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23.夜の温室

「……わあ!?」


 目覚めたエーリエは飛び起きる。


 しまった、眠ってしまった。ほんの少しだけ休もうと思っていたのに。咄嗟にそう思ったものの、目覚めたその場所は、剣術大会の会場でもなければ、自分の家でもなかった。


「わ、わ、わ、これ、は、一体……」


 ふかふかのベッド。広い部屋。贅沢な調度品。それらのすべてをエーリエはよく理解できなかったが、ただ「高価なものがたくさん置いてある部屋だ」と思う。


「い、いけない……わたし……あのまま眠ってしまって、それから」


 それから。まったく記憶がない。マールトと聖女――フランシェと言ったか――が婚約をしたという話を聞いて。それから「疲れた」と呟いて少し目を閉じた。少し目を閉じて……。


「ここは一体……どうしましょう。こんな良いお布団を使わせていただいたなんて。申し訳ないわ……ああ、それに……」


 体は正直だ。ぐう、と腹の虫が鳴る。


「うう、お腹も減ってしまいました……」


 剣術大会の会場で、聖女から「何か頼みますか?」と言われたが、慣れぬ場所でそれどころではなかった。そもそも「何か」とは一体何のことだ……そう思いながら、なんとなく曖昧に断ったけれど、思えば昼前に森を出たのだし、朝食以降何も食べていない。


(どうしましょう。わたし、空間転移の魔法なんて使えないし……どなたかが、ここに連れて来てくださったのでしょうから、お礼を言わないと)


 困惑してベッドから降りる。自分の靴がない。靴がないが、代わりに布製でリボンがついた靴が用意されている。


「まあ、まあ、こんな美しい織りで作られたものだなんて。こんなものにわたしの足を入れるのは申し訳ないわ……」


 とはいえ、仕方がない。仕方なく靴を履いて、恐る恐るドアを開ける。すると、ドアの両側に、2人の女性騎士が立っており「あっ、お目覚めになったのですね」とエーリエに声をかける。


「ひっ……!」


 まさか部屋の前で人に会うなんて思っていなかったエーリエは、喉にかかった声をあげて腰を抜かしそうになる。慌てて開けたドアにしがみついて事なきを得たが。


「だ、大丈夫ですか!?」


「だ、だい、じょうぶ、です……」


「少々お待ちいただいてもよろしいでしょうか。ノエル様にお声がけしてまいりますので」


「ノエル様に……? あの、ここは」


「ここは、ユークリッド公爵のお屋敷です」


「ああ~!」


 エーリエはついにその場にへなへなと座り込んだ。薄々は感づいていたが、自分はきっとあの場で深く眠ってしまったのだろう。だから、仕方なくユークリッド公爵邸に連れて来たのだとようやく理解をした。その間に、一人の女性騎士がその場を離れて走っていく。


「ど、どうしましょう。わたし、わたしご迷惑を」


「いいえ、何も問題はございません。エーリエ様はユークリッド公爵家の客人として迎え入れられましたので、ご心配なく」


 女性騎士のその言葉の意味をエーリエは理解出来なかった。だが、さすがに少しずつ落ち着いてきた。自分の服を見れば、白いワンピースのままだ。ああ、なんだか忙しい一日だったけれど、このワンピースを買って良かった。エーリエはそう思う。


 と、この場から離れた女性騎士が、侍女を一人連れて戻って来る。一体何がどうしたのか、と怯えるエーリエの前でその侍女は頭を下げた。


「エーリエ様。少々、おぐしを整えさせていただいてもよろしいでしょうか」


「えっ、あ……はい……」


 そうだ。そう言えば自分は髪を結ってもらっていた。それから、髪留めは……と気付いてエーリエはそっと頭に触れた。


(よかった。髪留めはついたままだったわ……)


 その侍女はその場で膝を折って、エーリエの髪を直す。ユークリッド公爵邸の通路でしゃがむエーリエを覗き込む侍女、そして、それを見守る女騎士。大層それらはおかしい様子だ。だが、そこでそれを笑う者は誰一人としていない。最後に、侍女はエーリエに外套を着せた。それは、今日一日着ていたサーモンピンクの外套だった。


「出来ました。それでは、ノエル様のところにご案内いたします」


「はい……」


 おとなしく歩く侍女についていくエーリエ。その後ろには女性騎士が一人。長い通路を歩けば、渡り廊下に出る。さあっと広がる窓の外は夜だ。誰も人が歩いていないと思ったが、そうか、今は夜なのか……エーリエは自分がどれほど眠っていたのかと考えて、とんでもないな……と小声で呟いた。


「こちらより、まっすぐ歩いて行かれますと、ノエル様がいらっしゃいます」


「えっ? ここを?」


 侍女は頭を下げた。エーリエは戸惑う。そこは、庭園だったからだ。しんと静まり返る庭園に、月明かりが降り注ぐ。小さな細い道がそこにはあり、先は曲がっているため道なりにいった先の様子は見えない。だが、とりあえず知らない人々に迷惑をこれ以上かけることもない……とエーリエは庭園を歩き出した。


「夜の匂いがするわ」


 花木から漂う、夜の香り。しん、と静まり返る中、月明かりのおかげで歩くことが難しくない。だが、少しだけ寒いと思う。


「あっ……」


 見れば、その先に何か温室のようなものがある。エーリエはそれを見たのは初めてだったが、書物に書いてあった知識を総動員して答えを導き出した。


(あれは、植物を寒い外気から守る場所ですね……? まあ、まあ、透明度の高い石をはめ込んであるなんて)


 と、その中からノエルが姿を現した。彼は、いつも着ている騎士団の制服ではなく、シャツに無地のトラウザーという、品は良いが少しばかりくつろいだ格好だ。それに驚いて、エーリエはその場で立ち止まり「こ、こんばんは……」とあいさつをした。


「ああ。こんばんは」


「ノエル様」


「中に入るといい」


「はっ、はい……」


 おずおずと室内に入る。そこで初めて彼女は、布製の靴を履いて土の上を歩いてしまったが大丈夫だろうかと思い至って「あっ、靴……」と声に出す。


「大丈夫だ。何も問題はない」


 ほっと息をついたのもつかの間。見れば温室手前に広い空間があり、テーブルと椅子が並んでいる。そして、テーブルの上には食事が用意をされていた。ふわっと食欲をそそる匂いにつられたのか、エーリエの腹の虫が再び「ぐう」と鳴った。


「何も食べていなかったんだろう。ここでゆっくり食事をするといい。外気は少し寒いが、この室内はそうでもない」


「いいのでしょうか……」


「ああ。ゆっくり食べてくれ。明日の朝、森に送って行こう」


「た、大変申し訳ございませんでした……」


 スープとパン。それから、焼いた薄切り肉に蒸かした芋。きっと、自分が目覚めたことを女性騎士から聞いて温め直してもらったのだろう。うっすらとスープから湯気が出ている。


 エーリエは素直に食事を始めた。ノエルは彼女が食べている間、斜め向かいに座って、月光に照らし出されている庭の景色を開いたドアから見ているようだった。


 室内にも多くの植物が置かれており、エーリエはまるで森の中で食事をしているようだ、と思う。


(もしかしたら、ノエル様はわたしに気を使ってくださって……?)


 いくらエーリエでもわかる。貴族の豪邸では、食事は食事をする部屋があると聞いた。そちらに案内されるのかと怯えていたが、ここに通された。静かな夜。植物たち。月光。そして、小さな、エーリエの家の部屋のようなサイズのこの場所。ここなら、なんとか落ち着けるような気がする。エーリエはそう思いながらスープを飲んだ。


「あの、申し訳ありません。もうこれ以上は……」


 すべてを食べることは出来なかった。謝るエーリエに、ノエルは「大丈夫だ」と笑った。


「少し、話せるだろうか? それとも、まだ眠いか?」


「話せます……」


「そうか。ありがとう」


 何がありがとうなんだろう。エーリエは不安げにノエルを見る。


「この庭園のこの辺りは結構自然に近い形で作られている。もっと家に近い部分は花壇になっているが、この周囲はそうでもない」


「あっ、そうかなって思いました。花壇の花は綺麗ですが、そのう、わたしはこちらの方が何か落ち着く感じがします……」


「そうか。良かった」


 ノエルはそう言ってから、わずかに表情を険しくした。


「今日は、すまなかった。一日、わたしの我儘で剣術大会に付き合わせてしまって。君に負荷をかけてしまったことを謝りたい」


「いっ、いいえ、そのう、わたし……駄目ですね。やっぱり引きこもっているだけじゃあ……まさか眠りこけてしまうとは思っていなくて……どなたが運んでくださったんでしょうか」


「わたしが運んだ。父に呼ばれてね」


 なんてことだ、とエーリエは頬を紅潮させて「ありがとうございます……」と小さく呟いた。まさか、自分をノエルが担いだのだろうか。なんと申し訳ない、と何度も謝ったが、ノエルはそれを「どうということはない」とあっさりと告げた。


「あっ、あの、それでは……明日、公爵様と奥様に御礼を申し上げたいのですが……」


「2人は剣術大会の後から出かけて、一週間別荘に旅行に行った。だが、もしも君が父と母に挨拶をしたければ、またここに来ると良い」


 またここに来ると良い。その言葉にエーリエは驚く。そうか。そういえば、指輪を貰っていたのだし、ユークリッド公爵邸に自分はいつ来ても良いということなのかと思う。


「あの、ノエル様。この外套を……いただいた、よう、なのですが……」


「ああ、それか。すまない、わたしが選ぶ時間があれば良かったのだが。ケイトにすべて頼んでしまって……気に入ってくれただろうか?」


「えっと……」


「わたしは、君に多くの謝罪をしなければいけない。その……君の母君が20年前に呪いを解いた子供は、わたしだったんだ」


 そう言うと、ノエルは立ち上がって胸元に手を当ててエーリエを見つめた。


「君の母君がいなければ、わたしはとっくに命を捨てているか、あるいは、それすらすることなく、暗闇の中で何も出来ず、王城の奥でただ息をするだけの人生を送っていたのだと思う。けれども、わたしの呪いを解呪したことで、君の体は生まれながらにして呪いに蝕まれて、長い期間不自由を強いてしまった。申し訳ない」


 ああ、ノエルは知ってしまったのか。エーリエは彼をじっと見つめて「いいんです」と告げた。自分でも驚くほど、その声は穏やかで静かな響きを伴っていた。だが、一つ彼の言葉で気になったことがあったので、そこは聞き返した。


「王城、とおっしゃいましたが……」


「ああ。わたしは、現国王陛下の側室の子供でな」


「!」


「だが、呪いの痕が醜かったため、色々な噂が飛び交って……まあ、不吉だとかなんだかとかな。そんなわたしを、公爵夫妻が養子に迎え入れてくれた。ああ、国王陛下のことをわたしは特になんとも思っていない。5歳ぐらいまで、わたしの父だった人、とは思っているが」


 彼の出生を聞いて、あんぐりと口を開けるエーリエ。国王陛下の側室の子供。となれば、彼は王位継承権を持つはずだ。それを彼女は知っていた。またも、書物からの知識ではあったが。


 そうだったのか。自分が知るはずもない幼い頃、彼はそんな目にあっていたのか。エーリエは、彼のこれまでの人生について思いを馳せ、そして、そんな彼の呪いをすべて解呪出来たことに、今更ながら心から安堵をした。


「ノエル様、いいんです。わたしはこの年になるまで人の顔は見えませんでしたが、それはノエル様のせいではありません。責任はすべて、呪いをかけた者。呪いをかけた者を雇った者のみにあります。ですから、ノエル様は謝罪をなさる必要はまったくありません」


「君なら、そう言うとは思っていた。だが、わたしの呪いを解呪したことで、君の母君は人の姿を見ることが出来なくなって……大陸を渡ってこの国に来たというのに、その大陸に戻ることがなかったのだろう。君の母君の人生を変えてしまったのはわたしだ」


「それでも、もういいんです。ノエル様。わたし……」


 エーリエは小さく微笑んだ。


「わたし、ノエル様とそういう間柄になりたいわけではないんです。だって、きっとノエル様は何度謝罪をしても、何をわたしに下さっても、きっと心の中でご自分を責め続けられると思いますから。でもですね。わたし……ノエル様に、そんなことを思って欲しくない、いえ、そんな目でわたしを見ないで欲しいんです」


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