。だが、それはともかく」
「はっ、はい……」
「君がわたしと共に生きたいと思ってくれることを願っている。そして、本当にそう思ってくれるなら、これを受け取ってくれないか」
ノエルはポケットから小箱を取り出して開けた。そこには、滑らかな布が内張りしてあり、その中央には銀色のリングが輝いている。さすがのエーリエもその意味に気付いたようで、驚きで息を呑んだ。
「ノエル様」
「どうだろうか」
エーリエはノエルを見た。いつも静かで冷静な彼の頬が、紅潮している。それを見た彼女もまた、胸がどきどきと高鳴って、体がじんわりと熱くなっていくことに気付いた。
「こんなわたしでも良いんでしょうか。わたし、何もノエル様にお返し出来ません……」
「何を言うんだ」
ノエルは、ふふ、と小さく口の端をあげた。その柔らかい笑みに、エーリエは胸を射抜かれる。
(ずるいです! そんな、そんな素敵なお顔で……!)
「何かを貰えるから、という理由で、君を選んだのではない。それに、もしそうだとしても、君には一生分のものをもらっているのに。何一つ、わたしに返すことなぞ考える必要はない」
「ノエル様」
「わたしと、共に生きてくれないか」
「ああ……わたしが、誰かと一緒に生きられるなんて……思ってもいませんでした……」
エーリエはそう言うと、目の端に涙を浮かべながらも微笑んだ。ノエルはそれを見て
「最近、君はよく泣くが、それは悲しみの涙ではないんだろう?」
と穏やかに問いかける。
「はい。嬉しくて……ノエル様、わたしもノエル様と共に生きられたら嬉しいと思っています……その、そのう……その指輪、を、いただいても、良いんでしょうか?」
言葉をうまく選ぼうとして、うまく選べない。だが、その様子も可愛いと言いたげに、ノエルは小さく頷く。
「手を出して」
「はい……」
「君の指に合うと思うんだけれど……どうだろう……」
そう言って、リングをエーリエの指にはめるノエル。エーリエは、ノエルの手が自分の手に触れてからというもの、息をじっとひそめてなりゆきを見守っていたが、リングをはめて彼の手が離れた瞬間「ふはっ!」と小さな声をあげた。
「まあ! まあ! わたしの、小さな手でも、リングをはめると女性らしい手に見えるものですね……! とても可愛い……そして、とても嬉しいです。ノエル様」
そう言って、ふにゃりと笑みを浮かべれば、ノエルは口を手で押さえて目を逸らす。
「ノエル様?」
「いや、ちょっと。思った以上に君が可愛らしかったので」
「まあ!」
エーリエは頬を染めた。なんとなく2人は互いにどうしていいかわからずおろおろして、それから、どちらともなくなんとなく笑いだした。声をあげて笑いながら、エーリエは「幸せだわ」と心から思い、そして、またほんの少しだけ泣いた。
さて、それからの2人だが、まず、マールトとフランシェの結婚式に参列をし、それからエーリエは正式にノエルの婚約者になった。
彼女は変わらず森で過ごしていたが、週に一度王城に赴き、未だに誰にも読まれない古代語の書物を翻訳する仕事も請け負うことになった。人と話すことは相変わらず少し苦手だが、翻訳の作業をしている間は誰にも邪魔をされないような個室を用意してもらえるし、何より新しい書物を読めることは彼女にとっては嬉しいことだった。
ノエルもまた変わらず第三騎士団長として日々忙殺されているが、エーリエが王城に来る時には出来るだけ時間をとって、共にユークリッド公爵家で夕食をとることにした。とはいえ、それはそれ、これはこれ、とばかりに、今でもそっと仕事の合間や何かにつけて、彼は森に訪れ、エーリエの家で茶を飲むことを忘れない。
「エーリエ」
「ノエル! いらっしゃい! ちょうどさっきケーキが焼き上がったの」
「そうか。これ、遠征先で買って来た茶葉なんだが……」
「まあ。それじゃあ、このお茶を淹れましょう」
何気ないやりとりの後、エーリエは茶を淹れに奥の部屋に入っていった。その背を見送って、ノエルは椅子に座った。
「……変わらないな」
まるで初めてこの家に来たあの日のようだとノエルは思う。そして、あの日には既に、自分はこの森の、このあまり大きくない家で、エーリエと共にいることを好ましく思っていたのだと思い出す。そして、初日には茶を飲まなかったことまで思い出し、ふと口をほころばせた。
「お待たせして……んっ、何かおかしなことでもありました?」
「ああ、いや、なんでもない」
「ええっ? どうして笑っていたんです?」
エーリエはにこにこ微笑みながら、ティーポットから茶をカップに注いだ。
ああ、そうだ。彼女は今は自分の顔を見られるけれど、それは最初からではなかったのだ。変わらないと言っていたが、自分たちは大きく変わったのだ……ノエルはそう思い、再び頬を軽く緩めて
「君と出会えてよかったと思って」
と告げた。
突然の言葉にエーリエは驚いた表情になり、それから頬を赤くして目を瞬かせてから
「わたしもですよ」
と答え、彼の前にティーカップを置いた。エーリエは、変わらず柔らかい笑みを浮かべていた。
了